年金は巨大な「国営ねずみ講」だから、負の所得税に一本化すべきワケ

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年金は巨大な国営ねずみ講である

「年金」に関する議論が盛んだが、大前提が抜け落ちていると思う。それは、「年金」というものが、国営の巨大なねずみ講であるということである。

日本でもっとも古い年金制度は、1875年に公布された「軍人恩給」であると考えられている。その後、公務員向けにたくさん作られた恩給制度を1本にまとめた「恩給法」が1923年に制定された。

日本で最初の企業年金は、鐘淵紡績(カネボウ)の経営者がドイツ鉄鋼メーカの福利厚生を研究して1905年に始めた。

本格的な「国民皆年金」のスタートは、1941年の「労働者年金保険法」であろう。戦時中ということで、異論もあったが、年金の支払いは数十年先であるのに対して、保険料は日銭で入ってくるので「当面の戦費調達」のために始めたとされる。

つまり、国営ねずみ講の胴元は日本国政府であり、手にした「上納金」は戦費などで蒸発してしまったということである。

これは、戦後の年金制度でも同じだが、ねずみ講同様、年金を始めた当初は信じられないほどの資金が流入する。

もちろん、それらは将来の年金の支払いのために、大事に預かり堅実な運用によって増やさなければならない。少なくとも民間の保険会社は年金保険を含めた商品でそのように運用している。

胴元の役人たちが食い荒らした

ところが、採算や将来のことなど考えもしない官僚・役人、さらには政治家によって「今こんなに金が余っているんだから……」という浅はかな考えで、現在のわれわれが受け取るべき資金を「年金ナントカ」と呼ばれるような多種多様な事業でばら撒いてしまった。

もちろん、官僚・役人・政治家は、国民に還元しようなどと思ったわけでは無い。その資金をばら撒くことによって、政治家は票を、官僚・役人は自分たちの天下り先を大量に獲得したのだ。

したがって、現在の日本が抱える年金問題のかなりの部分は、彼らの悪行によるものだ。しかし、数十年前に始まったねずみ講の胴元が湯水のごとく使った資金を取り返すのが困難であるのと同様に、悪徳官僚・役人・政治家が奪った資金を国民が取り返すことなどできない。我々国民の声はあの世までは届かない(もし届いても返事は無いだろう……)。

もちろん、このような問題は当時から識者が指摘していたのだが、「どうせ俺たちが死んでから問題になるだけさ」と高をくくって何もしなかった。そして彼らの思惑通りにことが運んでしまったのである。

ちなみに、国民健康保険も実際に活用できるのは、高齢になって病気がちになってからという意味で、年金と同じねずみ講である。

また、現在、かんぽ生命の問題がクローズアップされているが、「国営」時代にかんぽの宿で壮大な無駄遣いをし、結局ただ同然で売り払わなければならないという事態に陥った。しかし、誰もまともに責任をとっていないはずである。

かんぽ生命の勧誘方法はあまりにもえげつないが、かんぽ生命だけでは無く、「似たような金融機関」などで、認知能力が衰えた老人を相手に同じように卑劣な営業がまかりとおっているという噂は20年くらい前から絶え間なくあった……。

当時は、コンプライアンスが今ほどうるさく言われなかったので、家族が知らないような資産の強奪は闇に葬られたと考えられる。

さらには、年金同様「あけてみたら金庫が空っぽだった」という状況に陥っているかもしれない。

借金(国債)を本当に返した国は無い

金融機関の経営上のリスクを算定する上で、自国の国債は最もリスクが低いと算定される(少なくとも先進国では……)が、本当にそうだろうか?

例えば、日本の歴史上「徳政令」なるものがたびたび発せられている。庶民もこの恩恵を受けたが、主たる目的は幕府や藩の借金の踏み倒しである。当時の幕府や藩が借金で首が回らなくなっていたからだ。

戦時中の1944年には、国債の発行残高がGDPの2倍以上(現在で言えば1000兆円以上に相当)になったため、預金封鎖が行われ、その調査結果に基づいて財産税が課された。

そして、戦後の激しいインフレーションの中で1946年、新円切り替えと同時に「預金封鎖」が行われた。

江戸時代の豪商たちも後で後悔したと思うが、「絶対金を貸してはいけない相手の筆頭は『政府』」なのである。いくら理不尽に踏み倒されても泣き寝入りすることしかできない。

現在、1944年当時と同じ水準の借金を抱える政府の国債を、無いも同然の低い金利で保有することなど馬鹿げた行為である。

日ごろ、官僚・役人や政治家の行いに対する不平・不満・悪口をよく聞くが、その彼らが運営する「政府」を信用すること自体、どうかしている。

筆者が知る限り、国債によって国民や外国人(外国政府)から借りた金を、耳をそろえて返した事例など、少なくとも主要国では存在しない。

新たに国債を発行してその資金で返済するのはよくあることだが、これは「自転車操業」であり、新たに借り換えができなければ倒れるしかない。

もちろん、日本のように1300年も続く政府は例外的(ただし、借金の踏み倒しはしばしばあった)であり、一般的には良くて200〜300年、通常は数十年程度の寿命しかない「国家」など信用に値しない。その国家が運営する年金制度に頼ることなど、根本から間違っている。

