殺人の容疑者ほぼ全員が無職『素晴らしきソリボ』第2回日本翻訳大賞決定
第二回日本翻訳大賞が決定した。二作受賞だ。
パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子・パトリック・オノレ訳/河出書房新社)とキルメン・ウリベ『ムシェ 小さな英雄の物語』(金子奈美訳/白水社)。
大賞受賞作『素晴らしきソリボ』の主人公はソリボ・マニフィークだ。
小説冒頭で、いきなり死ぬ。
ソリボが「ぱたっとぅ さ!」と叫び、聴き手たちが「ぱたっとぅ し!」と応え、息を引き取るのだ。
第1章1行目でこう告げられる。
“語り部ソリボ・マニフィークは言葉に喉を掻き裂かれて死んだ”。
事件が起こるのは早いが捜査はまともに進まない。名探偵も出てこない。見事な初動調査失敗っぷり。
なにしろ証人リストのほぼ全員が、こんな調子だ。
住所不定無職
自称漁師、おそらく無職
自称「言葉を書き留める者」、実際は無職
自称音楽家、実際は無職
自称雇われ専門家、実際は無職
おお、親近感わくなーと思って読み進めると。
“彼が死んだ後ー何て悲しいことだ、み!ー初めて口に出されたのであって”
といきなり「み!」乱入してくる語り。
まんまむ! あぁん! えぇ くらぁ!
雄叫びのような叫びのような言葉が随所に入り込んでくる。
これは、なんだ?
舞台となっているカリブ海のマルティニーク島は、1935年にフランスの植民地になった。
先住インディオは迫害され、黒人が奴隷として強制移送される。
フランス語を強いられ、植民地でなくなった後も公用語はフランス語だ。
「先生」「偉い人」「書き言葉」はフランス語を使う。
だけど気のおける仲間と喋るときの言葉は、違う。
もともといた人たちの言葉、黒人たちの言葉が混ざり合う。
結束して反抗しないようにと、言葉が通じない人たちを一緒にされていたからさらに混沌とする。
言語的カオス、闇鍋的過剰の状況から生まれ出たのがクレオール語だ。
公的な場ではフランス語を記し、私的な感情と直結している場ではクレオール語を喋る。
公的書類である証人リストのほぼ全員が「実際は無職」と書かれるのは、この二重三重の社会/文化構造の影響だ。
労働とは何かという認識の問題であり、差別の問題であり、コミュニケーションの問題だ。
そういった差異が、『素晴らしきソリボ』の中に混在し、調和/不調和となる。
突然、「み!」が入り込み、警部と証人の言葉はすれ違い、意思疎通は断絶する。
すれ違いがオーバードライブするのは、第1章中盤。
ドゥードゥー=メナールが医者を探して疾走するところから。物語もがぜんドライブしてくる。
女は暴れ血を流し、警察と消防は乱闘し、新たな死体が転がり、死体に蟻が群がり、重くなり軽くなり、混乱また混乱で、現場は荒れ、決め付けだけが横行し、事態は悪化するばかりのマジックなリアリズムのスラップスティックな高揚感だ。
そもそも「「喉を掻き裂かれて死んだ」というのはどういうことか?
