※この記事は2019年03月13日にBLOGOSで公開されたものです

夫が会社を辞めたことを機にオーストラリアに移住し、一家の大黒柱として日本との行き来をして「出稼ぎ」する小島慶子さん。2017年から駐在妻としてシンガポールに住むことになり、リモートで仕事をするジャーナリストの中野円佳が、海外と行き来をしながらの働き方、海外生活でマイノリティとなって気付くこと、そこから日本が得られる示唆について聞きました。

※2018年夏に実施、海外×キャリア×ママサロン(https://lounge.dmm.com/detail/293/)で配信したトークイベントを再編集したものです。

子どもに泣かれ…日本への出稼ぎで罪悪感も

中野:「海外子育て」をテーマにした対談ということで、私は夫の転勤がありまして、2017年4月にシンガポールに引っ越しました。行く前は、フリーのジャーナリストだったら、小島さんみたいに行き来して日本の仕事を続けられるかな、と思っていたんですけど。実際行ってみたら、子どもが1歳半と5歳になりたてで、幼稚園探しとか、幼稚園通い始めても3時半には帰ってきちゃうとかで、なかなか時間が捻出できない。子育てとのセットアップに時間がかかりまして、ようやく最近行き来できるようになりました。

小島:それはそうですよ。うちもそうでしたよ。うちは夫が働いていないので、そのセットアップは全部夫がやったんですよね。とてもじゃないけれど、最初は仕事を途中で抜けたりできないですよね。

中野:自分も近い立場になってから小島さんの『大黒柱マザー(双葉社)』を読ませていただいて、出稼ぎに出かけるときには毎回お子さんと別れるのが涙涙だったということがわかって。あぁ、小島さんこんなに苦しい想いをしながらやってたんだ、というのを実感しました。最初は大変でしたか?

小島:うちは2人とも男の子ですが、引っ越した時、小学5年生と2年生の終わりでしたから。母親が外国に出稼ぎに行ってしまうのが寂しかったんだと思うんですよね。パースは直行便がないので、夜の便で香港とかシンガポールに飛んで、そこから乗り換えて、翌日の午後に東京に着く。だから、たいてい夜の9時くらいにタクシーで家を出るんです。空港まで電車がなく、自宅の前からタクシーに乗って、「じゃあ行ってきます」というと、タクシーの横を子供が泣きながら走る。「行ってくるわ」と窓から身を乗り出して手を振る、みたいなね。親子涙の別れでしたね。

ただ、それは最初の数回でしたね。だんだん、子どもも、母親が日本に行っても必ず戻ってくるのがわかってるから、今となっては、荷物詰めてても、普通に「行ってらっしゃーい」と。空港ついて「子供たちは?」と聞いたら「もう寝てる」みたいな。寝るの早いな、というくらい。慣れました。最初は小さかったからね。今は高1と中1ですけど。

中野:(2017年の)年末に始めて子ども連れて帰国したのですが、私は日本で仕事を入れまくっていて、子どもは保育園にも行けないので、実家に預けっぱなしだったんです。そうしたら、最後は子どもに「ママ、夜はお出かけしないで」と言われてしまって。その後、2月に弾丸で一泊二日で自分だけ帰国したんですが、その時は、子供が寝るか寝ないかという微妙な時間に家を出なければならなかった。出る時に、下の子にすごく泣きわめかれて、ようやく行く!と後ろ髪ひかれながら家を出たら、スーツケースの上に準備していたはずのダウンジャケットがメイドさんにしまわれてしまっていて、忘れた!と取りに戻って、また大号泣…。

小島:こんなに子どもを泣かせる私は悪い母親なんじゃないか、とすごく罪悪感感じちゃうんですよね。意外と子どもは立ち直るの早いんだけどね。

中野:今回は前回の反省で詰め込みすぎず、半分休み、半分仕事。ようやくちょっとバランスが見えてきたかなというところです。

小島:日本でのお仕事は、生身があるからこういうイベントとか?

