日本が鎖国状態の江戸時代、出島に来日し博物学的な研究を行った「出島三博士」
みなさんは、江戸時代に日本で活躍した外国人を知っていますか?
「えっ、江戸時代って鎖国していたんじゃないの?」と思われる方も多いと思います。
実際、江戸時代はその大半が鎖国状態にあり、貿易相手はオランダと中国(+朝鮮、琉球、蝦夷を合わせる場合もあります)に限られていました。しかし、「出島三博士」と呼ばれる3人の外国人が日本で活躍していました。
今回の記事では、そんな「出島三博士」についてご紹介します。
※「出島三博士」については、出島の三学者(でじまのさんがくしゃ)という呼び方もありますが、今回の記事では、「出島三博士」という表現に統一してご紹介したいと思います。
オランダ人でも中国人でもない!?出島三博士とは?
出島三博士とは、江戸時代に出島に来日して博物学的な研究を行った3名を指します。その3名の学者とは、エンゲルベルト・ケンペル、カール・ツンベルク、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト。
3人は旅行記も残しており、それらは平凡社東洋文庫から刊行されています。
エンゲルベルト・ケンペルとは?
ケンペル想像画
エンゲルベルト・ケンペルは、ドイツ人の医師であり、博物学者でもありました。彼は、元禄3年(1690年)から元禄5年(1692年)まで出島に滞在し、長崎商館医として働きました。また、植物学に明るく、出島に薬草園も作りました。
さらに、ケンペルは大豆をヨーロッパに紹介した初めての人物でもあります。1712年に出版した『廻国奇観』(Amoenitates Exoticae)のなかで日本の植物をまとめており、大豆の解説は3ページにもわたりました。
カール・ツンベルクとは?
カール・ツンベルク
カール・ツンベルクは、スウェーデン人の医師であり、植物学者です。安永4年(1775年)から安永5年(1776年)まで出島に滞在し、長崎商館医として働きました。彼は、「分類学の父」として知られるリンネの弟子でもあり、日本の植物学や蘭学の発展に大きく貢献しました。
なお、日本にいるあいだに彼が採集した植物の標本800余種は、現在でもウプサラ大学に保存されています。
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトとは?
シーボルト
おそらくこの3人のなかで最も有名なシーボルト。彼はドイツ人医師であり、博物学者でした。文政6年(1823年)から文政12年(1829年)まで出島におり、長崎商館医としてだけでなく、鳴滝塾を開き、日本人を相手に医学や博物学を教えました。
文政11年(1828年)には、シーボルト事件(国禁となっていた地図を日本から持ちだそうとした)により翌年国外追放となりました。なお、植物学者としては、大豆の原種とされるツルマメの学名をGlycine Sojaと名付けたことでも知られています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。