結局、「借金問題」はほとんどの場合、政府の破たんや踏み倒しによって、「解決」される。いずれの場合も、国債を保有する人々は莫大な損失を被る。

国債も、最初の参加者が莫大な恩恵を受け、最後の参加者が大損するねずみ講なのである。

そもそも、戦時中に発行した過大な国債に苦しんだ経験を持つ戦後の日本では、「赤字国債(借金の返済のために発行される国債)」は厳しく禁じられていた。

しかし、「ねずみ講の胴元」になってがっぽりと儲ける誘惑に抗いきれない官僚・役人・政治家によって、その制限がなし崩しにされ、現在の惨状が引き起こされたのである。

少子化対策に終身雇用と年金改革と金利引き上げを

このような惨状の中で、若い世代が将来に不安を持ち、青春を謳歌することなくせっせと貯蓄に励むのも、自然な流れだ。

特に大きな問題が、将来不安のために子供をつくらないという選択が増えてくるということである。これは、少子化によってさらに将来不安が生じて出生数が減るという悪循環の道へ突き進む。その結果さらに年金不安が高まるというわけである。

このような問題に対処するには、まず、1月25日の当サイト記事「バフェットが実践する『実力主義の終身雇用』こそが企業を再生する」で述べた様に、終身雇用(ただし実力主義)をきちんと企業に普及させて、生活を安定させることが大事だ。しかし、これは民間企業の努力の問題である

また、金利を引き上げて、老後の資産運用にも安心してもらわなければならないが、これは当サイト4月26日の記事「『バブル』は続くよどこまでも…もう誰も金利を上げることができない」で述べたように、勇気を持って「金利引き上げのボタン」を押す人間がなかなか現れない。しかし、100万円の預金につく金利が、現在一般的な0.001%として年間10円というような状況では、老後不安が増すのも仕方が無い。

また、すでに述べた様に、本来保管しておくべき資金を上手に運用していれば、現在の年金問題は生じなかったかもしれない。

例えば、投資の神様ウォーレン・バフェットの過去半世紀の運用利回りは年間約20%であるから、もし彼が運用していたら十分な年金支払いができるどころか、国民一人一人に自宅や高級車をプレゼントできる金額になっていたはずである。

100万円を30%で複利運用すれば、信じがたいかもしれないが、30年後には2億6200万円になるのである!

もっとも、バフェットは88歳という高齢であるし、民間のファンドマネージャーの運用利回りはサル以下(市場平均以下、サイコロを投げた方がましということ)であるから、親方日の丸の年金運用担当者の能力はミミズ程度と考えて間違いない。

年金は自分で管理したほうがまだましだ

結局、政府=官僚・役人・政治家に資金を預けてやりたい放題されるよりも、自分で運用したほうがまだましということである。

別に「国営年金」に頼らなくても、民間の年金プランは既にたくさんあるし、「自由化」が行われれば、激しい競争の中さらに魅力的なプランも色々と出てくるはずだ。

もちろん、自分で運用してもいいが、うまくいくとは限らない。ただし少なくとも官僚・役人・政治家に盗まれることは無い。

注意すべきなのは、世の中の金融機関というのは悪辣なかんぽ生命と大差はないから、顧客の有利になるような商品など絶対に勧めてくれないということである。

もし、運用がうまくいかなかったり、民間の保険会社が倒産したりしたらどうするのかという不安もあるだろうが、倒産に関しては、銀行の預金保険機構のような仕組みを保険会社に適用すればよいだろう。

そして、もし、自分自身での運用がうまくいかなければ、生活保護を受ければよいのである。

現在の国民年金の受給額は(日本国憲法に定められた「健康で文化的な最低限度の暮らし」を保証する)生活保護受給額の3分の1程度しかないのだから、年金を満額もらえたところでまともな生活などできない。

現状であれば、生活保護を老後の設計に組み入れたほうが確実だ。受給者が多くなれば、政府の徳政令が発せられるかもしれないが、その時には年金も破綻するであろうから同じである。

負の所得税を導入すべき

負の所得税という言葉は、読者になじみが無いと思うが、詳細は当サイト1月21日の記事「所得が低ければ税金をもらえる『負の所得税』は世界を変えるか?」で詳しく述べている。

ベーシックインカムと違うのは、生活保護のようにばら撒くのではなく、働いてそれなりの収入を得ればメリットがあり、勤労意欲が失われない点である。

もちろん、年金も健康保険も各種手当・補助金をすべて廃止して、負の所得税に一本化するのである。

1976年のノーベル経済学賞受賞者であるミルトン・フリードマンが提唱したシステムだが、すばらしいのは、官僚・役人・政治家の関与をほとんど許さないというシンプルさである。

例えば、年金定期便を見て年金システムをすぐに理解できる人は少ないし、医者や薬局から受け取る明細を見て、どの治療や薬にいくら払ったかすぐにわかる人はほとんどいないはずだ。

官僚・役人が、やたら複雑で難しいことをやりたがるのは、国民にその実態を隠し悪事を働くためだと言っても過言では無い。もちろん、複雑なシステムであるほど、官僚・役人の雇用と権限は増える。

だから、少々過激にも思えるが、制度疲労に陥った年金、保険、補助金などのすべてのシステムをすべて御破算にして、「負の所得税」という、国民の誰が見てもすぐにわかるシンプルなシステムに一本化するべきなのである。

言ってみれば、戦後70年間つぎはぎだらけでなんとか持たせてきたポンコツ自動車に乗り続けるよりも、少々費用はかかっても新車に乗り換える方が合理的であるということだ。

なお、官僚・役人・政治家は、「公的年金は賦課方式で現役世代の払い込みが受給世代の給付金を直接的に支えるシステム」と説明するが、もしそうであれば、支える受給世代がいなかった時期の保険料がどのように使われたのか(ねずみ講問題)をきちんと説明すべきである。

さらには、積み立て型でないのならば、「税」と同じであり、負の所得税に一本化すべき理由がますます増える。