世の中には腹立たしいことは数あれど、いまはこれが一番、いい加減にして欲しいと怒り心頭に発したくなるのが新国立競技場問題だ。先日、五輪後は球技場に改修されるという話が、あっさりご破算になった。9割方完成したいまこの時期になって、だ。陸上競技場として、五輪後もそのまま利用されるのだという。
 
 怒りの源泉は、ハイそうですかと、泣き寝入りではないけれど、素直に頷くしかないところだ。キチンとした議論がオープンな場で成されているならともかく、こんな重大なことが工期の終盤、唐突に報じられることがなにより腹立たしい。そもそも、この新国立競技場の建設計画は誰が音頭を取っているのか。日本スポーツ振興センターだとするなら、主導しているのはその中の誰なのか。個人名が出ないところに問題の根の深さを感じる。せめて記者会見ぐらいは開かれるべきである。
 
 その手の話を右から左へただ垂れ流すメディアも、それと同じくらい問題だ。こちらもその一員ながら、フリーランスにはほぼ一切、何もお知らせは届かないので、傍観しているしかないのだが、これは約1500億円の巨費を投じて建設されている、おそらく日本で一番でっかい建物である。仔細にチェックするのがメディアの役割である。
 
 なぜ問題にしようとしないのか。陸上競技場として活用するか、球技場として活用するか。これについて論じようとしないというのは、どうかしている。そしてそれがなぜ二転三転するのか。
 
 この国立競技場問題には、率直に言って日本のスポーツ文化の貧しさが凝縮されている。建築家任せ。ザハ・ハディド案の時からそうだった。日本としてどんなスタジアムが作りたいのか? コンセプトはこちらが提示するモノだ。意見を出し合って一緒に作るべきものなのだ。
 
 アスリートファーストと称し選手に意見を求めるのは結構だが、スタジアムの場合、主役は観客だ。観客ファーストでなければならないが、話の過程を見ていると、その視点はほぼゼロだ。なぜそうした事態に陥るのか。繰り返すがスポーツ文化がないからだ。スタジアム文化、観戦文化に欠けるからだ。
 
 日本国内に満足に値するスタジアムはいったいいくつあるのか。申し訳ないが、レベルに達していない旧態依然とした酷いスタジアムばかりだ。例外はごく僅か。日本が世界に対して遅れているものがあるとすれば、スタジアムは真っ先に来る。しかしそれ以上に問題なのは、そのことを自覚している人があまりにも少ないことだ。Jリーグの各ホームスタジアムを見れば一目瞭然。例外はわずか。合格点を出せるスタジアムはほとんどない。
 
 一番わかりやすい例は、先日、チェルシー対川崎フロンターレ戦が行われた横浜国際日産スタジアムだ。2002年日韓共催W杯では決勝戦をはじめ数試合が行われた主要会場の一つだが、過去のW杯決勝でここまで眺望が悪いスタジアムはなかったのではないか。

 少なくともこちらはW杯だけでも過去10回、少なくとも100以上のスタジアムに出向き、観戦している。ユーロやコパアメリカ、チャンピオンズリーグや五輪、それに日本を含めた各国のスタジアムを併せるとその数は1000近くにも及ぶ。自分で言うのもなんだが、結構数をこなしている。それらと比較して横浜はどうなのか。ワーストと言いたくなる。傾斜角が緩すぎて全体図が掴みにくい。サッカーのゲーム性に迫りにくい、サッカー観戦には適していないスタジアムだ。

 アクセスも悪い。2002年の日韓共催W杯で、準決勝の会場となったさいたまスタジアムは、こちらは交通アクセスがワーストになる。

 サッカーファンの間では、こうした話は共有されているが、ニュースとして取り上げられることはない。ほとんどのメディアは問題視していない。大手、特にテレビがダメだ。遅れている。スポーツ文化を語る時間的な余裕が不足している。