代々木公園で百円玉を探せ/純丘曜彰 教授博士
/それを探すには、それがあることを信じないと始まらない。そして、ほんとうに信じるなら、たとえそれが今日、見つからなかったとしても、その信念はまったくゆるがない。自分を信じられるやつだけが、自分を探し、自分を見つけることができる。/

 えーっ、あんな広いところで、百円玉を探せったって、そうそう簡単に見つかるわけがない、と言う人。そう、きみには見つけられないよ。だって、きみは真剣に探す気が無い。ある、と信じないきみは、真剣に探しもしないから、けっして見つけられもしない。

 だけど、いくらがんばって探したからと言って、それで、百円玉が見つかるとはかぎらないじゃないか。いや、むしろ、現実には百円玉なんて見つからないだろ。そうきみが言うなら、まあ、あの代々木公園を、まるまる一日、歩き回って、百円玉が見つけられなかった、としよう。で、それだから、どうした? 今日、見つけられなかったからといって、それで、百円玉は代々木公園には落ちていない、と、言えるのか。あんなに広い公園の中の、ほんの小さな百円玉だぞ。たかだか一日歩き回ったくらいで、それで見つからなかったとしても、百円玉が一つも落ちていないことの証拠にも何にもなりはしない。今日、歩き回ったところでは、たまたま見つけられなかっただけだ。百円玉の一個くらい、絶対、どこかに落ちている。明日は、また別のところを歩き回って探せばいい。今日のところで見つからなかったのだから、むしろ明日のところで見つかるにちがいない。

 なぜ東大卒がタフなのか。いったん自力で難関を通ってきた自信があるから。だから、自分自身を信じることができる。そして、なにがあっても自分自身を信じ続け、いつかほんとうの自分自身を見出して、どんなことでも、ほんとうにやり遂げてしまう。一方、推薦だの、なんだの、いったん「裏口」から入ることができてしまったやつは、いつもまた「裏口」を探そうとする。それが、いつもどこかにあると信じて、まともな努力もせず、そればかりを探し続ける。それがせいぜい自分にできる最善だと信じている。まして、一度、挫折してしまったやつ。どうせダメだ、と思って、本気でがんばらない。だから、うまくいかない。それで、ほらやっぱり、と、いよいよ失望を深める。そして、そのせいで、なにもせず、なんにもならない。

 良くも悪くも、若いときの最初の経験が世界観のすべてを作る。その最初の世界観に基づいて、人は人生の可能性を信じる。その可能性へめがけて、行動を起こす。ところが、不思議なことに、その結果は、たとえ期待通りでなくても、その人の信念、哲学には、なんの影響もしないのだ。敗北は敗北ではない。失敗は失敗ではない。そんなものは、数限りなくある道のたった一つが行き止まりだったというだけにすぎない。むしろ、それ以外のどれか他の道で行けば行ける、という、新しい、より現実的な可能性が見えてきた、喜ばしい成果だ。道はけっして一つだけじゃない。きみをけなす人、ジャマする人がいても、そいつが全世界を代表しているわけでもない。広い世界の中には、かならずきみを歓迎してくれる人たちがいて、そこでは、きみの成功が、いまかいまかときみの到来を待っていてくれている。あとは、きみがそこにたどり着く正しい道を見つけることだけだ。

 信念がくじけ、立ち止まったとき、人は、道を見失う。道半ばで挫折した連中が船幽霊のように、きみの信念を打ち砕き、同じ亡霊の世界に引きずり込もうとする。だが、それは、まさに連中が見せる悪しき幻影だ。騙されるな。自分を信じられるやつだけが、自分を探し、自分を見つけることができる。いまからでも遅くはない。あの広い代々木公園だ。百円玉の一枚くらい、絶対に落ちている。同様に、この広い世の中には、きみのチャンスもかならずどこかにある。後は、きみがその存在を真剣に信じ、真剣に探すかどうかだ。探しさえすれば、きみは絶対に見つけられる。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)