中国共産党の元総書記で天安門事件で失脚後、軟禁状態のまま2005年に死去した趙紫陽氏に対するインターネット検閲が21日未明、一時的に解除された。

 中国のネット上では、2011年2月20日の「中国式ジャスミン革命デモ」がネットで呼びかけられて1周年ということもあって、当局がネット世論の動向にとくに神経質になっている時期だけに、趙紫陽ページの解禁にどのような意図があったのか臆測を呼んでいる。

 23日夕時点にはそのページは再びアクセス禁止になっており、内部で趙紫陽氏や天安門事件の再評価に対する議論が盛り上がっているのではないか、江沢民派閥の勢力の衰えを示しているのではないか、ネット管理に関するといった臆測が流れている。

 21日未明、中国におけるウィキペディアに相当する百度百科で「趙紫陽」の項目があることを中国人ネットユーザーが確認した。趙紫陽氏の名前は天安門事件以来、検閲ワード(敏感語)に設定されており、いわゆる一部のニュース記事以外ではその名前を検索することはできなかった。

 香港や、シンガポールのメディアなどが、これを受けて23日までに報じたが、23日夕現在、この百度百科の趙紫陽項目は再び検索不能になっている。趙紫陽氏の百度百科ページには21日の一晩だけで216万以上のアクセスがあったという。

 報道によると、百度百科ページでは趙紫陽氏は「無産階級革命家、政治家」と紹介され、「反党反社会主義動乱の中で犯した罪を報告した」「動乱の形成と悪化に対して逃れられない責任があった」「思想の指導と実際の任務において明らかな過失があった」ため解職された、といった公式見解が1000字ほどで書きこまれたていた。しかし、天安門事件当時、天安門広場に赴き、学生たちと対面したことやそこでの演説の詳細、また解職された後に軟禁生活を続けていたことなどは、書かれていなかった。百度百科はネットユーザーが内容書き込み、検閲を受けたのちに公開されるユーザー編集による百科事典だが、この内容についてはユーザーが勝手に書き加えることができないようにロックされていた。

 この件は、中国国内のネットユーザーが微博(マイクロブログ)で発信され、一時間のうちに2000回以上リツイートされ、500余りのコメントが寄せられた。その中で軍事作家の趙楚氏は「どんな背景があるにせよ、趙紫陽の名前が再び大衆の前に現れたことは拍手してもいい開明てきな進歩だ」と論評した。(編集担当:三河さつき)