「恋愛禁止」が日本競泳女子を惨敗に導いた。読むオリンピックも熱い

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リオデジャネイロオリンピックがいよいよ開幕した。これにあわせて、角川文庫から『オリンピック』というアンソロジーが刊行されている。編者はエキレビ!でもおなじみの文筆家で、公開句会「東京マッハ」の主宰者でもある千野帽子だ。


千野は一昨年の『富士山』、昨年の『夏休み』と、ここ毎年、ひとつのテーマのもと選りすぐりの文芸作品を一冊にまとめている。本書はその第3弾ということになる。そこには、日本のオリンピック文学の定番というべき田中英光『オリンポスの果実』をはじめ、国内外の文学者によるエッセイ、ノンフィクション、小説など9編が収録されている。『ギリシア奇談集』から古代オリンピックに関する話をピックアップしたり、筒井康隆が未来のオリンピックを描いたSF短編「走る男」を収めたりと、射程の広さもポイントだ。選者による巻末の解説には、さらに捕捉するようにいくつか関連作品が紹介されていて、こちらも参考になる。

オリンピックについては、千野さんにおよばないまでも、私も結構いろんな作品を読んできたつもりだ。そこで、この記事では『オリンピック』の収録作品の一部を紹介しながら、私のほうでも自分なりにオリンピック・アンソロジーを編むとしたらという仮定のもと、いくつか作品をあげてみたい。

黒人選手が日本代表になる日を予見した小説


前出の筒井康隆の「走る男」は、オリンピックに誰も関心を持たなくなった未来を描いた作品だ。オリンピックの未来像ということで私がまず思い出すのは、赤瀬川隼の短編「ブラック・ジャパン」(同名の短編集に収録)である。1985年発表の同作は、その3年後のソウルオリンピックのマラソンと短距離走で、日本代表の黒人選手らが優勝する場面から始まる。

世界中を驚かせたこの壮挙は、戦前の日本の植民地であった台湾生まれで、太平洋戦争後に日本国籍が失われた男が仕掛けたものだった。男は国家や国籍、民族とは何かとの疑問から、結婚や養子縁組によって日本国籍を得た黒人を集めてクラブチームを結成、オリンピック選手へと育て上げたのだ。

作中では、登場人物の言葉を借りて、オリンピックは国単位ではなく、多様な国籍・民族を擁する都市単位で競われるべきではないかとの提案がなされている。さすがに21世紀に入った現在でも、それは実現にはいたっていない(せいぜいイギリスから中国から返還されたのちも、独立して選手団を送っている香港ぐらいか)。しかし選手がオリンピック出場のため国籍を移すことは、いまやさほど珍しくはない。日本で育った選手でいえば、ヨーコ・ゼッターランドがその先駆けだろうか。彼女の場合、父親の本国であるアメリカ国籍を選択して1992年のバルセロナ大会(銅メダル)、1996年のアトランタ大会に出場している。

今回のリオ大会でも、陸上短距離の日本代表にジャマイカ出身のケンブリッジ飛鳥とウォルシュ・ジュリアンが選ばれた。いずれも母親は日本人である。一方、両親とも日本人ながらカンボジア国籍を取得したマラソンの瀧崎邦明(芸名・猫ひろし)は、今回初めて同国の代表としてオリンピックに出場する。

こうした現状を見ると、赤瀬川隼の慧眼にあらためて驚かされる。ただし、本作が前提としている「黒人=足が速い」といった観念はあくまで、ある時代以降につくられたステレオタイプだということも指摘しておきたい。これについては川島浩平『人種とスポーツ』(中公新書)という本にくわしい。

五輪惨敗の原因は「恋愛禁止」だった!?


『オリンピック』所収の山際淳司のノンフィクション「たった一人のオリンピック」の主人公・津田真男は、国のためでも、ある特定の集団のためでもなく、「ダメになった自分を救うため」オリンピックをめざす。そして孤軍奮闘の末、1980年のモスクワ大会でボートのシングル・スカルの日本代表となった。しかし、日本はモスクワ大会に、開催国のソ連によるアフガニスタン侵攻に抗議するアメリカに同調してけっきょく不参加を決定、津田の出場は幻に終わる。まさに国家の都合で個人の夢がつぶされたわけで、何とも皮肉というしかない。

