コミュニケーションの肝は「態度」にある/猪口 真
話すだけでは伝わらない
相手が一生懸命プレゼンテーションしているのに伝わってこない、頭に入ってこないという残念な経験をすることがある。いや、「伝わらない」というのは正確ではなく、コミュニケーションとして成り立っていない、理解しようという気持ちになれないという感覚だ。
コミュニケーションが成り立つというのは、お互いが、その対話によって刺激を受け、有意義だと感じ、対話によって満足感を得たり、付加価値を生み出すことだとすれば、成り立たないコミュニケーションは、意外なほど多い。むしろ、余計にストレスを感じたり、いやな気持になったりする。
もちろん、プレゼンテーションしている本人としてはいい加減に会話しているわけでもなく、必死にロジカルにプレゼンテーションいているつもりなのだ。一生懸命話しているし、事前の資料も豊富にある。話せるだけ話そうという気持ちも強い。にもかかわらず、まったく上手くいかない。
話している途中でも、どこか不安があるのだろう。つっこまれたくないのだろう、ずっと話し続けるパターンが多い。
プレゼンテーションといえども、コミュニケーションなのだから双方向のはずなのに、とにかく話す。それでも伝わらないのだ。
あげくの果てには、「ついてきていますか?」と上から見下したりする。こうなるとタチが悪い。「あなたたち、頭悪くないですか?」と聞いているようなものだ。
「まったくついていけません。あなたのプレゼンテーションは最悪です」と言いたくなる。
何が問題なのだろうか。
問題のひとつは、相手が何を聞きたいのかを理解しようとしないことだろう。
よく、コミュニケーションの鉄則として、「話を聞くこと」「ニーズを理解すること」はあたりまえのように語られるが、その前に、「しようとする」こと、つまり意思、態度が重要だ。
理解できるか、理解できたかは、経験の問題、その人の持っている知識量の問題もあるので、つねに相手の状況や課題、ニーズを完璧に理解することは、むしろ不可能だろう。早合点、言葉をうのみにしてしまうこともよくある。
そういう意味では、私たちが完遂できることは、「相手の状況、ニーズを理解しよう」という態度を持つことだけだ。これなら自分の技量関係なく実行することができる。
ビジネスにおけるプレゼンテーションである限り、相手は何らか困っている状況があるからこそ、対話の場に出てきたわけであり、例外もあるかもしれないが、最初は何か自分のためにならないか聞こうとするはず。
プレゼンテーションを行うときは、どうしても、自分がどう話すか、どうストーリーを持っていけばいいのか、自分がうまくやろうとすることだけに意識がいってしまうことが多いが、まず、「相手の知りたいことを理解しようとする態度」が最初なのだろう。
態度にも価値がある
オーストリアの精神科医、ヴィクトール・E・フランクルによれば、人間が実現できる価値は、大きく3つに分類されるという。
まず、「創造価値」、仕事をすることや、何かを創造することによって生まれる価値のこと。通常、価値といえばこういう価値のことを言う。
それに対して次の価値は、「体験価値」。生み出す価値に対して、享受する価値と言うべきなのか、何かに夢中になることで得られる価値、自然や芸術に触れること、人とのつながりによって得られる価値のことだ。
そして、最後に、これが最も分かりにくい価値だと思うが、フランクルは最も重要だと言う「態度価値」だ。
プレゼンテーションに限らず、コミュニケーションにはさまざまな状況がある。ロジカルな問題だけではなく、さまざまな感情を持ったうえでコミュニケーションは行われる。お互いがつねに絶好調なわけではない。
態度というのは、意識、心構えと言ってもいいのだが、残念ながら、自分の意識は、他人には見えない。
だから、どれだけ気持ち、思いを持っていても、それが表情、姿勢、行動に表れない限り、相手には伝わらない。
ビジネスにおいて態度を表すには、必ず、表現として表す必要がある。「相手のことを理解しようと思う」気持ちを物理的に表わす必要がある。
確かに、私たちは、「あいつの態度が気にくわない」「素晴らしい態度だった」というように、態度に対する評価はもともとある。
しかし、これはあくまで、そう見えるという態度のことだ。
そう思っていなくても、相手は「態度が気にくわない」と感じることもある。
それぐらい「態度」は難しいということであり、だからこそフランクルは、人として身につけるべき大きな価値なのであり、「態度価値」と語っているのだろう。
プレゼンテーションするとき、相手のニーズを聞くとき、状況を理解しようとするとき、大きな力となる「態度の価値」の重要さをもっと知る必要がありそうだ。