『一億総ツッコミ時代』槙田雄司/星海社新書)

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『一億総ツッコミ時代』の著者、
マキタユウジ@makitasports さんへ。



前略。
マキタユウジ@makitasports さん、こんにちは。
歌人の枡野浩一と申します。
ツイッターで少々やりとりをしたことがあるだけで、
直接お目にかかってお話したことはないと思います。
ただ「マキタスポーツ」さんの歌のライブを、
生で拝見したことは何度かあります。
ラジオ番組に出演したとき、リクエストして、
マキタスポーツさんの曲を流してもらったこともあります。

槙田雄司『一億総ツッコミ時代』(星海社新書)、
拝読しました。
ほんとうは出版されてすぐに購入し、
ひと月前には読了していたのです。
感想を書こう書こうと思いながら、
こんなに時間が経ってしまいました。
世の中はいま《ツッコミ過多》で、
《メタ》的な批評家ばかりが目立っているけれど、
あえて《ボケ》の立場を選びとるような、
《ベタ》な生き方をしたほうが面白いよ、
という、
とてもシンプルな主張の書かれた本です。
具体例もふんだんに出てくるし、
難解な本ではけっしてないのに、
感想を書くのは難しいと感じました。
「感想を書く」という自らに課した宿題を、
絶えず意識の隅に重く置きながら、
ほかの本や映画や演劇を色々と鑑賞しました。
たとえばコンビニ本『ALWAYS地獄の三丁目
本当は怖い昭和30年代』(鉄人社)を読むと、
日常生活で「ツッコミ」にまわる人が
今よりは圧倒的に少なかっただろう昭和初期が
必ずしも「天国」ではなかったことを自覚させられます。
そんなことを考えているうちに、
『一億総ツッコミ時代』に書かれているのは
とてもシンプルな主張だけれど、
その主張どおりに生きるのはとてもとても難しいことであり、
それゆえ感想がなかなか書けないのだと気づいてきました。

この本に書かれていることに対して、
異議はほとんどひとつもありませんでした。
つまりこの本にとって、
私はあまりよい読者ではなかったかもしれません。
この本で生きる姿勢が変わりました、
という読者こそが求められているはずですから。
「この本のようなこと、だれかに言ってほしかった」
と、
遠い昔から望んでいた気がします。
むろん優れた文章はおうおうにして、
「言葉にされてみて初めて気づいたけれど、
その前から自分も同じことを考えていた気がする」
と、
読者に錯覚させる文章です。
ですから、その意味で、この本は満点でした。
自分にも書けた、とは、まったく思いませんでした。
《ツッコミ過多》な姿勢で作品をつくりつづけ、
やがて世の中の《ツッコミ過多》に疲れを感じ始めた、
「マキタスポーツ」だから書けた本だと思いました。

批評のような文章を書くこともあるけれども、私は、
日常生活では基本、つっこまれてばかりいる人間です。
たとえばこのあいだ、
「5時に夢中!」という東京ローカルのテレビ番組で、
ふかわりょうさんの代わりに司会をつとめました。
そのときの映像が、
YouTubeに無断アップされてしまっています。
『天才・枡野浩一の元気がないテレビ』と、
勝手なタイトルが付けられていました。
私はそのタイトルを正直「うまい」と思い、
笑ってしまいました。
けれども、
その「うまさ」は、
もうネットには飽和してるなとも思いました。
あの番組が私を代打司会に起用してくれた理由が、
もともと「つっこまれるような稚拙な司会っぷり」にあると、
うすうすわかりつつ出演したのも事実でした。
「つっこまれるような稚拙な司会っぷり」を、
わざとやったわけではありません。
精一杯きちんとやろうとして、ああなってしまうんです。
そのことを最近、「わるくない」、と思えるようになっていました。
つっこまれ、笑われているとき、私はいやな気持ちではありません。
もちろん「いじめ」的なまなざしがない、
あたたかい出演者やスタッフや視聴者の皆さんに守られているから、
そう感じるのだと思いますが。
「書くものの印象からもっと怖い人だと思っていた」と、
テレビを観た人からよく言われます。
「そうか、私は実際よりも怖い人に思われるものを書いてきたのか」と、
これまで書いてきたものを反省したりはします。

この本を読みながら、
そんなふがいない自分のことを、
やんわり肯定してもらったような気持ちになりました。
短歌というマニアックなジャンルで私は、
ちょっと「先生」的なポジションにいます。
その「先生」的な私は常に、後輩たちの短歌につっこんでばかりいます。
ただ、
いい短歌とは「つっこみの余地がある短歌」であると、
常日頃から主張してきました。
短歌は「作者」と「読者」と「批評家」が同じ人だったりするという、
風通しがわるくて、お金を生み出しにくいジャンルです。
一人でボケて、
一人でツッコミをいれ、
一人で笑ったり笑わなかったりするんです。
短歌の愛好家たちは集まって、交代交代でそれをやっています。
お笑いライブにたとえると、
「ネタ作り」と「練習」と「ダメ出し」だけをやっていて、
晴れの舞台がない状態に近いのかもしれません。

