有料老人ホームは「終の住処(ついのすみか)」になるとは限らない。多額の入居金を払っていても、認知症の発症などを理由に一方的に退去を命じられることがあるのだ。「終身契約」の落とし穴について、看護師・保健師の坂本諒氏は「一時金すら返還されないこともある」と警鐘を鳴らす――。
70代のとき有料老人ホームに終身契約で入居。これで安心と思い込んでいたら……。(写真はイメージです。 写真=iStock.com/akiyoko)

■「最期」までそこに住み続けられるはずだった

高齢化が進むわが国では、65歳以上の人口は2045年まで、75歳以上の人口は2055年まで増え続ける。団塊の世代が75歳を超えて後期高齢者となる2025年、国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上となる。

65歳以上の高齢者のうち、認知症を発症している人は、2015年の時点で約500万人。2025年には、その数が730万人まで増加し、65歳以上の5人に1人が認知症を発症するとみられている。そうした中で、多額の入居金を支払って有料老人ホームに入居したにも関わらず、認知症の発症を理由に一方的に退去を申し渡され、金銭トラブルとなる事例が発生している。その具体例を紹介したい。

生涯おひとりさま、80代前半の女性。働いてひとりで生きて、貯蓄もした。唯一の家族は、遠方にいる90代の姉。しかし、もう何年も会っていない。70代のときに、自ら選んだ有料老人ホームに入居した。入居金の1500万円は、一括で支払った。「最期」までそこに住み続けられるはずの、終身契約であった。

入居後、初めは難なく生活していた。しかし80代に差し掛かり、状況は変わった。筋力の低下により、転倒するようになった。さらに、認知機能が低下し、認知症を発症した。

ある朝、老人ホームの廊下で転倒した。ヘルパーが介助しても、痛みが激しく起き上がれない。救急車で、病院に搬送された。診断は、大腿骨頸部骨折。手術が必要だった。彼女は、自分の身体の状態が分からなかった。骨折しているにも関わらず、ベッドから起き上がろうとした。病院では、その様な状況において、安全確保のための拘束をする。彼女は、安全確保のための拘束のもと、手術やリハビリを受けた。

術後の経過は良好だった。1カ月以上かけてリハビリを行った。幸い、見守りと軽介助で歩くことができるようになった。彼女は、入院から2カ月程度で、老人ホームへ戻ることになった。担当の看護師が、引き継ぎの書類に“歩行時の見守りと軽介助が必要なこと”を記載した。

■「うちで看ることはできません」

彼女が入居した老人ホームは、24時間対応をうたっていた。日中は看護師、夜間は介護士が常駐している。しかし、24時間の完全な見守りは難しい。

退院した翌朝、彼女は再び転倒してしまった。巡回をしていたヘルパーが、トイレの前で倒れている本人を発見した。結局、骨折の疑いで救急搬送され、再入院となった。検査により、今度は別の部位に骨折が見つかった。

手術の適応ではなかったため、保存療法を受けることになった。装具で患部を固定し、可能な範囲でリハビリを行った。ベッド上で安静を保たなければならなかったが、彼女はその必要性を認識できていなかった。痛みは知覚できるが、認知機能の低下により、骨折していることが分からず、自分の身を守れない。前回の入院と同様、安全確保のための拘束をする対応となった。

保存療法の経過から、完治して老人ホームに戻ることは難しかった。有料老人ホームの経営者と管理者は、「拘束が必要な認知症患者は看ることができない。一応、倫理委員会で検討するが、難しいだろう」と話した。

多額の入居金を支払って、この待遇だ。ひとりで働いて貯蓄し、老後の頼りと入居した場所から、このような形で追い出されるとは、彼女は想像もしなかっただろう。最期まで過ごすという契約であったが、違約金は発生しなかった。入居金を含め、何も返金されていない。

■「事実上身寄りなし」で施設探しも困難に

有料老人ホームの経営者にとっては、ビジネスモデル上、死亡を含めて早期に退去させるほど儲かる。月額の費用が同じならば、入居者が入れ替わる度に発生する入居金を、多く発生させた方がよいというわけだ。

病院側は、本人の居場所を一から探した。不幸中の幸い、リハビリ病院への転院が可能な状況だった。転院して3カ月はしのげる。急性期の病院ができることはここまでだ。

この事例のように、唯一の身寄りが遠方の90代の姉といった「事実上身寄りなし」の場合、リハビリ病院に転院した後、その先に入院できる病院や入所できる施設が見つかりにくい。老人保健施設を転々とすることもある。骨折からの回復がうまく行かなければ、死ぬまで拘束や鎮静をするような病院の空きを待つしかない。

身寄りがなければ、こうしたときに誰も守ってはくれないのだろうか。貯金があるからお金で解決できると、安心しきるのは考えものだ。有料老人ホームへの入居にあたっては、そこで人生の最期までを過ごすという終身契約であっても、具体的な契約内容を確認しておかなければならない。

看取りまでと言っても、どの程度のケアや医療対応を行ってくれるのか。経管栄養や人工透析、がんの終末期ケアなどは、対応できないとしている施設も少なくない。冒頭のケースの彼女は入居当時、認知症を発症していなかったが、入居後に認知症を発症した場合の対応についても事前に確認しておくべきだったのだろう。