中野:そうです、たまにですけどね。講演依頼とかも来なくなっちゃって。この人シンガポールにいる、という認識がされると、「無理ですよね」みたいになっちゃって。

小島:アピールしないとね。私だってそうですよ、レギュラー持てませんからね。行ったり来たりだから。レギュラーは1年中いないとできないからね。2週間に1回の収録に毎回でてください、というタイプの仕事は私は受けられないから、全部単発です。レギュラーとしてあるのは不定期で、スケジュールがあった時のインタビューの仕事はありますけど、毎週何曜日に何時にテレビつけたら小島さん出てる、というような生放送のコメンテーターみたいなことはできないですね。呼ばれたら行く、という状態ですね。

中野:執筆はパースで?

小島:両方ですね。パースにいるときは、新聞社のオンブズパーソンをやってるので、週1回2~3時間、テレビ会議をやったりもしています。雑誌の打ち合せや取材は全部テレビ会議でやったり。なのでオーストラリアに帰っても忙しいです。オーストラリアに行くと、さぞ英語は上達するでしょう?と言われるんですけど、三週間の滞在中英語話したのは1時間くらいかな?と。仕事に出かける場所があるわけじゃないので。

中野:わかる、わかる。私も在宅作業でコンドに引きこもりになります。

小島:一番身近で聞くのは息子たちの英語、それだけですよ。息子たちのスウエアワードだけは聞く耳が育ってて、汚いことを言ったら「こらっ」と言う、とかね。それだけですよ。

中野:私は最近、シンガポールにある日系企業でバイト仕事を始めたのですが、始めた理由は、本当にそれをしないとシンガポールにいる間、基本的に英語を話さないし、そもそも人と接しないからです。

駐在妻の勤務を禁止する企業の論理に疑問

小島:パートナーの転勤で海外に行くと、会社によっては、一緒についてきた妻は働くの禁止!みたいなわけわからないルールがあったりすると聞きますけど、あれも変ですよね?だって、おかしくないですか?自分ところの従業員の、妻でしょ?会社の人じゃないんだから。関係ないじゃないですか。

中野:関係ないし、法的にはおかしいはずです。ただ、企業の論理としてわからなくもないな、と。例えば妻が夫の転勤についてシンガポールに行くときの飛行機代、家族手当、住居費などは全て夫の会社が出してくれている。例えばですけど、夫の競合の会社で妻が働き始めて、シンガポールでがんがん活躍しはじめたら、お前自分で飛行機代出せよ、となるかなとは思いますね。

小島:だったらせめて同業他社禁止、とかね。

中野:そうですね。「家族手当はいらないから、働くことをオッケーにしてほしい」という人も結構いる。企業がある程度きちんとルールを作ってほしい、とは思います。前例がないから、というだけでぼやっと禁止されているところが多い。

小島:人間関係の中でね、なんとなく「え?お仕事なさるの?」みたいに言われて、「あれ?そういう雰囲気ではないのかも」と自制してきたようなこともあるのかな。でも、今はどうなんでしょう?それこそ私の母の時代、20年くらい前までは、専業主婦になって海外の駐妻になったら「勝ち組」みたいに言われていた時代もありましたけど、今は夫の海外転勤についてきた女性たちはどんなかんじですか?

中野:シンガポールの今の状況は、駐妻さんも多様になっている印象です。シンガポールではビザ的には帯同ビザで来ていても、企業からLOCというレターを出してもらえればバイトができる。それで働いている人も多いです。最近は女性のほうの駐在で来られている方もいますしね。もちろん、夫の会社の事情や、別に働かなくていいわ、という人もいますし、あとは現地にいる日本人でシンガポール人と結婚している人とか、かなり日本人コミュニティといっても多様性のある日本人女性がいらっしゃるので、そこまで「え?働いてるの?」みたいなリアクションはないかな。

小島:最近、私のまわりでも出版社に勤めている女性とか、割とバリバリ働いていた女性で、このほど夫の海外転勤についていくことにしました、という方が何人かいらっしゃる。中には、子どもが小さいから夫についていくことにしたんだけど、一生懸命、会社の内規を調べたけど、どうやっても2年までしか休めない。だけど夫は会社から5年行くと言われているので、残りはどうしようか、と。

