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●「市販の電池で10km」鳥人間の常連チームが挑戦
2016年11月6日。滋賀県彦根市の彦根港から、1機の飛行機が琵琶湖の空を舞った。

彦根港のすぐ隣、松原水泳場はテレビ番組「鳥人間コンテスト」の舞台で、飛行機も人力飛行機にそっくり。その意味では、琵琶湖では毎年見慣れた光景と言えなくもない。しかし、飛び立った飛行機には別の意味で見慣れたマーキングがされていた。パナソニックの乾電池「エボルタ」の鮮やかな青い文字だ。そのチャレンジの模様をレポートしよう。

○鳥人間、エボルタチャレンジに参戦

パナソニックの「エボルタチャレンジ」と言えば、2008年にロボットでグランドキャニオンを登って以来毎年、乾電池「エボルタ」を使ってびっくりするようなチャレンジをしてきた企画。2016年に白羽の矢が立ったのは、人が乗った飛行機を飛ばし、ギネスブックに登録することだった。

乾電池のパワーでも飛ばせる軽量な飛行機と言えば、人力飛行機。というわけでパナソニックの協力依頼に応じたのが東海大学人力飛行機チーム、略称TUMPA(ツンパ)だった。TUMPAは毎年琵琶湖で開催される「鳥人間コンテスト」の常連チームだが、今年は大会に出場していなかったこともあり、乾電池飛行機の製作に全面協力することになった。

設計とパイロットは、東海大学工学部の鷹栖啓将(たかのすけいすけ)さんが兼任した。鷹栖さんは2015年の鳥人間コンテストでパイロットも務めているが、今回はペダル漕ぎはしないので、トレーニングで筋力をつけることはせず、体重の軽さと操縦経験を活かしての再登板ということになる。

○ギネスブックの条件は「市販の電池で10km」

乾電池飛行機の世界新記録を目指す今回のチャレンジだが、これ以前からそういう記録があるわけではない。ギネスブックに「乾電池による有人飛行」という部門を新設しての記録挑戦だ。

新設部門だから、飛行距離が1mでも世界新記録になってしまうわけだが、それで登録してくれるほどギネスブックは甘くない。登録の条件は「最低10km飛行すること」と決められた。また、使用する乾電池は市販品であることも定められたが、もちろんパナソニックの乾電池「エボルタ」を使うということでこの点は全く問題ない。

使用する「エボルタ」は単3型で、640本。後述するが、人力飛行機にとって640本のエボルタのパワーは充分すぎるものだ。しかし、フルパワーを出し続ければ当然、文字通り「電池切れ」になってしまう。10kmを超えてどれだけ飛べるかは、飛行に必要なパワーを抑えるTUMPAの技術と、「パワーと長持ち」の両立を掲げるエボルタの性能にかかっている。

○人力飛行機をベースに新設計

パナソニックの依頼を受けたTUMPAが設計した乾電池飛行機は、それまでの人力飛行機と基本的には同じレイアウトで、遠目には区別がつきにくい。大きく変わったのは、機体の重量とサイズだ。

鳥人間コンテストには飛行距離を競うディスタンス部門と、飛行速度を競うタイムトライアル部門がある。2015年までTUMPAが出場してきたのはタイムトライアル部門で、飛行速度は秒速10m(時速36km)程度とディスタンス部門の秒速7mよりかなり速い。その代わり、主翼は幅20m強と、ディスタンス部門の30m前後と比べてコンパクトだ。機体重量は30〜40kg程度で、パイロットの体重の方が重い。

それに対して今回のエボルタチャレンジ機は、機体重量が77kgと人力飛行機の2倍もある。これは640本の「エボルタ」乾電池やモーター、制御回路などの重量が加わったためだ。パイロットと合わせた総重量は130kgで、人力飛行機よりざっと5割ほど重い。このため主翼全幅は26.2mと、TUMPAとしては大型の機体になっている。そのぶん機体構造の強化が必要なため、外見のイメージとは裏腹に、機体は人力飛行機の改造ではなく完全な新規製作になった。

