昨シーズンのある時期、クロダは睡眠障害に悩まされて、その診断のために二晩病院で過ごした。彼はそのことをチームメイトに決して漏らさず、そして誰にも知られること無く、試合後に検査と観察のために病院に行き、翌朝球場に戻ってきた。その問題は、最終的に解決した。

ヒルマンは、クロダが何か難しい状態に陥っていると感じていたが、それ以上のことは判らなかったと言った。

「それが彼なんだ」ヒルマンは言った。「彼は私たちのために現れて、そして投げる」

アレックス・オチョア、かつての外野手で現在はレッドソックスの1塁コーチを務める彼は、クロダには米国で投げる技術と精神力があるといつも思っていたと言った。

オチョアは中日ドラゴンズにいた4年間、クロダと対戦していて、2007年にはカープで一緒にプレーした。クロダは他の日本人投手のようにドラフトで上位指名された高校野球のスーパースターではない。しかし彼はカープのローテーションを守り続け、そしてメジャーリーグにおける将来の成功を暗示する投球理論を持っていた。

「彼はアメリカ人みたいな投球をしていた」オチョアは言った。「彼はファストボールで向かっていって、そしてアウトを取るために変化球やスプリッターでを使っていた。それに彼は、いつも戦っていた。ある試合で彼は最初のイニングにスリーランを打たれて、彼は降板するんじゃないかって僕は思った。だけど8回になっても彼は投げていて、与えたのはその3点だけだった」

その競争力は、昨年レッドソックスなどの他のチームを助けることができただろう。なのでクロダのトレード拒否条項を行使すると言う決断は、不可解だった。プレーオフに進出するチャンスが殆ど無いチームに残り、ポストシーズンで投げる潜在的なチャンスを断ったのだ。

「ここに残った大きな理由は、シーズンが始まったときと同じ彼らとプレーするのが本当に重要だからだ」彼はドジャースのウェブサイトで言った。「僕は彼らと一緒にシーズンを終えたい。勝てないのは僕にはしんどいけど、チームメイトと一緒にプレーすることがより大事なんだ」

しかし彼の契約が終わった時、ドジャースは彼との再契約に少しの興味しか示さなかった。クロダは他でプレーする決断をした。

かつてのドジャーズ監督、トミー・ラソーダは ロスアンジェルスの日本人投手の先駆者、ヒデオ・ノモの成功に尽力した。クロダはノモの遺産の立派な後継者だとラソーダは言った。

「二人ともシャイで、義理堅い」ラソーダは言った。「ヒロキが私たちと一緒に居たかったのはそれが理由だと思う。彼は契約してくれたチームと彼のチームメイトに、義理を果たしたかった。しかし私が言いたいのは、ニューヨークの攻撃力があれば、彼はたくさん試合に勝つだろうということだ」

参考記事:A Japanese Pitcher Without the Mystery By DAVID WALDSTEIN  The New York Times
http://www.nytimes.com/2012/02/09/sports/baseball/yanks-think-they-know-what-they-are-getting-in-hiroki-kuroda.html