子供が向こうに馴染んだのにつれて帰るのもアレだし、このまませっかく入った会社でキャリアが途絶えてしまうのも困るけど、とはいって海外でフリーになっても仕事なんてないし等々、とっても悩んでいらして、こういうケースがあるんだったら、パートナーの海外転勤について行っている間は籍を残してあげるとかね。そういう制度がもっとあればいいのにな、とは話すんですけど。

中野:配偶者帯同休暇制度を導入する企業は増えているのでそれを使っている方とか、しょうがいないので子どもを産んで育休の間だけ一緒にいますとか皆さんいろいろ試行錯誤しています。私が運営している海外×キャリア×ママサロン(https://lounge.dmm.com/detail/293/)というコミュニティの中には、ひとりふたり、元いた会社に所属しながらリモートワークをしているという方もいて、フリーランスではなくて仕事をしているという方も。そういう企業はまだ少ないですけど、そういう形でもいろいろ広がるといいかなと思います。

小島: それは、いいですよね。海外生活自体はとてもいい。わたしは小学1年生の時に父の転勤の都合でシンガポールに9カ月だけ住んでいました。その9カ月が7歳という多感な、感受性の豊かな時期だったせいか、ものすごく鮮やかな記憶として残っています。スクールバスの中での苛烈ないじめとかもセットですけどね。46歳になった今も自分の原風景としての鮮やかな記憶になっている。なので、チャンスがあるなら、夫が行くなら、子どももつれていって海外生活させてあげたいと思う人は多いと思いますし、自分も海外で暮らすことは刺激になりますしね。安心して自分のキャリアもあきらめずに海外に行けるようになればいいですよね。

言葉の壁への不安は「不完全も話してみる」ことで緩和する

小島:中野さんは英語は堪能なんですか?

中野:私は、高校のときに約1年間アメリカに留学していたので、そのときそれなりにしゃべれるようにはなっているんですけど、基本は高校生英語なのでスラングまじりみたいな感じです。その後たいして(英語を)使わずに生きてきてしまったので、テストを受ければそれなりのスコアは出るけど、実際のところ日常会話レベルです。

小島:みんな「女子アナ=英語できる人」と思っているので、バイリンガルだと思われがちなんですけど、私は帰国子女ではあるものの、シンガポールと香港の日本人学校育ちなので、英語というのは中学高校大学で勉強しただけで、留学もしていないんです。それでオーストラリアに暮らしていても、3週間いても1時間くらいしか外の方と接点がないから、本当になかなか上達しないんですよね。

新聞記事を読むとか、テレビのニュースを見るとか、ラジオのニュースを聞くとか、インプットするほうは多少上達しても、アウトプットする機会がないので、失礼のないEメールを書くとか、馬鹿にみえない文章を書くとか、無礼でない大人の会話をするとか、やっぱり機会がないわけなんですよね。それで日本で、オーストラリアのシドニー出身の先生にお金払って英語習ってるんですよ。意味わからないですよね。

中野:でも気持ちはわかります。シンガポールは、よくも悪くもなんですけど、日常で使う英語が適当なんですよ。

小島:シングリッシュって言うんでしたっけ。

中野:シングリッシュもですが、シングリッシュですらない、とにかく伝わればいいみたいな英語もとびかっています。たとえばスクールバスで一緒に乗っているアンティー(おばちゃん)が、「Are you message me?」とか。すごく英語としては微妙だけれど言いたいことは伝わるから「OKOK」みたいな感じで。私もちゃんとした英語をしゃべれなくてはいけないという感覚がいい意味で外れて、シンガポールに行ってからは、ちゃんと学んだ方がいいかなとは思いつつ、適当イングリッシュで遠慮せずに話すようにはなりました。

小島:精神修養になりますよね。私も仕事柄日本語はちゃんとしゃべれるみたいな余計な自負があるのでいい加減な言葉をしゃべってはいけない病にかかっていたんです。そうするとハマグリになるしかないので、とりあえず勢いであとは気持ちで理解してもらえるように、不完全でもいいって思えるようになって、しゃべれるようにはなる、日常会話はできるようになりました。

