早くから育成指導者として名を馳せ、現在も指揮官としての辣腕ぶりを見せる菅澤大我氏【写真:加部究】

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【“読売育ち”菅澤大我、気鋭コーチの育成論|第1回】日本代表選手も育てた菅澤監督、2018年にちふれASエルフェン埼玉の指揮官に就任

 菅澤大我は、気鋭の育成指導者として斯界では早くから名が響いていた。読売クラブ(東京ヴェルディの前身)で育ち、スクールでの指導から始めて2001年にはU-12日本選抜を指揮。やがて東京Vから名古屋グランパス、京都サンガF.C.、ジェフユナイテッド千葉、ロアッソ熊本の下部組織を渡り歩くなかで、森本貴幸(アビスパ福岡)、小林祐希(ワースラント=ベフェレン)、久保裕也(FCシンシナティ)、駒井善成(北海道コンサドーレ札幌)らの指導に携わってきた。

 だが2018年に、一転なでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ)2部のちふれASエルフェン埼玉の監督に就任。昨年末の皇后杯全日本女子選手権では、準決勝で国内三冠の日テレ・ベレーザを相手に一歩も引かない互角の展開を披露(延長の末に1-2で敗戦)し、改めて指揮官としての辣腕ぶりを見せつけた。

 その菅澤が「女子の指導は、今、男子を見ている人たちも絶対にやったほうがいい」と力説する。

「今までなら怒鳴って済んでいたことが済まされない。男子とは思考回路が違う。少しでも論理性に欠けたら無視されます。話すことがすべて繋がっていかないと納得してくれません。おそらく多くの男子しか指導経験のない監督たちは、彼女たちから合格を出してもらえないでしょうね」

 最初は女子チーム監督のオファーに抵抗があった。2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行して、なでしこジャパン(日本女子代表)の海外遠征が取り止めになり、代わりに菅澤率いるヴェルディ・ジュニアユースの中学1年生男子チームがトレーニングマッチの相手を務めた。結果はヴェルディ・ジュニアユースの圧勝だった。

「『こっちは中1だぞ、(代表なのに)こんなに弱いの!』と驚きました。スピード感、テクニックも含めて面白くないし、この時の記憶が強烈に刷り込まれ、自分には女子(の指導)はないんだな、と思っていました」

 ところが実際に仕事を始めてみると「超面白い!」に変わった。

 もともと菅澤は“論理的であること”を意識し続けてきた指導者だった。それでも女子選手たちを前にして「発する言葉一つひとつで、どういう反応になるのか、凄く考えるようになった」という。

女子の指導は「凄く勉強になる」―答えを模索する日々

 一度、面白い実験をした。

「これから5分間だけ、ネガティブなことを言い続けるぞ」

 菅澤はそう宣言すると「何が見えてんだよ!」「この時どこに止めてんだよ!」などと、選手たちをなじり始めた。すると早速、矢継ぎ早に冷淡な反応が突き刺さって来た。

「マジ、嫌なんだけど。それ3分にして」
「これで燃えるほうがおかしいでしょ」
「ホント、女子のこと分かってないよね」

 昨年の沖縄合宿で、J1の札幌と同宿した。京都のユース時代に指導をした駒井が挨拶に来たのだが、菅澤の部屋の前で直立不動だったという。

「高校時代に、だいぶ“やっつけて”ますからね。きっとその恐怖心があった。でも女子には、そういう方法がまったく通用しません。『全然動く気になんな〜い』とか平気で言われますから(笑)。カリスマの“カ”の字も与えてくれない」

 エルフェンのトレーニングでは、「笑って」「楽しんで」の声かけを頻繁に行っているという。

「笑って、と言えば体の力が抜ける。逆に『どこ、止めてんだよ!』と怒鳴られれば、体は硬くなりますよね。どちらが上手くなるかは明白。吸収の仕方が違う。男子には、もっと厳しく接してきましたが、ここではできるだけ気持ちの良い環境でやってもらおうと考えています」

 昭和で一世を風靡した女子バレーは、猛特訓を課し反骨心を引き出して結果を出してきた。当初は菅澤も、女子はそのほうがやる気を出すのかと思っていた。だが、時代は変わった。

「(女子の指導は)凄く勉強になる。今でもどの言葉が響き、どれが届かないのか、全然分かりません。でも、とにかく選手たちがサッカーに集中できているのは確かです。ストレスなくやれていますよ」

 いかにも読売育ちらしく、菅澤は豪放磊落に語り続けた。(文中敬称略)

菅澤大我(すがさわ・たいが)

1974年6月30日生まれ。96年に自身が選手として所属した読売クラブ(現・東京V)ユースのコーチとなり、元日本代表FW森本貴幸、日本代表MF小林祐希ら多くの逸材を発掘し育てた。2005年限りで退団すると、その後は名古屋、京都、千葉、熊本とJクラブの下部組織コーチを歴任。18年になでしこリーグ2部のちふれASエルフェン埼玉の監督になると、昨季の皇后杯ではクラブ史上初のベスト4進出に導いた。(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究
1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記〜青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。