ツイッターで「野球観戦なう」などとつぶやくと、かならず「乙武さんは、どこのファンですか?」という質問を受ける。僕の返す答えは、決まっている。

「野球ファンです!」

 子どもの頃は、阪神タイガースのファンだった。東京で生まれ育ち、父は根っからの巨人ファン。そんな環境のなかで、なぜ僕が阪神ファンになったのかは、いまもって謎のまま。だが、とにかく物心ついた頃から、テレビにタテ縞の選手たちが映しだされるたびにキャッキャッと喜んでいたらしい。ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布のバックスクリーン3連発で日本一に輝いた85年は、小学3年生。毎朝、阪神帽をかぶって学校に通っていた僕は、狂喜乱舞した。

 それからは長い暗黒時代が続くことになるが、それでも阪神への愛は変わることがなかった。どう考えても2番打者が適任の和田豊にクリーンアップを任せざるを得ない貧弱な打線も、“たむじい”と呼ばれる老け顔のリリーバーが最も頼りになるという心許ない投手陣も、「神のお告げだ」と途中帰国してしまうダメ助っ人も、そのすべてが愛おしかった。

 しかし、大学卒業後にスポーツライターとなり、取材を通して12球団それぞれにつながりができると、個人的な思い入れを抱く選手もでてきた。そして、その選手がタテ縞のユニフォームを着ているとはかぎらなかった。

 次第に、「阪神ファンです!」と胸を張って答えられなくなっていた。特定の球団について言及してはならないという制限からではなく、思い入れのある選手のその日の活躍に一喜一憂している自分に気がついたのだ。

これまではチャンスに三振でもしようものなら、テレビの前で「なにやってんだ!」などと叫んでいたのが、下手にインタビューなどを通じて内情を知ってしまうと、「あ、あの選手、公言してないけど、いまは膝の痛みを我慢しながらプレーしてるんだよな……」などと気遣いが先に立ってしまうこともあった。つまり、スポーツライターになってからというもの、皮肉にも純粋にスポーツが楽しめなくなってしまっていることに気がついたのだ。

ところが、2007年4月から3年間という任期付きで小学校教員として採用されることとなり、スポーツの現場から足が遠ざかった。それから、まもなく5年が経とうとしている。

脂の乗り切った時期がそう長くは続かないスポーツ選手にとって、5年とはあまりに長い期間。当時、僕が取材でお世話になっていた選手の多くは、すでにユニフォームを脱いでいたり、海を渡っていたり。たった5年とはいえ、隔世の感がある。

田中将大、前田健太、糸井嘉男、長野久義など、現在、日本プロ野球界を担う選手には、ここ5年で頭角を現してきた選手が多く、もちろん取材させていただいたこともない。それなら球場やテレビの前で、何のしがらみもなく楽しめそうだ!

というわけで、来る2012シーズンも、みなさんとともに楽しんでいければと思っています。あらためて、本年もよろしくお願い申し上げます。

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