本のタイトルに「夫人」がついたら「不倫ドラマ」(キュリー夫人を除く)

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池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》(河出書房新社)第19回(第2期第6回)配本、第12巻『大岡昇平』


タイトルに「夫人」がつくのは「人妻の貞操」にかんする小説


拙著『読まず嫌い。』でも書いたことだが、本のタイトルに「夫人」がつくと、それは人妻の貞操にかんする話だ。


クライスト『O侯爵夫人』、エマニュエル・アルサン『エマニエル夫人』、菊池寛『真珠夫人』、D・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』
ラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』なんて、作者も作品名も「夫人」だし。


大岡昇平の『武蔵野夫人』も例外ではない。例外はべつにある。『キュリー夫人』とか。
ところで文庫本のカバー表4(裏表紙)には煽りの多い宣伝文句があり、それは作品の実情と微妙に違っていたりもするのだが、もちろん編集部は頭をひねって、少しでも売れるような文句を書く。


『武蔵野夫人』は新潮文庫で刊行されているが、その新潮社のこんな見出しが書いてある。

〈不倫小説の極致。昼ドラ顔負けドロドロ夫婦劇! 叫びたくなる、衝撃のラスト〉

たしかにba href=“http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4101065020/ex-news-22/“『武蔵野夫人』/a/bは不倫の話ではある。
戦後間もない日本を舞台に、ふた組の夫婦と、そこに復員してきたひとりの若者のあいだで、緊張感溢れる心理的駆け引きが発生する。
復員者が重要な役を果たすのは戦後文学のポイントで、a href=“http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4041304059/ex-news-22/“『犬神家の一族』/aを思い出していただければいいだろう。
pimg src="http://s.eximg.jp/exnews/feed/Excite_review/reviewbook/2016/E1469293462103_ab14_5.jpg" //p
h2 class="maru"『武蔵野夫人』は〈昼ドラ顔負けドロドロ夫婦劇〉か?/h2
しかしba href=“http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4101065020/ex-news-22/“『武蔵野夫人』/a/bはまったくドロドロではない。むしろ、非常にクールで、弾道計算して、あるいは設計図を引いて書いたかのような、見通しのいい小説なのだ。
複数の人間の心理をまるで実験室のなかで純粋に培養するかのような、つき放した視座から、人間心理の冷徹犀利な観察記録が取られる……そういう小説なのだ。

このことは、大岡昇平が影響を受けたフランス小説のお家芸「心理分析」の伝統と大いに関係がある。
大岡は若いころ、会社に勤めながら、スタンダール関連作品の翻訳をやっている。フランス文学の翻訳者として、文筆のキャリアをスタートしたといってもいいくらいだ。戦後すぐにa href=“http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4102008012/ex-news-22/“『パルムの僧院』/aの翻訳も出している。
pimg src="http://s.eximg.jp/exnews/feed/Excite_review/reviewbook/2016/E1469293462103_d569_6.jpg" //p
ドロドロに書いてもよさそうな人間心理に、敢えて表面温度の低い、理窟っぽいといってもいい語りでメスを入れ、分け入って行く。
こういうところがいかにもフランス式というか、モラリスト(道徳家という意味ではなく、人間行動の観察者という意味)的なデタッチメントだと思う。

先述のa href=“http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4334753299/ex-news-22/“『クレーヴの奥方』/a、ラディゲのa href=“http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4102094016/ex-news-22/“『ドルジェル伯の舞踏会』/aなどの心理記述の影響は、のちに三島由紀夫のヒット作a href=“http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4101050090/ex-news-22/“『美徳のよろめき』/aにも見られる。
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この小説は映像化され、「よろめきドラマ」という言葉も生んだ。よろめきドラマとはもちろん、人妻の貞操の危機をめぐるドラマのことだ。

