猪木新党は「政党交付金狙い」の疑惑を検証
【朝倉秀雄の永田町炎上】
1月8日、「みんなの党」の残党の松田公太氏ら4名に、「次世代の党」へ離党届を出していたアントニオ猪木氏を加えた計5名の参議院議員が「日本を元気にする会」の設立届けを東京都選管を通じて総務省に提出した。結党日は1月1日だという。
政党助成法では、政党交付金はその年の1月1日時点で政党要件(国会議員が5名以上いるか、あるいは国会議員が1名以上いて、かつ直近の衆議院選挙か、過去2回の参議院選挙で有効投票数の2%以上の票を獲得していること)を充たしていないともらえない。毎年、年末が近くなると、やたらと新党ができるのはそのためだ。国会議員は貪欲だから、たとえどんなことをしても国民の血税を懐に入れようと躍起になる。
総務省は1月19日、2015(平成27)年の政党ごとの政党交付金の請求額を明らかにした。「日本を元気にする会」も1月1日時点で政党要件を充たしていると主張し、ちゃっかりと1億1900万円を請求している。
だが、これはかなり胡散臭い。猪木氏の「日本を元気にする会」への入党日を遡らせた疑いがあるからだ。
新聞報道によると、猪木氏が「次世代の党」に離党届を出したのが2014年12月だが、同党の臨時総務会でそれが受理されたのは1月9日。つまり、彼は公式には9日までは「日本を元気にする会」ではなく「次世代の党」所属の国会議員だったことになる。
いくら政治の世界がデタラメでも、一人の人間が二つの政党に属するなどということは常識的にあり得ないから、当然、猪木氏は1月1日時点で「日本を元気にする会」の結党には参加できなかったはずである。猪木氏や「日本を元気にする会」は、猪木氏は1月1日時点で結党に参加していたと主張するだろうが、そうなると「二重党籍」となる。
ちなみに、参議院会派「日本を元気にする会」が猪木氏の加入を参議院事務局に届け出たのが1月19日。同日には参議院会派「次世代の党」も猪木氏の会派離脱届を提出している。国会内での活動単位は「会派」と呼ばれ、理論的には両者は区別されるが、会派には独自の組織はないし、「党」の国会対策委員長が他の会派との交渉役を引き受けているから、実態は「党」と一体だ。
そんな会派が足並みを揃えるように、19日に加入と離脱の届け出をしているということは、「日本を元気にする会」も「次世代の党」も共に、1月1日時点では猪木氏は「次世代の党」の所属だと認識していたことを意味する。
それでも彼が1月1日の結党に参加し、政党要件を充たしていると言い張るのは、国民の血税を懐に入れるための邪な企てとしか思えないのである。
総務省に審査のデタラメぶりを追及すると…「猪木氏は今年の1月1日時点では、公式には『日本を元気にする会』の所属ではなかったはずなんですが、どんなカラクリで総務省は政党交付金を認めたんでしょうかねえ?」
と、参議院事務局関係者も首を傾げる。まったく同感で、義憤に駆られた筆者はさっそく総務省「政党助成室」の担当者に質問をぶつけてみた。すると──
「当省には当該政党がいつ設立されたのか、実質的に調査する権限がありませんので、1月1日に結党したと届出書に書いてあれば、それを信用するしかないのです。届出書には、記載された内容が真実であることの『宣誓書』を添付させています」
という答えが返ってきた。
「そんなことを言ったら、国会議員が5名以上で政党を設立したと称し、その日付を故意に1月1日に遡らせても本当かどうかわからないじゃありませんか? そもそも国会議員にはペテン師と同じような輩も多いのに、そんな輩が提出する宣誓書を無条件に信じるほうがどうかしている。とにかく、猪木氏が「次世代」の離党を正式に認められたのは1月1日より後であることは間違いない。つまり、カネ欲しさに結党日を1月1日に遡らせた可能性が高い。そんな政党に、国民の血税をくれてやって心が痛まないのですか?」
と筆者も食い下がったが、「そんなことを言われましても……」と、役人らしい無責任さで逃げられてしまった。
このように、日本の政党とは実にいい加減なのである。政党法がないために入党日も離党日も勝手に取り繕うことができるし、総務省もそれを調査しない。実態が「二重党籍」であろうと「三重党籍」であろうと、誰もしかるべき審査をしようとしないのである。
猪木氏の永田町での「実力と評判」そんな猪木氏と筆者はかつて、議員会館の食堂で昼食をともにしたことがある。そのときの印象は「イメージよりも随分と背が低いな」ということであった。これでは「リングの王者」ではなく「スキャンダルの王者」と言われても仕方あるまいと納得したものである。
猪木氏は、1989(平成元)年の参議院選挙に「スポーツ平和党」なる党を立ち上げ、比例区に立候補して初当選したが、何しろキャッチコピーが「国会に『卍固め』、消費税に『延髄斬り』」というくらいだから、国会をプロレスリングの延長くらいにしか考えていなかったのかもしれない。プロレスは無論、シナリオのある「八百長」だが、今回の結党劇もそのようなものだというのは言い過ぎか。
そんな男だから、スキャンダルには事欠かない。1993(平成5)年には、公設第一秘書の女性とスポーツ平和党幹事長だった新間寿氏から、「政治資金規正法違反」「収賄」「右翼・日本皇民党との黒い癒着」「税金滞納」などのダークサイドを暴露されている。
それが祟って、1995(平成7)年には参議院選挙で落選の憂き目に遭ったが、2013(平成25)年、夏の参議院選挙に石原慎太郎元東京都知事の後ろ盾を得て「日本維新の会」から出馬。18年ぶりに国政に復帰した。これは国民にとって大きな不幸といっていいだろう。
猪木氏は、師匠の力道山が北朝鮮出身だったことから、北朝鮮には独自のルートを持つとされるが、同年の11月には参議院の渡航不許可を無視して訪朝し、登院停止30日の懲罰を食らっている。拉致被害者の消息の調査問題が絡んでいる現在、「くれぐれも余計なことに首を突っ込んで、事態をややこしくしてくれれるな」との官邸や外務省筋の声が聞こえてきそうである。
朝倉秀雄(あさくらひでお)ノンフィクション作家。元国会議員秘書。中央大学法学部卒業後、中央大学白門会司法会計研究所室員を経て国会議員政策秘書。衆参8名の国会議員を補佐し、資金管理団体の会計責任者として政治献金の管理にも携わる。現職を退いた現在も永田町との太いパイプを活かして、取材・執筆活動を行っている。著書に『国会議員とカネ』(宝島社)、『国会議員裏物語』『戦後総理の査定ファイル』『日本はアメリカとどう関わってきたか?』(以上、彩図社)など。