ご自宅に3Dプリンターはいかが?
ただ便利なだけではない。3Dプリンターが刺激する「モノづくり」の心
3Dプリントと聞くと、人は二種類のリアクションを示す。
「なんて便利なんだ!ペーパークリップが無くなっても自分で印刷できるなんて。それも一個あたり2分でできちゃうなんて」と言う人もいれば、「ペーパークリップならAmazonプライムで1000個単位で注文できるし、次の日には届くんだからわざわざバカ高い機械なんていらないね。」と言う人もいる。
ただ3Dプリントに好意的な人も懐疑的な人も、この技術が目新しさと利便性の両方を併せ持っていることには同意するだろう。一部のユーザーには支持されている3Dプリンターだが、世の中にとって無くてはならない技術だと言われるほどの実績は、今のところまだない。
たとえどんな皮肉屋であっても、3Dプリント技術が世界を変える可能性を秘めていることは認めるに違いない。3Dプリンターの設置によって生産性が大幅に向上する可能性もある。また医療の現場ではすでに実用化が始まっており、ウガンダで安価な人工装具が製造されている。
先月行われたコンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)では、3Dプリンターのメーカーが様々な製作例を展示していたが、どれもこれも実用的とは言えないプラスチックの玩具やオブジェばかりだった。たとえこうしたプラスチック製の小物を超えた製品を作り出すことができたとしても、この技術が本当に我々の家庭に必要かどうかという疑問は引き続き残るだろう。
AT&Tで「戦略的メッセージング」のディレクターを務めるラリー・クレンシャーは、AT&Tが3Dプリンターの製造メーカーであるCubifyと提携したことを、ReadWriteの取材で明かしてくれた。同社は3Dプリントがもっと便利になる時代がいつか必ず訪れると考えているという。
「今はまだ目新しいだけですが、すぐに必要不可欠なツールになるでしょう」とクレンシャーは述べている。
自宅に3Dプリンターがくる時代
ワシントンDCにあるAT&Tのイノベーション・センターで、クレンシャーは私を含む複数の記者達の前で3Dプリンター「Cubify」のデモ製品を見せてくれた。彼はまず3Dプリントされたジューサーやペーパークリップ、園芸用の立体ラベル等、そこそこ実用性のある品々を紹介した。それからワシントン・モニュメントの小さな模型も見せてきたが、これは正直な話、全く実用的とは言えなかった。
各企業がもっと実用的な3Dプリントのデモンストレーションを行わない理由として、クレンシャーは製造に時間がかかること、多くの場合は複数のパーツを組み立てないと完成しないことを挙げた。つまり、もっと長い時間をかけて複数の部品をプリントし、それらを組み立てれば3Dプリンターの実用性はもっと向上するというわけだ。
ちなみに、今回のデモに使われた3Dモデルは全てThingiverseからダウンロードされたものだった。このサイトでは、Makerbotがクリエイティブ・コモンズのライセンスに基づいた3Dモデルを提供しており、誰でも無料で利用することができる。Thingiverseには単純な家庭用品から、複数のパーツで構成されるカメラや可動ロボットなどの複雑で作り甲斐のあるアイテムまで色々と揃っており、3Dプリンターさえあれば誰でもこれらの製品を作ることが可能だ。さらに、最新の3Dプリンターは二つのカートリッジを備えているため多色プリントも可能だし、いずれは複数の素材を使ったプラスチック以外の製品も作れるようになるだろう。
3Dプリンターを使って本当に使えるものを作りたければ、それ相応の努力と時間が必要だと理解することが大切だ。モデルのサイズや形を微調整し、複数の部品をプリントし、さらにそれを組み立てるという作業が必要になるだろう。スタートレックに登場するレプリケーターのように、複雑な物体を完成形で、しかも数分のうちに生成してくれるというわけではないのだ。少なくともまだ現時点では。
おそらくこの点が、まだ新興の技術である3Dプリントを古臭く見せてしまう原因なのだろう。企業にしてみれば、よほどの物好きか製造業でもない限り、ユーザー側に多大な努力を強いる3Dプリンターをわざわざ買う者がいるとは思えないのだ。現時点で3Dプリンターが消費者のニーズを的確に満たせていないために、将来的な可能性も否定されがちなのである。
しかし我々は過去に何度も、大手企業が新しい技術をまだ未熟だという理由で拒絶してきた前例を見てきた。
「破壊的技術:時代の波に乗る(Disruptive Technologies: Catching the Wave)」という学術記事において、著者であるジョセフ・バウワーとクレイトン・クリステンセンは、ゼロックスがキャノンに小型デスクトップ・コピー機の製造販売を許可したのは一般消費者がコピー機を使うようになるとは想像できなかったからだと述べている。確かに当時のデスクトップ・スキャナーは今よりも巨大でスピードも遅かったが、それでもこれは大きな過失だったと言わざるを得ない。逆に今では昔のような大型のコピー機を使う機会の方がはるかに少ないのだから。この一件の教訓は、大企業というものは技術に関して常に正しい判断を下せるとは限らないということ、そして大企業が「新興技術」だと考えているものこそが、次世代を制する可能性を秘めているということである。
クレンシャーは携帯電話のテキストメッセージを例に挙げた。かつてテキストメッセージは子供達の間でしか使われておらず、音声による通話からすれば技術的にはむしろ後退と見られていたのだ。しかしすぐに人気に火が付き、今では企業ですらSMSを受け入れている。
「10歳前後の世代には人気でしたが、企業はバカにしていました」と彼は言う。「今では誰もがテキストでやり取りしています。3Dプリントも同じ道を辿るでしょうか?その可能性は十分にあるでしょう」
私が想定している3Dプリンターの「隠れた使い方」は、完全且つ完璧なオーダーメイドだ。
我々人間は一人ひとり違った存在であり、それぞれに違った問題を抱えている。身の回りで使う物も、我々自身と同じように他人とは違っていて当然ではないだろうか?確かにAmazonでペーパークリップを注文するほうが楽かもしれない。でも私個人としては、自分の作業に適した形やサイズ、色に合わせて自分でオフィス用品を作ってみたいと思う。セレブ達が全ての衣装をオーダーメイドするように、日用品を自分らしくカスタマイズすることが新しい贅沢なのではないだろうか。
今はまだクレンシャーが見せてくれたレモン・ジューサーに1時間20分もかかってしまうが、3Dプリント技術はどんどん早く、安くなっている。利便性よりも個性が重視される時代は必ず来るだろう。そして一度でも自分専用にカスタマイズした環境を整えてしまったら、二度と他人と同じアクセサリーを身に付けたり大量生産のインテリアを購入する気にはなれないに違いない。
人間のエゴを甘く見てはいけない。そしてこれこそが、3Dプリンターを軽んじてはいけない理由なのである。
画像提供:Lauren Orsini
Lauren Orsini
[原文]