逆転、挫折、復活……レースに凝縮される悲喜こもごものドラマは、人の一生にも例えられる。だから人は馬に熱狂する。競馬界に語り継がれる「至高の名勝負」から、1998年の天皇賞秋のサイレンススズカと騎手の武豊について、中村計氏(ノンフィクションライター)が綴る。中村氏は武に当時を振り返ってもらった。

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 三度のやんわりとした「返答拒否」。そこに武豊の、今なお整理がつかない複雑な思いが凝縮されているようだった。
 
 栗東トレセンで追い切りを終えた午前十時過ぎ。武は、表向きはあくまで淡々とあの日のことを振り返った。が、それだけにかえって感情の深さをうかがわせ、無念さが際立った。
 
 1998年11月1日、晴天の東京競馬場で開催された秋の天皇賞。1枠1番、そして1番人気と、日付と同じく3つの「1」が並んだサイレンススズカにレース後、4つ目の「1」が付くのは必然に思われた。ゲートが開き、何かに弾かれたように飛び出したサイレンススズカは、前脚を掻き込むごとに後続をぐんぐん引き離した。
 
 前半1000メートルを57秒4という信じられないような超ハイペースで通過。2番手のサイレントハンターとはおよそ10馬身もの差が開き、その後ろとはさらに5、6馬身の間隔が空いていた。普通の馬ならば完全なオーバーペースだが、サイレンススズカにとっては思い通りの展開だった。
 
 武が常識外れの逃げを打つようになった裏にはこんな経緯があった。サイレンススズカと初めてコンビを組んだのは、約1年前、1997年12月14日の香港国際Cだった。
 
「最初から全力で走り過ぎちゃうというか、サラブレッドの本質の塊のような馬だった」
 
 この頃は、先に行かせつつも後半に備えてどこかで抑えていた。そのため道中で折り合いを欠くことが多く、香港国際では終盤に捲られ5着に終わった。そこで武は大胆な騎乗を思いつく。
 
「抑えようと思ってもきかない。だったら、前半から好きなように走らせた方がいいと思った。この馬は走っているときがいちばん楽しそうでしたからね。それでも持つんじゃないかな、と」
 
 年が明け、古馬になったサイレンススズカは常識を逸脱した大逃げで連戦連勝。そうして気持ちよく走らせているうちにレース途中で息を入れることを覚える。
 
「馬が気付いてくれたんです。それで最後の最後で、また加速できるようになった。これはすごいことになったなと思いましたね」
 
 いよいよ才能を開花させたサイレンススズカは、1998年の4戦目、金鯱賞では2着以下を11馬身引き離し圧勝する。「あんな体験、普通はできない。(後ろからくる)足音をまったく聞かないままゴールしちゃったんですから!」
 
 武の中では今なお唯一無二の競走馬だからだろう、他にも似たような馬はいたかと問うと「他の馬との比較はいいじゃないですか」と小さく口を尖らせた。
 
 武が「あそこで完成した」と振り返るのは、1998年の6戦目、そこまで無敗で底知れぬ力を誇示していた外国産馬、エルコンドルパサーとグラスワンダーを破り6連勝を飾った毎日王冠だった。
 
「最高のレースが出来て、いよいよ海外も視野に入れ始めた。みんなびっくりするんじゃないかって話していたところだったんです」

 天皇賞が行われたのは、その3週間後のことだった。毎日王冠に勝ち、いよいよスターホースとしての道を歩き始めたサイレンススズカにとって、天皇賞は物語のいわば序章となるべきレースでもあった。 第3コーナーを回るまで、すべては予定通りだった。
 
「息が入り始めて、いいぞ、いいぞ、と。本当にいい感じだった」
 
 ところが──。第4コーナーに入る直前だった。サイレンススズカは、にわかに失速。2番手のサイレントハンターにあっという間に差を縮められると、あっけなくかわされる。武の誘導によってコーナーの外に出されたサイレンススズカは、左前足を宙に浮かせ、三本脚で立ち止まっていた。足を地面に着けないということは、故障が重度であることを物語っていた。武はその様子を見て、「物語」が始まる前に終わったことを悟った。
 
「レース中、何が起こったかはすぐにわかった。ジョッキーにとっては、いちばん嫌な瞬間ですね」
 
 その瞬間、ジョッキーの体にどんな感触が伝わるものなのか。それを問うと、しばらく唸ったあと、こちらを拒絶するような、嫌悪するような苦笑いを浮かべた。
 
「あんまり細かくは言わなくてもいいんじゃないかな。普通の人は知らなくてもいいことでしょう」

 武にとっては、もっとも酷な質問だったことに気付かされた。サイレンススズカは、左前脚の膝に見える部分、手根骨を粉砕骨折していた。直後、再起不能の診断が下され、安楽死の処置がとられた。そんな大けがだったにもかかわらず、故障発生時、サイレンススズカは何度となくバランスを崩しながらも最後まで立ち続け、武を背中に背負い続けた。
 
「なかなかいない。あのトップスピードで、あれだけの骨折をして転倒しない馬は。僕を守ってくれたのかなと思いましたね。今でもすごくよく、サイレンススズカのことを思い出すんですよ。せめてあと数百メートル、走らせてやりたかったな。うん、すごい残念。今でも悔しいですもん」
 
 あの日の晩、武は何人かの知り合いとワインを痛飲した。
 
「泥酔したの、あんときが生まれて初めてだったんじゃないかな。夢であって欲しいな、って」
 
 なおもその晩のことを尋ねると、「その話はもういいですよ」と急に笑顔を引っ込めた。聞かれたことにはプロとして最低限答えるが、これ以上は立ち入らないで欲しいという意思表示に思えた。
 
 もう少し先の話を聞きたいと思ったところで、三度、扉が閉められた。武は今も愛馬の死を背負っていた。

※週刊ポスト2013年12月6日号