「PARCO」最後の日に装丁家が考えたこと。たぶんこの赤いポスターの黒人がだれだか彼女は知らない

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あの通りが「公園通り」というのは、
「PARCO」があったからだ。
いや過去形にするのは明日からか。

「PARCO」はイタリア語で「公園」という意味だ。
きのうぼくは「PARCO」にお別れをいいに言った。
「デザイン」や「写真」や「イラスト」「ファッション」やいろんなことを「PARCO」に教えてもらった。
3階で本日(8/7)まで開催中のLast Dance』展で日比野克彦さんの作品をみてしみじみした。

青春時代などという言葉は気恥ずかしくて大嫌いだけれども、とっても懐かしい気持ちになった。

展覧会場のわきの非常階段が視覚にはいった。
これまでの「PARCO」のポスターがすべてランダムに貼られている。
そのことをほとんどだれも気づかずにいる。

夢中で写真を撮っていると、背後から若い女の子たちの声がきこえた。

「かっこいい、わたし、このじだいすき」

たぶんこの赤いポスターの黒人がだれだか彼女は知らない。
そうこの時代はかっこいいのだ。
ぼくは振り返ってそう言いたかった。


「PARCO」に自動ドアはない。
それは「文化とはじぶんの力で切り開いていくものだ」という思想のもとにそうなっていた。

昨日、自動ドアをみつけて、ひっくりかえりそうになった。

パート3側の一番重いドアを押して、ぼくは出て行った。
ぼくの知っている「パルコ」は、今日まで。

ラストダンスはわたしに。

(守先正・ブックデザイナー フェイスブック