『カルチョ2002』 3月号 掲載
 32試合を消化して、18勝14分け。ユヴェントスは「無敗」で首位の座を維持している。アントニオ・コンテ監督の采配を抜きにして、ユーヴェの躍進を語ることはできない。頑固だと思われていた元カピターノは、極めて柔軟な思考で“理想と現実”のバランスを取り、戦術至上主義の呪縛からチームを解き放った。

Text by Alessandro IORI, Translation by Minato TAKAYAMA

 アントニオ・コンテは開幕とともに周囲の“悪い予想”を次々と覆していった。現役時代からの代名詞であった激しい闘争心、強い精神力は周知の通りだったが、予想外だったのは、頑固だと思われていた彼が極めて柔軟な思考の持ち主だったことである。

 コンテはアレッツォ、バーリ、アタランタ、シエナでの下積み時代、一貫して超攻撃的サッカーを貫いてきた。4−2−4システムを採用した、サイドを使ったカウンター戦術だ。これがユーヴェにフィットするのか、セリエAの上位争いに適しているのかが大いに議論されたものだが、コンテは試合ごとに選手たちのプレーを注意深くチェックし、必要に応じて戦術に変更を加えていった。

 手元にある戦力の個性に合わせて戦術を組み立てられる監督は、実際にはそう多くない。前任者のルイージ・デル・ネーリは4−4−2に固執し、その結果、チームの崩壊を招いた。コンテは柔軟な思考法で戦術を機能させただけでなく、戦術主義の呪縛からチームを解放したのである。

 ここでは、ユーヴェの改革の4つのポイントについて解説してみたい。

【1】ピルロのゲームメーク

 コンテの監督就任が決まる前にユーヴェと契約を交わしていたアンドレア・ピルロは、新監督が決まって当惑したはずだ。コンテはレジスタを必要としない監督として知られていたからである。コンテはバーリとシエナでセリエB優勝を果たしているが、いずれもピルロのような純粋なレジスタを使ってはいなかった。バーリではダニエレ・デ・ヴェッツェとアレッサンドロ・ガッツィ、シエナではシモーネ・ヴェルガッソラとフランチェスコ・ボルゾーニ。すべてテクニックよりもパワーと走力を持ち味とするセントラルMFである。サイドプレーヤーが積極的に攻め上がるコンテ戦術においては、パス能力よりも確実な守備のできるセントラルMFが必要とされる…。これが一般的な考え方であり、それはそれで正論である。キャンプ開始時点で、多くの人が「ピルロの出番は限られたものになるだろう」と予想していた。

 ところが、実際は違った。コンテは最初の紅白戦からピルロに中盤を預け、思うように攻撃を組み立てる権限を与えたのだ。

 ピルロ効果は絶大だった。この数年、ユーヴェは優れたレジスタによる流れるような攻めを欠いていた。チアーゴやフェリーペ・メロ、クリスティアン・ポウルセンもいたが、彼らとピルロでは役者が違う。レジスタの復活はユーヴェのピッチに大きなインパクトを与えた。

 データを見れば変化は一目瞭然だ。過去の3シーズン、ユヴェントスのパス成功率が62パーセントを超えることはなかった。特に昨シーズンのパス成功率は61パーセント。これはセリエA20チーム中9番目という平凡な数字である。ところが、ピルロが加わった今シーズンのパス成功率は69パーセントに跳ね上がった。これは、ミランの73パーセントに次ぐ2番目の数字。いや、ポゼッションを重視して後方でボールを回すことも多いミランと比べて、あくまで縦へ縦へと勝負するスタイルでの69パーセントには価値があると言える。

【2】新たなダイナミズム

 クオリティを象徴するのがピルロであるとしたら、パワーとダイナミズムを象徴するのはクラウディオ・マルキージオとアルトゥーロ・ビダルの2人だ。昨年10月のミラン戦で見せた、相手を窒息させるようなプレスは、今やユーヴェのトレードマークになっている。この中盤こそ、“コンテ革命”の最たるものだ。ただでさえ超攻撃的な4−2−4に、攻撃的な駒であるピルロを組み込むのは、あまりにも非現実的であった。コンテはすぐにシステム変更に踏み切った。マルキージオとビダルが中央のピルロをサポートすることで、華麗なパスワークとダイナミックな動きを両立させた中盤が形成されたのである。