津田真男はひたすら自分のためにオリンピックをめざしたわけだが、彼のような個人主義者が日本代表選手となったのは画期的だったといえる。なぜなら、それ以前は集団スポーツを中心に、勝利のためには結婚や恋愛などプライベートは排除されてもしかたがないといった考えが支配的だったからだ。しかしそれが必ずしもよい結果をもたらしたとはいいがたい。

1968年のメキシコ大会では、水泳日本女子が惨敗したが、その原因は、このとき出場した木原光知子の告白によれば、あるひとりの選手が現地で熱烈な恋愛に落ちるのを目撃して、木原を含むほかの選手たちが動揺したからだという。この話を聞いた作家の虫明亜呂無(むしあけあろむ)は、もし日本女子選手たちが、仲間の恋愛の光景にも《「ああ、あれなら、私でもやっていることだし、人は人、自分は自分」の、気持のゆとりがあったなら、と思った》という。

《むしろ、彼女らが、実に、つよい肉体と、生命力を与えられながら、たえず心理的にも生理的にも禁断症状に陥りながら、レースに駆りたてられて幼少のときから育ってきたことに問題がありそうである。(中略)それは女優に、女になることをあきらめて、巧い女優になることだけをひたすら心がけなさい、というのとまったく同じ愚かしさである》(虫明亜呂無「あの女にだけは」)

競技も演技も、人間的な営みのひとつの発露にすぎないと喝破したあたり、虫明亜呂無の真骨頂といえる。日本におけるスポーツ作家のパイオニアとも位置づけられる虫明は、前掲の「あの女にだけは」のほか、テニスのナブラチロワによるカミングアウトをとりあげた「変身の伝説」など、ジェンダーの切り口からスポーツをとりあげた点でも先駆者であった。いずれの作品もエッセイ集『野を駈ける光』(玉木正之編、ちくま文庫)に収録されている。

オリンピックは遠きにありて思うもの?


どうやらオリンピックは、必ずしも開催を歓迎されるものではなくなっているらしい。今回のリオ大会、続く東京大会と、いずれの開催国の様子を見ているとそう思えてくる。

『オリンピック』に、1964年の東京でのパラリンピックをとりあげた「明るく朗らかな運動会」という一編が収録されている英文学者の中野好夫は、東京オリンピック開催中に「オリンピック逃避行」というエッセイを書いている(講談社文芸文庫『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』所収)。中野は、純粋な形で競技そのものを楽しもうという理由で、東京を離れてテレビ観戦を決め込んだ。オリンピックは遠きにありて思うもの、といったところだろうか。

そのちょうど20年後、村上春樹もまた現地ではなく、日本にいながらテレビでロサンゼルスオリンピックを観戦し、それを日記にしたためてスポーツ雑誌「ナンバー」に寄稿した(『‘THE SCRAP’ 懐かしの一九八〇年代』文藝春秋に再録)。しかしそのタイトルが「オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記」であるとおり、文中には肝心のオリンピックの話題がほとんど出てこない。そもそも当時、村上の家にはテレビすらなかった。

それはそうと、このエッセイのなかの村上の《オリンピックというのは二十年くらい年月がたたないとどうも味が出てこないような気がする》という一文は、なかなかの至言ではないか。

オリンピックか子供の水泳大会か


このほかにも、奥田英朗の『オリンピックの身代金』……ではなく、「名古屋オリンピック」と題する(『東京物語』集英社文庫)所収の連作のうちの一編や、阿部和重の小説『インディヴィジュアル・プロジェクション』は1990年代の渋谷を舞台にしているはずなのに、その作中で《アメリカでオリンピックがはじまった》と書かれているオリンピックは、じつは1932年のロサンゼルスオリンピック(『オリンポスの果実』の田中英光が出場した大会)であることや、とりあげたい作品は多い。

なかでもとくに、私がアンソロジーをつくるとしたらぜひその最後に収録したいのが、玉木正之の短編小説「バルセローナの夏」(『不思議の国の大運動会』ちくま文庫所収)である。その作中、スポーツライターの「おれ」は、マスコミ各社からバルセロナオリンピックの取材を依頼されながら、いずれもその趣旨に同意できず、現地に行くかどうか思い悩んでいた。そこへ来て、ちょうど五輪会期中に自分の子供たちが町内の水泳大会に出場することになり、さらに迷うはめになる。さて、彼は最終的にどんな選択をしたのか? オリンピック報道のあり方、またオリンピックそのものの存在意義を考えさせられる一編だ。
(近藤正高)