あっ、すみません!
ついつい、短歌界につっこみをいれてしまいました。
他人の批判をしているひまがあったら、
もっと自分自身がそれに《夢中》になろう、
というのがこの本の主張でしたよね。
マキタさんはこの本で、
いわゆる「ヤンキー」と呼ばれる方々の、
《夢中》の強さについて言及されていました。
もしかしたらヤンキーの方々が短歌を詠んだりするようになれば、
もう少し短歌界も風通しがよくなるのかも、と思ってしまいます。

さて。
私がぐずぐずしているうちに、
あのプロ書評家の吉田豪さんが「アエラ」11.12号に、
この本の的確な書評を書いてしまいました。
吉田さんはマキタさんのこの本での決意表明を、
《新宿ロフトプラスワン辺りのイベントで
世間にツッコミを入れる側から、
地上波ゴールデンタイム番組などで
いじられる側になる覚悟が出来たってことなんだと思う。》
と好意的に評価し、
その直後に、
《マキタさんみたいに誰よりも考えた上でボケに回ってたら
(前田敦子さんのような)本物には勝てないと思うのであった。》
(※カッコ内は枡野の補足)と、
吉田豪一流のツッコミをいれています。

それは書評として申しぶんのない見事なツッコミなのですが、
しかし私は、
《マキタさんみたいに誰よりも考えた上》でのボケ、
「天然」ではない、
強い意志によって生み出されるボケこそが、
やはり今の時代には必要なのではと思えてなりません。

   くりかえし裏返された裏声で地声をつくるくるくる狂う (『ますの。』)

という短歌をむかし詠んだことがあります。
私たちは裏声で地声をつくるような複雑な手続きを経て、
なおかつ狂わないように細心の注意をはらって、
ようやっと昭和三十年代ではない、
平成二十四年を生きることができるのではないか。
そんな実感を味わっているこのごろです。

『歌うまい歌』という、
自分の歌のうまさに酔っているかのような歌い手に
ツッコミをいれる歌を作詞作曲して歌っていたマキタさんが、
純粋な歌のうまさを競う地上波ゴールデンタイム番組で優勝した、
との噂がツイッターで流れてきたときも、
改めてそう感じました。

マキタさんと以前、
ツイッターでこんなやりとりをしたのを、
覚えていらっしゃるでしょうか。

https://twitter.com/makitasports/status/33575700279726080

https://twitter.com/toiimasunomo/status/33576996332109824

https://twitter.com/makitasports/status/33738298165821441

このときの記憶が強烈だったため、
本書『一億総ツッコミ時代』が、
マキタさんの壮大な冗談だったらどうしようとも思っていました。
そのことも感想発表をためらう一因だったと思います。
ですが、
たとえこの本が「冗談」だったとしても、
その冗談をまにうける自由が、受け手には、ある。
全部、まにうけてみようと、私は思いました。
マキタさんの『十年目のプロポーズ』をまにうけ、
ふつうに「いい歌」として聴く人がもっといても、
全然いいはずです。

ところで、
この本の感想がうまく書けずに現実逃避していたとき、
新宿二丁目での飲み友達が、
こんなことを言っていました。
彼はゲイ同士のセックスにおいて
「ウケ」「ネコ」「凹」のポジションをとるのが好きな人なのですが、
じつは「タチ」「凸」のポジションをとる人より、
「ウケ」「ネコ」「凹」のポジションをとる人のほうが、
ツッコミが激しい、というのです。
「タチの人はセックスのとき忙しいから真剣なんだけど、
ウケのほうはわりとひまだから、
タチの人のことを冷静に観察しちゃうんだよね。
だから、つっこまれてるときは、つっこんでるというか」
というのが彼の弁でした。
(※個人の感想です。
また、凸と凹という形での合体をしない方もいるそうですし、
凸と凹は固定的なものではなく、両方を好む方もいるそうです)
私はこのへんに、
「一億総ツッコミ時代」を乗り切るヒントが、
隠されているのかもしれないという気がします。
それは気のせいかもしれないという気もします。

ほかにも、
この本には面白い細部がたくさんあり、
たとえば松本人志さんや千原ジュニアさんの笑いが
《神経過敏な部分を笑いに転化している》といった指摘なども、
たいへん興味深く拝読しました。
まあ、
色々と、
余計なことを書いてしまいましたが、
最後はこの本の提案どおり、
《「良い/悪い」という評価》ではなく、
《「好き/嫌い」という感情》を表明して、
しめくくらせてください。

好き。
マキタさんの本、好きです。
マキタさんの歌も、本人も、好きです。
ご家族もある身、
お仕事もますます多忙かとは存じますが、
そう遠くないうちにお目にかかって、
新宿二丁目あたりで飲みながらゆっくりお話できたら、
この上なく幸いに存じます。
草々。
(枡野浩一)