 FWの人数は減ったが、マルキージオとビダルは競うように前線へと飛び出し、FWばりの決定力を見せている。ミラン戦で2得点を記録したマルキージオは、機敏な足さばきとゴール前での冷静さを備えた選手だ。現役時代のコンテが背負っていた“8番”を身に着けた彼は、ここまで7得点とユーヴェの大きな武器になっている。ビダルは得点能力こそマルキージオには劣るが、そのボール奪取能力は卓越している。90分を通してガッツ溢れるプレーを披露し、ユヴェンティーニのアイドル的存在になりつつある。この2人にガードしてもらうことで、ピルロが自由にボールを動かせる環境が出来上がったとも言える。

【3】左サイドのキエッリーニ

 歓迎すべき提案でなかったことは確かだ。だが、あくまでチームに貢献するために、ジョルジョ・キエッリーニは左サイドバックでのプレーを受け入れた。中盤の改革に続く戦術的革新は、不動のセンターバックだったキエッリーニを左サイドに移したことである。キエッリーニ本人は、この起用法がパフォーマンスに悪影響を及ぼすのではないかと恐れていたようだが、結果的にはこのコンバートが、彼をスランプから救い出す結果となった。

 今シーズン、シュテファン・リヒトシュタイナーが右サイドバックに入ったことで、チームの攻撃の重点は明らかに右サイドに置かれるようになった。当然、左サイドバックは守備重視となる。パオロ・デ・チェーリエもファビオ・グロッソも守備には不安がある。キエッリーニにとっては若手時代以来となる左サイドバックでのプレーだが、攻撃面はともかくとして、守備面での出来は抜群である。アンドレア・バルツァーリをリーダーとし、レオナルド・ボヌッチとキエッリーニで形成する守備陣は鉄壁を誇る。

 強かった頃のユーヴェは、とにかくディフェンスが堅固だった。キエッリーニの左サイドバックへのコンバートとセンターバックの充実のおかげで、ユーヴェは伝統の堅守を取り戻したと言えるだろう。イタリアサッカーにおいて、スクデットを手にするためには優れた守備が必要だということは、周知の事実である。

【4】多彩な戦術オプション

 コンテはバックラインに“ゴムの壁”を作り上げた。柔軟なゴムでディフェンスラインを築くことで、それをより堅固にしたと言える。これはバルツァーリが統率する最終ラインの動きにも見て取れる。デル・ネーリ時代のユーヴェはオフサイドトラップにこだわるあまり、裏のスペースを突かれるシーンが目立った。「最終ラインを押し上げて中盤をコンパクトにし、プレスをかけやすくする」というコンセプトが間違っているわけではないが、あまりにも柔軟性を欠いた。

 現在、バルツァーリは無理してラインを上げない。押し上げていても、背後のスペースが狙われていると感じればラインを崩してカバーに回る。高い危機察知能力を駆使してラインを上げ下げし、時に崩しているのだ。

 ユーヴェにとって4バックは絶対の教義と思われていたが、それもコンテによってあっさり打ち消された。2011年最後の試合となったウディネーゼ戦。アウェーの上位対決で、コンテはいきなり3バックを採用した。リヒトシュタイナーとマルセロ・エスティガビリアが両サイドの主導権を握ってウディネーゼの攻撃を封じ込め、2トップの一角として起用したシモーネ・ペペは上下動を繰り返して守備陣を揺さぶる。結果は0−0の引き分けだったが、即興かと思われた3−5−2が機能したことが、今後の戦いでも生きる可能性は高い。

 ここで言いたいのは、単に2つのシステムを使い分けるということではない。コンテ率いるユーヴェは変幻自在だということだ。ミルコ・ヴチニッチは相手にボールを奪われれば50メートルを走って追いかけ、そこから目にも留まらぬスピードで反撃に転じる。左サイドMFとして起用されるエスティガビリアは、攻撃的なのか守備的なのか見当がつかない。サイドバックの攻撃参加はリヒトシュタイナーだけかと思っていると、いきなりキエッリーニがエリア内まで飛び込む。

 そして、“変幻自在のユーヴェ”の象徴はペペだ。セリエA屈指のユーティリティプレーヤーは、豊富な運動量を生かして攻守にフル回転するだけでなく、何度となくサイドチェンジを繰り返す。しかも、無闇に走り回るのではなく、ちゃんと周囲とのコンビネーションを考えながらポジションを変え続けている。

 現在のユーヴェでは、すべての選手が文句を言うことなく、監督の采配を完全に受け入れている。それは控えに転落したアレッサンドロ・デル・ピエロも例外ではない。彼はパートタイムの仕事を受け入れながら、キャプテンとしてチームの求心力であり続けている。

 コンテの下、ユーヴェは大きく飛躍するために必要な柔軟性と協調性を得た。このまま成長を続けるようなら、本当に大きなことをやってのけるかもしれない。