やはり三島の小説も、不倫ドラマとは言いながら、極めて冷静に設計された小説だ。ラディゲを意識して、フランス式の心理分析小説を試みたはずだが、直接の先行作として三島は、大岡昇平のba href=“http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4101065020/ex-news-22/“『武蔵野夫人』/a/bを意識していたに違いない。

h2 class="maru"ふたつの短篇の底力/h2
日本民話の二次創作b「一寸法師後日談」/bは、a href=“http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20160321/E1458495090865.html">石川淳
『おとしばなし集』に通じる方法であり、姫君(現在の一寸法師の妻)に懸想する男が出てくる。


つまりこれ、昔話の「幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」式のハッピーエンドのあとに、妻となったお姫様のちょいエロなよろめきドラマを配したという形になる。一寸法師のマレビト的性格が活かされたエンディングは、からりとして気持ちいい。


短篇「黒髪」は昭和初期から戦後すぐの京都が舞台。ひとりの女の男性遍歴をこれまた極めて冷静な筆致で書きながら、不意打ちのように感動的なラストがやってくる。
僕はこの短篇を知らなかった。今回この全集で初めて読み、このラストに大いに感動した……のだけれど、それをここで書くとネタバレになってしまうのでやめてしまいます。
とにかく立ち読みだけでも読めるくらい短いので、だまされたと思ってこの短編だけでも読んでみてほしい。大岡昇平に興味がわくはず。

昭和天皇について語る大岡昇平


巻末に講演・エッセイ・談話記事3篇が収められている。
講演に手を加えた「母と妹と犯し 文学の発生についての試論」と随筆「「椿姫」ばなし」は、そもそも物語ってなんだろうと考える人にとって大きなヒントを与えてくれる。ここで大岡は人類史的な視野で物語文学を捉えている。


昭和天皇についてガチで語った談話記事「二極対立の時代を生き続けたいたましさ」は、バブル真っ盛りの1988年下半期、昭和天皇がまさに重篤な病気だった時期に語られたもの。
大岡はその年のクリスマス、昭和天皇が昏睡状態に状態にあるときに死んでしまう。その2週間後に昭和天皇が世を去り、この談話記事はいわば遺稿のひとつとして公開された。

天皇の生前退位の可能性が取りざたされるこの時期にこれを読んで、「天皇である」ってどういうことなんだろう、ということを考えてしまった。いまの天皇は、「最初から象徴天皇」である最初の天皇なんですよね……。

『野火』の作者の「昭和」


大岡は戦時中フィリピンの前線で戦い、そのときの体験から『野火』が生まれた。去年2回めの映画化もされた。


このとき大岡は米軍の捕虜となって、収容所にしばらく暮らしていた。その経験から生まれた連作小説が『俘虜記』だ。


本巻では『俘虜記』から3篇が選ばれている。
とりわけ、フィリピンの島を彷徨中に米兵に出くわしたときの、その兵士を撃つか撃たないかという場面では、その一瞬の逡巡を、フランス心理小説も裸足で逃げようかというほど数ページにわたって精緻に分析しており、まるで時間が永遠に止まったかのようなテンションに圧倒される。

『野火』のなかで、将校の死体を解体しようとする右手を左手が抑えるクライマックスがある。その場面に匹敵する冷静な筆致である。
短い一瞬のあいだの心の迷いを、まるで微分するかのように描き、サスペンスフルな読みどころとなっている。

そういえば今年も、8月がもうそこまでやってきている。

この巻の収録作はこちら。
長篇小説『武蔵野夫人』(1950→新潮文庫Kindle
「『武蔵野夫人』ノート」(1950)
連作小説『俘虜記』(1951完結→新潮文庫Kindle)より「捉まるまで」「サンホセ野戦病院」(以上1948)「労働」(1949)
短篇小説「一寸法師後日譚」(1951)「黒髪」(1948/1961)→(『来宮心中』所収)
講演「母と妹と犯し 文学の発生についての試論」(1977/1982)
随筆「「椿姫」ばなし」(1986)
談話記事「二極対立の時代を生き続けたいたわしさ」(遺稿。1989発表)

次回は第20回(第2期第8回)配本、第30巻『日本語のために』で会いましょう。


(千野帽子)