当時、ハーバード大学に留学する日本人といえば、経済学部出身で、金融機関に数年勤めてから留学する20代半ばの若者が多かった。彼らは頭は切れるが、バックグランドが似ているので、どうしても発言内容も似てしまう。

 一方の私は松下電器の駆け出しのころ、溶接の技術者としてハンダゴテを片手にモノづくりの現場を駆けずり回っていた。そんな人間はハーバード・ビジネススクールにはまずいない。表現力はなくとも、(製造現場やメーカーの視点からすると…)といったように、実務経験に根ざした発言ができたことが強みになったのではないか。

異文化は五感を働かせてこそ理解
 理論上は2年生でも落第は起こり得る。そのため、私は相対評価ではなく、落とされにくい絶対評価の授業を優先的に選んだ。本来は土地勘のない分野を勉強すべきかもしれないが、製造業や技術といった得意な分野ばかりを受講した。「落ちない」ことが判断基準だったからだ。(こうして卒業したことへの反省から)やり直したいという気持ちがまったくないわけではない。
 
 子どものころ、「人を押しのけて話してはいけない」と言われて育ってきた。だが、ハーバード・ビジネススクールを授業ではそんな心持ちではだめだ。授業ごとに気合いを入れ、鬼気迫る思いで発言してきた。

 そんな日々だったものだから、松下電器に戻ってからは、ずいぶんアグレッシブな性格になっているなと我ながら感じたものだ。社内で働いていても、「日本人はしゃべらないな」だとか、「しゃべらないのはフェアじゃない」なんて思ったこともあった。

 よくMBAを取得する意義や、MBA取得後のキャリア計画についての質問や相談を受ける。私は、まずはそうしたことを忘れて、一所懸命に毎日を過ごすのが一番だと考えている。

 情報化社会でも、アナログな情報はアナログなところにもっとも集まる。ビジネスの最先端を目指す精鋭達が議論を戦わせている現場で、その空気を吸うだけでも意味はある。

 多様性を学ぶ機会としても貴重だ。異文化は五感を働かせてこそ理解できる。こんな人がこんな生活をしているといったことを現地で目の当たりにしてこそ、異文化を納得できることもある。

(文=大阪・平岡乾)