人に恥をかかせないこと、嫌なことを笑い飛ばすこと −堀場製作所最高顧問 堀場雅夫氏
■客の懐具合で応じる京都の花街文化
僕らの世代では「他人に恥をかかせない」ということが気遣いの第一でした。家庭でも「そんなことをしたら恥ずかしいよ」「恥をかかないようにね」と教えられました。
たとえば中卒の人が1人でも交じっていたら大学生活の話はしない、外国籍の人がいたら差別的なことは一切いわない。相手に嫌な思いをさせないということが大事です。その意味では、ネガティブな反応を避けるためのリスクマネジメントだといえるでしょう。
京都の花街には「お客に恥をかかせない」という文化があります。40代に入るころ、堀場製作所もそれなりの会社になったので、目上の人に連れていってもらうだけではなく、お客様の接待にもお茶屋を使うようになりました。僕が行っていたお茶屋の女将さんは、そういうとき、僕に恥をかかせないよう上手に気を遣ってくれたものです。
接待相手に恥ずかしくないようにすることはもちろん、芸妓や舞妓にご祝儀を渡すタイミングがわからないでいると、「あんたはそんな気使いせんでよろしい。あんたが恥をかかんよう、私がちゃんとしておくから」と耳打ちしてくれました。
しかも、会社や僕の懐具合を承知していて、あまり費用がかからないように配慮してくれるのです。
たとえば「芸妓さんを3人ほど呼んで」と頼むと、「2人にしときなさい。3人なら費用は1.5倍かかるけど、効果は1.1倍やさかい」。こういう気遣いをするのです。
「情けは人のためならず」といいますが、こういう気遣いは必ず自分に返ってきます。お客からすると「儲け主義の別のお茶屋と違って、あのお茶屋さんは、ぼったくりはしない。リーズナブルにきちっと遊ばせてくれる」という好印象を持つわけです。するとその評判が広まります。
ただ、最近は芸妓を2人しか呼んでいないのに3人やってくる場合も増えました。こちらの懐具合を見越して、「それくらいならかまへんやろ」と思うのでしょうね(笑)。
ところが、昨今は恥を知らない大人が増えたのが残念です。菅直人元首相や鳩山由紀夫元首相が典型です。まわりから信用されるためにも、人間はもう少し恥ということを意識しなければいけません。
■おもしろおかしく相手を愉快にする
最近は自分の信念を通すのではなく、その場その場で適当につじつまを合わせる人が当たり前のように増えました。信念を通そうとすると、「あの人は片意地な人や」「融通が利かん」といわれ、ネガティブに見られるのが通り相場です。
しかし、他人が何といおうが、自分の信じることが正しいという信念があれば恥ずかしいことはありません。むしろ、間違ったことを前提にしていたことが後になって判明することのほうが恥ずかしいですよ。
たとえば、いまは二酸化炭素(CO2)が増えたため地球温暖化が進んだことになっている。でも、本当にそうなのか。学問的にみて、CO2が増えたからといって、地球の気温が変わるわけはないんです。
石油や天然ガスの消費を少なくし、低炭素型社会を目指そうという観点は大切です。ただ、それによって温暖化を食い止めようというのはおかしな論理です。まして温暖化対策のためCO2を地底に封じ込めるとか、そんなことに莫大な費用をかけるのは意味がありません。それよりも、巨額の予算を新技術の開発や福祉にまわしたほうが有意義ですよ。
僕は何をするときもおもしろくやろうと心掛けています。それが社員やお客さんへの気遣いになるのだと思います。そもそも堀場製作所の社是は「おもしろおかしく」。おもしろくない時間を持てば、ものすごく時間をロスしたことになると思うからです。別の言い方をすると、嫌なことはやらない主義です。
「あなたは自分で会社を興したのだから、命令ひとつで嫌なことをやらなければならないサラリーマンとは違いますよ」と反論する人もいるでしょう。僕がいうのは、そんな低レベルの話ではありません。嫌なことでもおもしろく感じられるかどうかは、気の持ちようなのです。
そもそも中小企業の社長なんて嫌なことだらけです。僕はそれをずいぶん経験しました。大学を出たての若い銀行員に頭を下げてお金を借りなければならないし、不良品を出せばお客さんからぼろくそに怒られる。税務署の調査にも入られる。
しかし、それを1つひとつ解決していく快感というものがあるんです。たとえば、うまく銀行をだまして資金を借りられたら楽しいですよ(笑)。税務署対策では、1年間、徹底的に税の勉強をしました。若手の署員が来ても、僕のほうがよっぽど税法に詳しくなった。「君は税法何条を根拠にそんなことをいうのか。うちは税金を払うお客さんや。お客をもっと大切にせい」。こうとっちめると、それからは修正の指摘も一切なし。そうなればおもしろいですよ。
お客さんに怒られに行くときも、はじめは単純に嫌でした。でも、こう考えるようになりました。頭ごなしに叱りつける客には、よし、次には仕返しをしてやるぞと思ってしまう(笑)。反発心が残るのです。
一方で「わしは昔から堀場を信用していたのに、こんなチョンボをするとは悲しい。いったいどうしたんや」と叱る人もいる。こちらには、何としてもちゃんとした製品を納めなければと反省します。すると、次はどっちのタイプで怒られるのかと、それが楽しみになるわけです。
嫌なことでも、おもしろくなるように努力をする。そうしないでブツブツ文句ばかりをいっていると、まわりにも嫌な思いが伝わり、いいことは何も起きません。逆に相手が愉快になってくれたら、そのままこちらへ返ってきます。だから全体の雰囲気を楽しくしようと、「おもしろおかしく」を社是に決めたのです。
■基本給を倍増させ、生産性を3倍にする
ただ、会社でも急成長が続くうちは黙っていてもおもしろさを実感できますが、踊り場にきたときにはある種の仕掛けが必要です。僕は社長時代、会社の調子がよいときも悪いときも、意識して矢継ぎ早にいろんなテーマを投げかけていました。
たとえば1968年、中小企業のほとんどが土曜半休制だったころ週休2日制を打ち出しました。すると労組は大幅ベースアップがなければ受け入れられないというのです。休みが増えればレジャー資金もかさむからというのが理由ですが、そういわれて僕も納得しました。そこで週休2日に加えて基本給を倍増し、その代わりに生産性3倍を目指すということを労使間で合意したのです。
実現のために労使のプロジェクトチームをつくり、4年目にはそれを実現しました。社員は課題を解決していくことで、おもしろさを実感できたと思います。これもまた「情けは人のためならず」。従業員が元気になることで、会社もますます元気になっていったのです。
※すべて雑誌掲載当時
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1924年、京都市生まれ。46年京都帝国大学理学部物理学専攻卒。45年堀場無線研究所を創業し、53年堀場製作所設立。61年医学博士号取得。2005年より現職。06年には分析化学の分野で権威がある「ピッツコン・ヘリテージ・アワード」を米国人以外で初めて受賞した。先月、やっと同受賞式に出席できた。「とっても感慨深く感動したね」。
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(面澤淳市=構成 芳地博之=撮影)