■管理者の方針で退去せずにすむケースも

この事例とは対照的なケースもある。東京都足立区のサービス付き高齢者住宅、銀木犀(ぎんもくせい)西新井大師に入居している、認知症を発症した90代の女性だ。

ある日、転倒してしまい、大腿骨頚部を骨折した。彼女は3カ月入院し、骨折の手術を受けた。彼女も認知症による認知機能の低下により、自身の状況が分からなかった。骨折をしたことも、患部を安静にするために動いてはいけないことも、理解できなかった。結局、入院中は先の女性と同様に、拘束をされていた。

病院は、治療を目的に入る場所であるため、入院中の安全管理は致し方ない部分がある。
しかし、その後の生活に管理は必要かと問われたら、どうだろうか。当然、誰も管理はされたくないはずだ。生活の場に戻ってからも拘束を受けることに、尊厳はない。

退院前、サービスを提供している支援者が集まり、今後の方針を話し合った。高齢者住宅に戻っても、再び転倒をするリスクはある。同居している夫も認知症を発症していたため、常に妻を見守ることは難しい。それでも娘は、「夫婦で生活させてあげだい。」と話した。さらに、「拘束をしてでもいいから、戻ってもらいたい。」と付け加えた。娘から、高齢者住宅の職員への気遣いだった。

それに対し、銀木犀西新井大師の管理者、麓玲子さんは、「銀木犀では、絶対に拘束をしません」と返した。麓さんは、可能な範囲で転倒のリスクを回避する方法を考えた。「100%の安全はありませんし、明日転ぶリスクもある。けれど、本人が動きたいのであれば、リスクを減らす方法を考えます。動いて危ないのであれば、動けるようにする方法を考えればいい」と家族に伝えた。娘も、「万が一転んでも大丈夫。リスクは承知。それよりも本人の尊厳を大事にしたい」と答えた。

■本人の自由を奪わない生活

まずは、本人の生活環境と動線を確認した。床からの立ち上がりが難しい状況であったが、何かにつかまれば立ち上がれる。麓さんは、「認知症があっても、転びそうになった時は、本能で何かにつかまる。本能を活かせるように、近くにつかまれるものがあればいい。同じ転倒でも、つかまって転倒した場合は、衝撃も少ない」と話した。

そこで、部屋の動線に、福祉用具のポールを複数本立ててみた。初めはポールにつかまりながらはう状況だったが、徐々にポールをつたって歩くことができるようになった。2カ月後には歩行器で歩けるようになり、半年後には何も使用せずに歩いていた。その間、訪問リハビリや通所リハビリは利用していない。

退院から2年がたった今、本人は90代半ば。杖や歩行器を使用せずに歩いている。2年間で2回ほど、尻餅をつくことはあったが、負傷に至った転倒はない。自分の意思で自由に動けることが、最大のリハビリになった。拘束などの制限をする施設や病院であれば、ここまで回復しなかっただろう。

拘束をされない分、精神的ストレス負荷も最小限になる。麓さんは、「メンタルの安定に勝るリハビリはない。」と語る。“本人の自由を奪わない生活”は、普通のリハビリ以上の効果を発揮する。「管理よりも大切なものがある」と麓さんは言うが、その通りだろう。「高齢になって骨折したら、寝たきり」という常識は、医療従事者の決めつけにすぎなかったのかもしれない。

認知症を発症しても穏やかに暮らすために

将来の自分を守るためには、どうしたらよいのだろうか。紹介した対照的な2事例から分かるのは、認知症を発症した人への対応に違いがあることだ。

施設や高齢者住宅を選ぶ際は、この点に注目する必要がある。まず、必ず実際に見学し、「認知症を発症している人がいるか」「認知症を発症している人も穏やかに暮らしているか」、この2点を、話を聞くだけではなく、観察する。

次に、入居者とも話した方が良い。「どのようなスタッフが居るか」と聞くと、良い情報も悪い情報も教えてくれる。具体的な契約内容は管理側に確認するしかないが、日々の生活やケアについては、有益な情報が得られる。

最後に、スタッフにも「なぜこの場所で働いているのか」と質問し、前後の経歴を含めて話を聞くと、考えて行動している人か、信念を持って働いているか否かが分かる。

医療や福祉は、専門職によるサービス業だ。保険サービスであっても自費サービスであっても、“利用者がどのように生きていきたいか”を踏まえ、サポートする。その内容は、実際にサポートを提供する「人」に左右される。そして、「人」についての有益な情報は、他人任せでは得られない。

老後を穏やかに暮らせる環境を得るために必要なものは、お金だけではない。そのことを踏まえ、医療や福祉を選択していきたい。

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坂本 諒(さかもと・りょう)
看護師・保健師
1991年北海道札幌市生まれ。2010年4月に北海道医療大学に進学。卒業後、総合病院で3年間勤務。2017年4月より、都内の訪問看護ステーションで勤務。医療ガバナンス研究所研究員。

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(看護師・保健師 坂本 諒 写真=iStock.com)