テレビ神奈川(tvk)のアナウンサー・三崎幸恵さん。青山学院大学法学部卒。

写真拡大

■激しい倍率をくぐりぬけ、アナウンサーに

「私は、学歴にあまり関心がないのです。ほかの人にどこの大学を卒業しているの? と尋ねたことがなく、同じ会社や職場にいる人の学歴も、ほとんど知らないのです」

テレビ神奈川(tvk)のアナウンサー・三崎幸恵さんが落ち着いた雰囲気を醸し出しつつ、淡々と話す。

数年前まで、神奈川県内の様々な地域を訪ね歩く番組「あっぱれ! KANAGAWA大行進」で、タレントのデビット伊東さんと絶妙なかけあいで視聴者を楽しませていた様子とはまったく違う。

「学歴を1つの肩書のようにとらえて、それを持っているだけで効力がある、という感覚は私にはないです。出身地とか血液型のような、話題のとっかかりぐらいに思っています。その意味では、学歴は1つのフックかもしれませんね」

2015年の新春、箱根駅伝で母校・青山学院大学が初優勝したとき、喜ぶ社員が数人いた。その人たちが同窓であることを知った。

「あなたも青学だったの? 私もなの、といった会話をした覚えがありますが、そのときのことも正確には覚えていないのです(笑)」

中学校の頃に、アナウンサーになりたいと思うきっかけがあった。教育実習で訪れた大学生が、地元のテレビ局にアナウンサーとして内定をもらっていたようだった。

「その方から、三崎さんは将来、アナウンサーになるといいかもしれないね、とおっしゃっていただいたのです。その言葉が、大きなきっかけになりました」

生まれ育った福井市(福井県)の高校を卒業後、1992年、青山学院大学法学部に入学した。アナウンサーになることを意識し、入ったのだという。放送に関するサークルに所属していた。

「キャンパスライフを楽しんでいましたよ。アナウンサーになるために、アナウンスセミナーには3カ月ほど、情報収集をかねて通っていました」

■アナウンサーとして入社すると……

激しい倍率をくぐりぬけ、テレビ神奈川にアナウンサーとして1996年に入社した。アナウンス職の内定者は、2人だった。

「私がなぜ、内定になったのかはいまも正確にはわかりませんが、面接官から厳しく質問を受けるたびに、言い返していたことは記憶しています。言いたいことを言って、それが認められないならば仕方がない、と思っていました」

通常、アナウンサーを志す学生は、アナウンサー専門の採用試験に臨む。番組制作や報道、編成、営業、事業、管理などの総合職としての採用枠とは別の形で進められる。

いつの時代も、エントリー者数が多い。倍率は、数百倍から数千倍にもなる。ほとんどの人が不採用となるために、全国の放送局に次々とエントリーする。それでも、内定を得ることができない人が圧倒的に多い。

三崎さんもキー局や準キー局、地方局などに資料請求などをしていたが、大学4年の初夏に早々とテレビ神奈川から内定を得た。採用試験では、ほかの放送局も含め、学歴について質問を受けたことはないという。

「エントリーする条件として、“四大卒”を掲げている局が多かったのですが、卒業(見込み)大学などでふるいにかけている印象はありませんでした。基礎学力を確認する試験や面接でのやりとり、時事問題などをめぐっての質疑応答などを通じて、面接官がきちんと判断しているように感じました」

入社後、社員らと学歴について話し合うことはなかったようだ。

「私は今も、同僚であるアナウンサーの出身大学のことを意識する機会があまりないのです。ほかの部署の社員の学歴についてもあまり知りません」

取材に同席する編成局で、同期の社員から、同世代の数人の社員の出身大学を知らされると、落ち着いた雰囲気であった三崎さんがやや前のめりになる。

「あの人は早稲田なの!? あの人が明治? ああ、そんな感じ……。あの人が慶應……。ええ? あの人も? 知らなかった〜。私、全然、興味ないんです」

デビット伊東さんとのかけあいを思い起こすようなやりとりだった。

■一歩引いて、わかりやすく伝えていきたい

現在は、報道番組「ニュース930α」(月〜金、生放送)のメインキャスターを務める。日々のニュースから特集までをわかりやすく伝える。

一方で、管理職としての仕事も増えてきた。制作推進室次長として、レギュラーの番組などを持つアナウンサー8人の中でリーダー的な存在になっている。

即戦力のアナウンサーを採用する中途採用試験には面接官として加わるが、学歴で判断することはないという。

「以前に勤務していた放送局でアナウンサーとしてどのような仕事をされてきたのか、などは確認します。その方の学歴はキャリアシートに目を通す、といった程度です」

職場では、人を育てることの難しさを実感するが、厳しく教えることはしないようだ。

「他局などで経験を積んできたアナウンサーが多いので、むしろ、私が教えてもらうことがあるのです。学ぶところが、いっぱいあります」

自らのキャリアについては、番組制作の現場で学ぶことが多かったと振り返る。

「私が入局した頃は、キー局などに比べると、研修体制がまだ整っていない時期でしたから、現場にポン!と放り出されて、覚えていく感じでした。怖いですよね(苦笑)。先輩のアナウンサーをはじめ、局や制作会社のスタッフ、共演するタレントのみなさんから教えていただきました」

ベテランの域にさしかかりつつあるが、控えめである。ディレクターなどとして番組づくりをすることは考えていないという。

「私には、あのようなセンスも力もないのです。これからも、しゃべる仕事にずっと関わっていくことができたら、と思っています」

フリーのアナウンサーのように、自らのキャラクターなどを前面に出すことも考えていないという。

「私は、つくり手が制作したものをわかりやすく伝えるところに、この仕事の魅力を感じています。たとえば、ニュース番組ならば、取材をしてきた記者が、何を伝えようとしているのか、私なりにその意図や思いを考え、拾い上げていきたいのです。

『あっぱれ! KANAGAWA大行進』のような番組ならば、共演する方々が、仕事をしやすくなるようなサポート役をしていきたいのです。

一歩引いたところで、番組として視聴者の方に見せたいものを伝えるようにしていくことができたら、と思っています。こんなように考えるのは、私の性格なのかもしれませんね」

(ジャーナリスト 吉田典史=文)