関係者から「ソリボとは誰なのか」は語られるが、フランス警部の求める謎の解明にはいっこうに近づかぬ。
それどころか合理的な解釈を越えた何かが、不在のソリボをめぐって旋回する語りによって、ゆっくりと立ち現れるのだ。
最後「ソリボの口上」が掲載されていて、これ「フリースタイルダンジョン」のゲストライブでやると完全に盛り上がるヤツ。
日本語ラップも、考えてみれば多言語を混在させながら日本語としてどう成立させるのかを模索している。
HIPHOP文化圏のみなさんにも『素晴らしきソリボ』オススメです。
第二回日本翻訳大賞授賞式は、2016年4月24日(日)14:30から。
演奏あり、トークあり、朗読もあり、盛りだくさんのイベントだ。翻訳や言葉や本が好きな人なら誰でも参加可能なお祭りである。
場所は日比谷図書文化館コンベンションホール。
翻訳賞が珍しいうえに、みんなで楽しめるこんなイベントはめったにないので見逃すなッ。
もうひとつの受賞作『ムシェ 小さな英雄の物語』も改めて紹介するよ。(米光一成)
パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子・パトリック・オノレ訳/河出書房新社)とキルメン・ウリベ『ムシェ 小さな英雄の物語』(金子奈美訳/白水社)。
大賞受賞作『素晴らしきソリボ』の主人公はソリボ・マニフィークだ。
小説冒頭で、いきなり死ぬ。
ソリボが「ぱたっとぅ さ!」と叫び、聴き手たちが「ぱたっとぅ し!」と応え、息を引き取るのだ。
第1章1行目でこう告げられる。
“語り部ソリボ・マニフィークは言葉に喉を掻き裂かれて死んだ”。
事件が起こるのは早いが捜査はまともに進まない。名探偵も出てこない。見事な初動調査失敗っぷり。
住所不定無職
自称漁師、おそらく無職
自称「言葉を書き留める者」、実際は無職
自称音楽家、実際は無職
自称雇われ専門家、実際は無職
おお、親近感わくなーと思って読み進めると。
“彼が死んだ後ー何て悲しいことだ、み!ー初めて口に出されたのであって”
といきなり「み!」乱入してくる語り。
まんまむ! あぁん! えぇ くらぁ!
雄叫びのような叫びのような言葉が随所に入り込んでくる。
これは、なんだ?
舞台となっているカリブ海のマルティニーク島は、1935年にフランスの植民地になった。
先住インディオは迫害され、黒人が奴隷として強制移送される。
フランス語を強いられ、植民地でなくなった後も公用語はフランス語だ。
「先生」「偉い人」「書き言葉」はフランス語を使う。
だけど気のおける仲間と喋るときの言葉は、違う。
もともといた人たちの言葉、黒人たちの言葉が混ざり合う。
結束して反抗しないようにと、言葉が通じない人たちを一緒にされていたからさらに混沌とする。
言語的カオス、闇鍋的過剰の状況から生まれ出たのがクレオール語だ。
公的な場ではフランス語を記し、私的な感情と直結している場ではクレオール語を喋る。
公的書類である証人リストのほぼ全員が「実際は無職」と書かれるのは、この二重三重の社会/文化構造の影響だ。
労働とは何かという認識の問題であり、差別の問題であり、コミュニケーションの問題だ。
そういった差異が、『素晴らしきソリボ』の中に混在し、調和/不調和となる。
突然、「み!」が入り込み、警部と証人の言葉はすれ違い、意思疎通は断絶する。
すれ違いがオーバードライブするのは、第1章中盤。
ドゥードゥー=メナールが医者を探して疾走するところから。物語もがぜんドライブしてくる。
女は暴れ血を流し、警察と消防は乱闘し、新たな死体が転がり、死体に蟻が群がり、重くなり軽くなり、混乱また混乱で、現場は荒れ、決め付けだけが横行し、事態は悪化するばかりのマジックなリアリズムのスラップスティックな高揚感だ。
そもそも「「喉を掻き裂かれて死んだ」というのはどういうことか?
関係者から「ソリボとは誰なのか」は語られるが、フランス警部の求める謎の解明にはいっこうに近づかぬ。
それどころか合理的な解釈を越えた何かが、不在のソリボをめぐって旋回する語りによって、ゆっくりと立ち現れるのだ。
最後「ソリボの口上」が掲載されていて、これ「フリースタイルダンジョン」のゲストライブでやると完全に盛り上がるヤツ。
日本語ラップも、考えてみれば多言語を混在させながら日本語としてどう成立させるのかを模索している。
HIPHOP文化圏のみなさんにも『素晴らしきソリボ』オススメです。
第二回日本翻訳大賞授賞式は、2016年4月24日(日)14:30から。
演奏あり、トークあり、朗読もあり、盛りだくさんのイベントだ。翻訳や言葉や本が好きな人なら誰でも参加可能なお祭りである。
場所は日比谷図書文化館コンベンションホール。
翻訳賞が珍しいうえに、みんなで楽しめるこんなイベントはめったにないので見逃すなッ。
もうひとつの受賞作『ムシェ 小さな英雄の物語』も改めて紹介するよ。(米光一成)