すごくいい経験になったのが、結局日本語でも無口な人とか言語化するのが不得意な人っていっぱいいるでしょ。「小島さんいいですね、しゃべったり書いたりするのも自由自在で、自分はそういうのが下手で」なんて言われたりすると、「(自分だってしゃべったり書いたり)やればいいのに」くらい思ってたんです。ひどいですよね。

自分が初めて言語不全の立場、しかも社会的にもマイノリティで、現地で私も夫もお金を産む力がないので、オーストラリア社会の中では最弱者なんですよね。マイノリティの極み、という立場に身を置いて初めて、言語化するのが苦手で、人と会話するのが苦手でつらいとか、何か言ったときに変だったかなとか気に病んでしゃべるのがこわくなるとかが初めてわかったし、自分が人からなかなか気づいてもらえないとか、あるいはまともに扱ってもらえないとか、自分の話を誰が聞いてくれるのかなと不安に感じている人のことがわかりました。世間知らずを痛感しましたね。

日本語が使えない外国人への日本人の対応に懸念

小島:日本はみんな日本語のレベルが均一じゃないですか。日常生活にほぼ全く不自由のないレベルから、その上で賢いか賢くないか、日本人はその違いですよね。でも日常会話レベルに達してないとか日常会話としても不完全みたいな人が留学生の方でいっぱいいらっしゃいます。外国人に慣れていない人などは、そういう方々を下に見ちゃう癖がある気がします。

2020年に向けてダイバーシティとか言ってる割に、母語話者優位主義と私は勝手に名付けているんですが、日本語が母語でない人を下に見る感覚が強い気がするんです。テレビでも、外国人のおかしな日本語を笑うトークとか、ありますよね? ロバート・キャンベルさんとかデーブ・スぺクターさんとかピーター・フランクルさんくらいしゃべれないとダメ、という感覚を知らず知らずのうちに持っている人は少なくないと思うんです。

偶然にもみなさん白人男性ですが・・・そういうテレビで見慣れた「日本語のうまい外国人」と、生活の中で出会う外国の人は見た目も日本語のレベルも違う。下手な日本語を笑う人に悪気はないのかもしれないけど、自分は外国語で仕事や学業ができるか?と考えてみれば、むしろ日本語を使って仕事をしている外国の人の方がすごいことに気がつくのでは。

私は不完全な英語話者としてオーストラリアで暮らしているので痛感するんですが、言葉が通じないとものすごく孤独だし、その社会から自分が必要ないって言われているような気がしてしまう。人をそういう気持ちにさせることがあってはいけないなと思います。多文化社会の豪州ではそのあたりはわりと寛容ですが、日本の環境に関しては少し心配しています。

中野:シンガポールも外国人に対してネガティブな動きが高まった時期もありますが、基本的にはもともとが多民族国家なので、人種とか宗教、言語が異なる人たちに対する差別的な言動に対しては、バッシングがくる。日本はその準備が果たしてできているのか、外国人受け入れの準備の必要性は痛感しています。「やさしい日本語」の必要性もさけばれていますね。

ちなみにシンガポールはものすごく極端で、高いスキルのある人か、ものすごい低賃金労働者かの二極化で、低賃金労働者の方は家族は連れてこられない設計になっています。

小島:(シンガポールに)いつかないように、ってことですよね。

中野:そうですね。良くも悪くもポリシーが明確です。この人たちはこういうふうにします、この人たちはこういうふうにします、嫌だったら来ないでね、みたいな感じで、国としてかなり計画的にやっています。翻って日本を見ると、なし崩し的に受け入れが拡大されつつあり、、そのさらに子どもたち世代を考えると教育で受け皿が難しくなってしまっています。

小島:外国から来た子どもで学校で日本語のサポートを全く受けられていない子が1万人くらいいるそうです。ESLに相当するようなJSLというものもあるにはあるそうですが、圧倒的に人が足りていないというんです。これは早く何とかしないと。日本語で学ぶことが出来なければ、就労も難しくなるし、社会に居場所がなくなってしまう。

(後編に続く)