○乾電池のパワーは1000W!人力飛行機よりはるかに強力

乾電池と言うと非力なイメージも受けるが、なにしろ640本も搭載しているので、モーターのパワーは1000W。人力飛行機のパイロットは自転車競技の選手並みに鍛えているが、それでも連続して出せるパワーは200W台ぐらい。短時間ならその2倍ぐらい出せるが、そのあとは疲労してパワーを持続できなくなる。

総重量が1.5倍あっても、人力飛行機の数倍のパワーが出せるのだから乾電池飛行機の方がはるかにパワフルだ。パイロットの鷹栖さんは「人力と違って、パワーを上げてもそのあと疲労することもない。パワーがありすぎて、速度を調整することの方が難しい。足で漕ぐ方が、直感的に調節できるので」と、鳥人間コンテスト出場経験者ならではの感想を語った。

なお、TUMPAが乾電池飛行機を作るのは初めてのこと。モーターなどのノウハウはどうしたのか聞いてみると、東海大学ではライトパワープロジェクトとして、人力飛行機以外にもソーラーカーを作っているので、そちらの手を借りることができたと。そうだ、東海大学と言えばソーラーカーレースでも世界トップクラス。TUMPAだけでなく、東海大学ライトパワープロジェクトの総合力があってこそのエボルタチャレンジ参戦なのだった。

○強風の11月3日はフライトを断念

エボルタチャレンジはまず11月3日に設定された。離陸場所となる彦根港では前日の日没まで、最後の調整を兼ねて離陸練習が行われていた。

人力飛行機の飛行は通常、1日で最も風が弱まる早朝に行われる。飛行速度が7〜10m程度の人力飛行機にとっては、数mの風でも強風なのだ。乾電池飛行機でもその点は変わりがない。本番の機体組み立ては午前0時頃から開始され、報道陣に公開された午前3時にはほぼ完成していた。

日の出は6時20分頃なので、空が明るくなる6時から離陸セレモニーを始め、6時30分頃の離陸が予定されていた。しかし、ほぼ無風だった風は5時頃から急に強まり始め、6時頃には離陸困難な風になってしまった。パナソニックとTUMPAはこの日のチャレンジを断念、予備日の6日に延期となった。

●ギネス記録ならずも、チャレンジは続く
○11月6日、ついに琵琶湖の空へテイクオフ

6日の天気予報は3日よりはだいぶ弱い風になっていたが、それでも湖面上の風は5m程度になりそうな予報だった。3日は機体をセレモニー会場で組み立て、セレモニー後に移動する計画だったが、6日は離陸位置となる滑走路の端で機体が組み立てられ、離陸セレモニーもそちらで行われた。少しでも早く離陸しようという配慮だ。

6時40分、エボルタチャレンジ機はついに離陸した。風はやや強まり始めたものの正面方向、体感で2、3mといったところで、鳥人間コンテストなら「絶好のコンディション」と誰もが思うだろう。自転車のチェーンのような人力飛行機の音とは違う、電気自動車そっくりの「ヒュオーン」という音を響かせた機体は、130kgの重量を感じさせない加速で軽々と離陸。護岸を飛び越えるとあっという間に小さくなっていった。まさに、エボルタのパワーを見せつけるような見事な離陸だった。

○突然の暗転、まさかの着水

離陸を見届けたTUMPAのチームメンバーは、片付けを終えるとバスへと移動した。エボルタチャレンジ機は彦根から南西へ飛行、10kmの記録を達成した場合も飛び続け、大津方面へ飛行する計画なので、ギネス認定式などは大津市の「米プラザ」で行われる予定だからだ。順調なら、時速30km以上で飛び続ける乾電池飛行機の方が先に大津へ到着してしまう。取材陣は10km地点通過を生中継で見届けたあと、バスで後を追う予定になっていた。

