川口 雅裕 / NPO法人・老いの工学研究所 理事長

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組織や人事に関わる人たちの中では今、「心理的資本」という言葉が注目を集めています。立教大学の中原淳教授は、心理的資本について、ブログで次のように述べています。

「『心理的資本』とは、端的にいってしまえば、『ひとが、いかに希望や目標をもちつつ、物事に挑戦し、出来事を意味づけ、逆境をはねのけてでも、前にすすむことができるか』という『ひとの心の状態』のことをいいます。『心理的資本』は『資本』といっているくらいですから、これが『原資』として機能して、そのうえに、さまざまひとびとの成功や幸福が築かれていきます」(原文ママ)

また、心理的資本に着目したHRテック企業のBe&Do(大阪市北区)取締役の橋本豊輝氏は、「心理的資本」には(1)ホープ(Hope/希望)(2)エフィカシー(Efficacy/自信・効力感)、(3)レジリエンス(Resilience/回復力)、(4)オプティミズム(Optimism/楽観)の4つの因子があり、これらが相互に影響しあって生まれるものとしています。

確かに、組織で成果を出すには、皆が言いたいことを言えて、恐れずに新しい挑戦をしていくような活力が欠かせず、そのためには豊かな心理的資本が重要であるというのはよく理解できます。しかし、日本の雇用制度や処遇システムの特徴を考えてみれば、今になって改めて心理的資本に注目しなければならない理由がよく分からなくなってきます。そもそも、日本的な雇用や処遇は、そこで働く人たちの心理的資本を毀損しないようにできている面があるからです。

日本には「正社員制度」があり、よっぽどでない限りクビにはなりませんから安心して働けますし、楽観的でいられます。欧米のように、ダメなら契約満了か解雇になるといった仕組みであれば、先々の希望が持ちにくく、不安や悲観が先立つのは分かりますが、日本はそうではありません。長期雇用が前提になっているため、何か失敗をしてもそれで見放され、会社人生が終わりになってしまうようなことはなく、上司からのフォローが必ずあり、またチャンスが与えられます。つまり、回復力(レジリエンス)をサポートしてくれるのが日本の組織です。

社内で激しい競争があるわけでもなく、重い責任を負わされるわけでもなく、給与も評価によってそんなに大きな差がつくこともないので、精神的な疲弊は少ないはずです。実際、欧米における「椅子取りゲーム」の激しさや、評価による給与差は、日本とは比較になりません。要するに、日本企業は伝統的に(少なくとも欧米企業に比べれば)、心理的資本を大切に考えてきたはずなのです。

こう考えると、問題は、従業員の心のありように十分に配慮してきた日本企業において心理的資本が低下してきているとすれば、それはなぜなのかということです。言い方を変えれば、先述の橋本氏が言う心理的資本の4つの因子、(1)希望(2)自信(3)回復力(4)楽観が失われていくような、現代的な新しい原因があるのではないでしょうか。

例えば、「勉強不足」。高度化・専門化したスキルや知識などについていけない人は、自信が持てず、楽観もできません。現状維持を志向し、何か新しいことをやってみようとはしませんから、自分のキャリアに希望も持てません。このような人が増える組織には心理的資本は蓄積されません。

他には、「自由の不足」もありそうです。コンプライアンスという大義名分のもとで増殖し続ける社内手続きや、チェック・報告に関する業務は、働く人たちから大量の時間と意欲を奪ってしまっています。過剰なリスクヘッジは時間や意欲だけでなく、機会をも奪ってしまい、成功も失敗もできない状況のように見えます。失敗をさせてもらえないわけですから、回復力などあってもなくても関係ありません。

2020年に流行語となった「ブルシット・ジョブ」(“クソどうでもいい仕事”)のような仕事が増えているのも確かでしょう。誰のために、何のためにやっているのか、どのような価値があるのかが、やっている本人も分からないような仕事を担当して、希望も自信も持てるはずはありません。

日本企業は伝統的に、あるいは雇用慣行として、労働者の心の状態を大切にしてきており、欧米のような、労働者が資本家や経営のツールとして扱われてきた国とは違います。もちろん、昔も今も一部そうともいえないケースはありますが、全体として働く人たちの気持ちを重視してきたことは間違いありません。過去において、心理的資本は日本企業の一番の強みであったとさえいえると思います。心理的資本の重要性は認めるとしても、この点は見逃してはならないでしょう。