奇跡的な復活を遂げたサウジとの決戦を前に、「タフな試合になる」とトルシエ監督はチームを引き締めた。 (C) SOCCER DIGEST

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 1月9日にアジアカップが開幕する。連覇を目指す日本は12日のパレスチナ戦で大会をスタートさせる。
 
 史上最多4度のアジア制覇を成し遂げている日本代表。ドラマに富んだその4度の優勝を『週刊サッカーダイジェスト』のアーカイブからお届けしよう。
 
 日本の二度目の優勝は、トルシエジャパンの2000年大会。2年後の自国開催のワールドカップでの躍進を予感させる、いわば盤石の勝利だった。
 
 特派レポートを週刊サッカーダイジェスト2000年11月7日号より。
 
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 大会関係者、日本を含めた各国プレスはもちろん、それこそ街行くレバノン人の間でさえ、かなり早くから日本は「優勝候補の大本命」と言われ続けてきた。
 
 初戦で前回王者のサウジアラビアを一蹴し、続くウズベキスタン戦では大会レコードとなるスコアで大勝を飾る。グループリーグの段階でその評価は固まり、他グループの強豪は日本との対戦を回避するそぶりさえ見せる。市内のあちこちで販売されているクジのオッズでも、日本は他国を圧倒していた。
 
 日本は強かった。最後まで期待を裏切ることなく、強かった。アジアレベルとはいえ、その戦いぶりには大きな成長の跡もあった。今回の優勝はワールドカップ開催国の面目を保ち、来るべき本大会への強化の大きな足掛かりを得た勝利、と言えるのではないだろうか。なにより、いまはまず、よくやってくれたと祝福したい。
 
 締めくくりもまた見事だった。前回チャンピオンのサウジを相手に、彼らは底力を見せてくれたのである。
 
 知ってのとおり、日本とサウジはグループリーグの初戦で激突している。サウジは前回チャンピオンの肩書を抜きにしても、アジアのトップレベルに常に君臨してきた中東の盟主であり、ワールドカップ常連国にもなりつつある。代表チームの強化もこの大会にターゲットを絞ってきた形跡があることから、当初は苦戦が予想された。
 
 ところが、終わってみれば4-1の快勝。意外な幕開けだった。振り返ってみると、この一戦はどちらの国にとっても、大きな起爆剤となっている。
 
 あれからおよそ2週間、決勝に勝ち上がるまで両国が辿った軌跡にはずいぶんと違いがある。初戦で弾みをつけた日本が消化ゲームのカタール戦を除いて順調に大勝を重ねていく一方、サウジは主力選手と確執があったチェコ人のミラン・マチャラ監督を更迭。彼をスケープゴートすることで、チームの士気を辛うじて高めることに成功したのだ。
 
 とはいえ、サウジの苦戦は続き、一時はグループリーグ突破さえ危ぶまれた時期もあった。ところが、崖っぷちに足のかかった彼らは、すんでのところで踏みとどまり、一歩二歩と前進していった。
 
 決勝トーナメント1回戦ではクウェートを延長で寄り切り、準決勝ではイラン戦で死力を使い果たしていた韓国を葬り去った。韓国とは、準々決勝からのインターバルに差があったことも、彼らのメリットになっていただろう。この間、サウジは4バックに戻し、メンバーも若干変わっている。
 
 いずれにせよ幸運にも恵まれ、紙一重のゲームをモノにしていったサウジは、「あのとき(グループリーグ初戦)とはずいぶん変わってる」(高原)という印象を周囲に植え付けるまでに変貌していた。ほとんど順風満帆だった日本と、初戦の大敗から奇跡的な復活を遂げたサウジ。
 
「タフなゲームになるだろう」
 
 前日の記者会見で、トルシエ監督もそう観測した。決勝は指揮官の予想を上回るほどタイトなゲームとなった。
 10月29日、スタジアムのデジタル時計が午後6時を回ろうとしていたころ、日本代表のメンバーはウォームアップのためにピッチへと姿を現わした。レバノンでは前日の午後8時をもってサマータイムが終了したため、キックオフ時間がこれまでより1時間前倒しにされていたが、事実上のタイムスケジュールに変わりはない。いつもどおり淡々とランニングをこなし、普段と変わらずボールとピッチの感触を確かめる日本選手の姿があった。