ところが、倉地さんがインターネットでサイトを立ち上げ、08年に「倉知明美」名で、銀座ホステス業界の裏側を描いた本を出版したことから、倉地さんの身に飯島との関係を巡るトラブルが起き始めた。サイトで知り合った大阪在住の自称カメラマン・平岡太郎(仮名)に付きまとわれたのだ。

 平岡は最初、私にメールや電話を時々してくる程度でした。ところがしだいに非常識な時間に電話をかけてきたりするので、注意すると平岡は逆ギレ。私の本の内容や、愛との関係についていろいろな話をデッチ上げ、ネット掲示板「2ちゃんねる」に悪口を書き始めたんです。

 やがて不特定多数の人間が彼の話を真に受け私の悪口を書き始めた。相手にしないでいると、次に平岡は、愛のブログに、私の名前で愛の悪口を書き込むようになり、それを信じたファンが、私のサイトに何百と抗議を書き込み始めた。

「愛ちゃんに嫉妬して嫌がらせするな!」「生きていてもしかたない人間。早く死んで」‥‥。あげく私が

「飯島愛が女子高生コンクリート詰め殺人事件に関係していることをネタに彼女を脅している」犯人だと書き込まれたんです。

 確かに飯島は、06年10月のブログで、自身が89年に東京・足立区で起きたこの猟奇事件に関与しているという中傷に悩んでいたことを明かしている。さるネットライターは言う。

「あの噂は、飯島さんが、犯人のグループと同年齢で、彼女の実家が犯行現場から比較的近かったことや少年の交際女性が監禁現場に出入りしていたという情報だった。少年事件ゆえ犯人の名前や環境が不明で、ネットにあらぬ噂が立ったのです」

 平岡は私が愛と長年の親友だったことや、愛がこの噂に悩んでいることを結び付けて中傷したんでしょう。

 そんなこと、愛はわかっているはずなのに、愛のブログに私の名前で書かれた中傷を愛に削除するよう言うと「私がブログを管理しているわけじゃないから‥‥」と言うだけでした。

 やがて2ちゃんねるには私の自宅住所や、家族の中傷まで書かれた。娘はショックで失神し、家には連日脅迫電話もかかってきた。

 警察に言っても、最初は動いてくれなかった。

 そんな中でも、愛が亡くなる少し前の08年の秋頃、彼女に誘われ、三宿の飲食店で会っていたんです。もちろん愛は私を疑ってはいなかった。ただ、薄手の白いカーディガンから透ける、愛の腕が痩せていたので心配になり「愛をケアしてくれる人はいるの?」と 聞くと、笑って、「大丈夫だよ、いるよぉ」と答えていましたが‥‥。

 そして愛の訃報。とてつもないショックでしたが、ネットでの私への中傷は、いよいよ残酷を極めたんです。「人殺し!」「愛ちゃんを返せ!」「お前が死ねばよかった!」「愛ちゃんを追い詰め、脅迫、殺した犯人」「愛ちゃんを毒殺した」‥‥。そして冒頭で触れたように、一部週刊誌と夕刊紙で倉地さんが飯島愛の死に関与していたかのような記事が掲載されると

「週刊誌が書くなら真実だ」と書き込まれ、倉地さんはタオルを使い、自宅で首つり自殺を図る。幸いタオルはちぎれ大事には至らなかった。

 そんな私がなぜ愛を死に追いやったように言われなければならないんでしょうか。愛が亡くなったあと、私には、事情聴取はおろか警察からの電話すら一度もなかったんですよ。

 その後、倉地さんは友人や弁護士の協力を得て、このネット犯罪を告発。警察も捜査に動く。そして飯島の死から約1年余りあとの昨年3月、平岡と謀って倉地さんを中傷していた大阪の無職女性(45)が名誉毀損容疑で逮捕された。が、中傷の内容は報じられず、大きな話題にはならなかった。その後、倉地さんへのネット中傷はなくなったというが、平岡はいまだ逮捕されていない。

 私が当初、観ようとしなかった映画版「プラトニック─」は、愛が亡くなってしばらくして、ネット中傷に苦しむ中、DVDで観ました。私の目からは自然と涙があふれ出しました。映画には原作本やドラマ版で私を怒らせたことをわびるように、2人しか知らな い思い出の場面がいくつも描かれていたんです。  愛の本当の素顔、そして、ネットの誹謗中傷が重大な犯罪であることを伝えることで、永遠の親友である愛への供養になればいい。今はそう思っているんです。