『アンフレンデッド』(2014年、アメリカ) 新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、池袋HUMAXシネマズを始め、全国で公開中

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現在公開中の映画『アンフレンデッド』は、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』以降盛んに作られた、一連のPOVモノ(Point Of View/主観モノ)の流れ上にあるホラー作品だ。

自殺した友人から届くメッセージ


ネットに恥ずかしい動画を晒されて自殺した女子高生ローラ・バーンズ。

その1年後、彼女のかつての友人たちがSkypeで談笑していると、そこに見知らぬアカウントを発見。何度繋ぎ直してもそのアカウントは消えず、それどころか、ローラのFacebookアカウントからメッセージが……。

やがて、その謎のアカウントの主はローラとして語り始め、彼らの嘘を1つまた1つと暴きながら、ローラを死に至らしめた主をあぶり出す"死のゲーム”を展開していくーー。

特筆すべきは、映画が全編PCのモニター上で展開する点だろう。主人公である女子高生が見ているPC画面を、観客も延々と見ることになるのである。

そして、そこに映し出されるのはSkype、facebook、YouTubeといった、私たちが日常的に利用しているサービスの数々だ。つまり、インターネットがインフラとなって久しい私たちの生活と、この作品世界はシームレスに繋がっているーーそうした感覚を与えることで、POVがもたらすドキュメンタリー的な臨場感が増幅させるのである。

POVホラー映画の抱えるジレンマ


映画において、POVという手法はすっかりおなじみのものだが、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『パラノーマル・アクティビティ』のように、全編ビデオカメラによる主観映像で通す作品の場合、ある種の難しさが伴うこともまた事実。ともすると、逆にフィクションであることを際立たせてしまい、見る者を興醒めさせてしまうからだ。

例えば、霊とも化け物とも知れぬ存在に追い回されているのに、なぜ主人公はカメラを回し続けているのか? カメラなど放っておいて、とっとと逃げればいいではないか。

映画なので「それを言っちゃあ、お終いよ」なわけだが、わざわざ主人公にカメラを持たせている以上、そこには観客に、あたかも目の前の映像は「本当に起こったことなのだ」と感じさせようとする演出意図があるはず。しかし、「そもそも極限状態でなぜカメラを回していられるのか?」というツッコミは、その狙いを根本からひっくり返してしまうことにもなり、POV系ホラー映画の最大のジレンマとなっている。

しかし『アンフレンデッド』は、POVという手法が孕むそうした問題を、「ネット」というモチーフを巧みに使用することでクリアしているのである。

その場を離れたら死ぬ


謎のアカウント主は、彼らに「その場を離れた者は死ぬ」というルールを強制的に課す。登場人物たちはPCカメラの前から移動することができなくなり、Skype上に固定されることになる。私たち"目”となる主人公も同様だ。

これによって「極限状態でなぜカメラを回していられるのか?」というツッコミは無効化されるのである。

なぜか?

手持ちカメラ系POV映画は、多少無理があっても、物語を展開する上で必要な情報を「主人公が撮影した映像」として観客に提示しなければならない。そのため、時に「(追われて走り回っていたけど)偶然カメラに映っていた」とか、「こっそり固定カメラで撮影していた」といった体裁を取ることで切り抜けることになる。

しかし、『アンフレンデッド』の場合は、登場人物全員がカメラに向かわざるを得ない状況をあらかじめ作っているため、無理な演出をすることなく、必要な情報をすべてPCのモニター上に集めておくことができるのだ。これはちょっとした発明だろう。

SNS時代だからこそ生まれたホラー映画


映画が進行するに従い、ボンクラ学生たちの嘘が、次々に白日の下に晒されていく。つまり、登場人物たちのクズっぷりがどんどん明らかになり、ホラー映画において「死ぬに足る人間」認定されていく。

TwitterなどのSNSを日々眺めていると、さまざまな悪意に満ちた言葉が、嫌でも目に飛び込んでくる。この、ネットが人間の悪意や負の感情を可視化してしまう構造を、『アンフレンデッド』はトレースしているように思える。

一見すると、ワンアイデアで駆け抜けるB級映画の見本のような作品だが、さりげなく潜ませた批評精神が光る、なかなか味わい深い作品なのだ。

『シン・ゴジラ』の陰に隠れ、あまり話題になっていない印象もあるが、こちらも面白いのでぜひ。
(辻本力)