しかし、バスへ乗り込む途中でTUMPAメンバーの動きが止まった。スマートホンで生中継を見ていた人から「着水したようだ」と声が上がる。まさか?早すぎる。パナソニックのスタッフから「3km台だ」との声が聞こえた。混乱する現場に、パイロットには怪我はなく、大津ではなく彦根に戻るとの連絡が入った。TUMPAメンバーもバスを降り、パイロットを出迎える。

人力でペダルを漕ぐ鳥人間コンテストと違い、エボルタチャレンジではパイロットの体力消費はあまりない。しかし、ボートで到着したパイロットの鷹栖さんは、ぐったりとうなだれた。ウェットスーツを着ていたとはいえ、11月の冷たい湖水に浸かった寒さもあるだろう。何より、自ら設計し、操縦桿を握った機体が目標を達成できなかった衝撃もあるだろう。囲んだTUMPAメンバーも無言のまま、事実を受け止めていた。

○記録は3,531m、ギネスブック登録ならず

本来は大津で行われる予定だったセレモニーは中止となり、彦根の離陸場での記者会見となった。GPSで計測された飛行距離は3,531mで目標の10kmに達しなかったが、ギネスブック公式認定員の小池真理子さんは「素晴らしいチャレンジを見せて頂いた」と声を詰まらせながら、健闘をたたえた。またTUMPA代表の東海林聡史さん、パナソニック担当者も挨拶に立ち、集まった報道陣と一般見学者への感謝、そして「機会が与えられるなら、もう一度チャレンジしたい」と述べた。2016年度のエボルタチャレンジとしてはこれで終了するものの、機体は予備機としてもう1機製作しているとのことで、もしかすると「エボルタチャレンジ2017」として来年、再チャレンジすることになるかもしれない。

○エボルタのパワーは充分、しかしチャレンジは終わらない。

さて、失敗の原因は何だったのだろう。着水の瞬間の映像が公開されていない(生中継では写っていなかった)こともあり、現時点では断定は難しい。ただ着水直前に、主翼両端が下向きに変形するダイバージェンスという現象が起きていたように見える画像もある。ダイバージェンスは鳥人間コンテストでも時折見られる現象で、ほとんどは設計速度より高速で飛んでしまった場合に起きる。主翼をねじろうとする力が強くなりすぎ、変形したり破損したりして起きる現象だ。

鷹栖さんの話によれば、エボルタチャレンジ機は設計速度の秒速10mを超える秒速12m程度まで飛行試験で経験しており、問題なかったとのことだ。だとすれば、それ以上の速度で飛行してしまった可能性がある。例えば、無風状態で飛行機が秒速10mの速度で飛行しているとき、突然3mの向かい風が吹き始めると、飛行機は秒速13mの向かい風を受ける。当日の天気予報で、琵琶湖の湖面上は5m以上の風が予測されており、風は一定の強さで吹くわけではないのでこういった突風を受けた可能性もあるということだ。

秒速10mで飛行する飛行機にとって、数mの風でも強い風だという理由はここにある。11月上旬の琵琶湖がチャレンジに適切だったか、も含めて再検討が必要だろう。また、ダイバージェンスを起こさない「強い翼」にすることも必要かもしれない。

パナソニックのエボルタチャレンジは、今回で9回目だが、初めて目標を達成できずに終了することとなった。しかし、筆者は考える。チャレンジは失敗することもあるから、チャレンジなのだ。しかも今回は「エボルタ」のパワーを使い果たして着水したのではなく、また予備の2号機も存在する。「エボルタチャレンジ2016」は終わったが、「エボルタ世界最長距離有人飛行チャレンジ」は、これからだ。

(追記)本記事執筆後パナソニックより、後日の精密検査でパイロットの鷹栖啓将さんが胸骨を骨折していたことが判明したと発表された。 パナソニックは「エボルタチャレンジ2016」の広告活動を自粛することも検討したが、鷹栖さん本人や家族、TUMPAメンバーの「自分たちの挑戦を、もっと多くの方々に知って欲しい」との意向を受けて、広告を継続するとのことだ。

(大貫剛)