純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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匿名の読書猿氏が著した『問題解決大全』(フォレスト出版)は、労作の良書だ。とはいえ、この本、元ネタに引っ張られて、その要約がかならずしも問題解決というテーマの下にまとまっていない。というわけで、メモ書き程度だが、その40の方法について、その追加的な解説をかんたんに書き留めておこう。


S10 力まかせ探索

いわゆる総当たり。問題の解決を妨げている元凶は、むしろ自分自身の思い込みだったりする。たとえば、スマホを机の上に置いたはずなのに、見つからない。このとき、机の上で見つからない以上、その思い込みこそが見つからない元凶。だから、鞄の中、ベッドの横など、部屋中を探した方がいい。また、婚活パーティでも、総当たりですべての相手と話をしてみると、自分が希望としていたのとはまったく違うタイプの人で、意外に気が合う相手が見つかるかもしれない。


S11 フェルミ推定

総当たりするにしても、当たりの可能性の高いあたりから探索した方がいい。しかし、これがまったくの自分の当てづっぽでは話にならないので、あるったけのデータから、当たりの可能性の高いあたりを決める。この本のおもしろいのは、わかるかぎりで下限と上限を判断し、その幾何平均を使うところ。概して上限は特異で大きな数であるために、単純平均を使うと、実態より概数も大きくなりすぎる。そこで、両者を掛けて、ルートで割る。たとえば、あるカフェの一日の売上を見積もるのに、メニュで一番安いブレンドコーヒー500円と、一番高い1600円のハンバーグランチとから、客単価894円と算出し、これに客数を掛ける。(頂点が直角である接円三角形の分布イメージ。)


S12 マインドマップ

このネーミングが登録商標であり、最初の提唱者が決めた古くさいルールに縛られてしまうので、ここではあえて「連想マップ」と呼ぼう。本では、ツリー状のものが紹介されているが、その後の整理のために、現在では小林由幸氏が作ったFrive Editorなどの柔軟なソフトを使うのが一般的。ようするに、ルートとなるキーワードから連想されるキーワードをツリー状に拡げていって、その全体像を掴むというもの。実際は、枝のキーワードから別の枝のキーワードとも連想がつながっており、このため、全体はツリー状ではなく、むしろもっとこんがらがったネットワーク状になる。そこで、ソフトで動かしてみると、じつはルートワードとはまったく別のところこそが全体のキーワード(キーパーソン)になっていたりすることがわかったりする。つまり、これも、自分の既存の思い込みを打破して、ほんとうの解決の糸口を見つけるために役立つ。


S13 ブレインライティング

カードを使って、他人のアイディアの下に自分のアイディアを書き足していくブレストのカード版。連想マップが自分の中での思考整理であるのに対して、これは他人のアイディアに対する連想であり、連想のきっかけとなるルートアイディアも、次の人にとって新鮮であり、また、次の人は前の人が思いもしなかった連想をするかもしれない。ブレストは会議型であるために、それぞれの発言のたびに、どうしてもその後の方向性が絞られていってしまうが、カードの書き込みは、いわば密室型なので、純粋に自分自身の内なる連想が呼び起こされ、メンバーの誰からも抜け落ちていたひらめきや問題点があぶり出されてくる。


S14 コンセプトマップ

この本では、ツリー状がマインドマップで、ネットワーク状がコンセプトマップ、などと分けているが、上述のように、いまどきの連想マップは、ネットワーク状に決まっている。連想マップとコンセプトマップの違いは、コンセプトマップがコンセプトとコンセプトの論理関係を整理していくところ。基本となるのは、相反関係(敵対関係、長所短所)と因果関係(包摂関係、条件関係)。S07ロジックツリーとも似ているが、あれは根から枝へ向けて時間軸があるのに対して、コンセプトマップは共時的で、もっと複雑に絡み合っており、プラスフィードバック(促進)やマイナスフィードバック(抑制)などの全体的な構図を見渡した上で、問題の解決案がほんとうに有効かどうかチェックするのに役立つ。


S15 KJ法

ようするに、フランシス・ベーコンの提唱した純粋な経験帰納法。我々は、問題に取り組む前から、既存の知識でのカテゴリー分けを前提としてしまいがちで、その枠組の決めつけ思い込みこそが真相を分断してしまって、問題を見落とし、解決を見失わせる元凶となっている。そこで、生データ(所与)を観察することのみによって、その共通点を見いだしていき、純粋なボトムアップで知の枠組の再構築を試みる。たとえば、「常識」的に考えれば、ヨーロッパの古典と、インドの教典は、まったく別の地域の文化に属していて、当然のように別々に研究されていた。ところが、18世紀末、英国人がインドを植民地にして、両者の言葉や文法があまりに似ていることに驚いた。ここから、むしろかつて両者は一つの文化だった、民族の方が東西に分裂して移動したのだ、と気づいた。

(以下、つづく)