2005年までは7年連続を含む9度の二桁勝利を記録し、入団2年目以降名実共にエースとしてライオンズを支え続けた西口文也投手。しかしその西口投手も2005年に33歳で17勝を挙げると、翌年以降9勝、9勝、8勝、4勝、3勝と下降の一途を辿ってしまう。これにより西口投手が最大の目標としてきた200勝への道も険しくなった。そしてこのまま引導を渡されてしまうのではとも思われていた。しかし東尾修監督に叩き上げられた大エースは、当然と言えば当然ではあるが、そのまま終わることはなかった。2010年後半、西口投手はついに蘇った。

復調のきっかけになった1つは、南谷コンディショニングコーチと共に取り組んだウェイトトレーニングだ。西口投手はこれまで、本格的なウェイトトレーニングをしたことがなかったと言う。軽くダンベルなどを持っては見るもののしっくり来ず、続くこともなかった。それが昨年から南谷コーチと共にウェイトトレーニングを本格的に始めたのだ。元々西口投手の筋肉は凄い。見た目は本当に華奢で、とてもプロ野球選手とは思えない体型をしているのだが、ユニフォームを脱ぐと肩周りの筋肉が盛り上がっている。これにはライオンズのチームメイトたちも驚いている真実だ。

野球選手は30歳を越えると力は日々衰えていく。そのことを若い頃から東尾監督に耳にタコができるほど言われ続けた。当然西口投手も30歳を越えるための準備はしっかりとしていたはずだ。しかし2005年に17勝を挙げると、常時3点台をキープいていた防御率が4点台どころか、5点台へと年々悪化していった。ストレートの球威も衰え、それに共鳴するかのようにスライダーにも切れがなくなっていく。それに加えボールがどんどん飛ぶ仕様に改変されていき、西口投手にとってプラス材料はどんどん少なくなっていった。

2010年、西口投手は引退の危機を感じたのだろう。野球人生で取り組んだことのないウェイトトレーニングに初めて取り組み、下降の一途を辿っていた筋力を取り戻そうと尽力した。するとその効果はすぐに現れ、140kmに届くことも珍しくなっていた球速が、145kmまで戻った。2010年に復調の兆しが見えはじめると、2011年は開幕当初は中10日以上空けての変則ローテーションの一員に組み込まれ、シーズン中盤に差し掛かると中6日で完全にローテーションの一角を取り戻した。8月28日の完封劇を見て分かる通り、まさにエース級の活躍を見せ始めたのだ。

テレビ解説の片平晋作さんも仰っていたことだが、今年から導入されている統一球、いわゆる飛ばないボールが西口投手にはプラスに働いた。昨年までの不調時の西口投手のフォームを思い出していただきたい。まるでボールを置きに行っているように躍動感のないフォームで投げている。デビュー当初は「タコ踊り」と解説者たちに揶揄された、投球後に体が一塁側に流れるあの躍動感がまったく姿を消していた。これは飛ぶボールが採用されていたため、制球重視で投げていたためだ。とにかく長打だけは打たれないようなボールを投げようとしていた。しかしこの安全策、いや、消極的な投球がプロの1軍で通用するはずもなく、防御率は3年連続5点台を記録してしまった。

しかし今季からはボールが然程飛ばなくなった。とは言え、90年代中盤までのボールと比べればそれでもまだまだ飛ぶ部類に入る。それでも完全に芯を外した打球がホームランになることはなくなり、それが西口投手に積極性を取り戻させた。今季の西口投手は細心の注意を払ってコーナーを突こうとするピッチングではなく、とにかく良いボールを投げて打者をどんどん攻めている。非常に攻撃的なピッチングだ。ウェイトトレーニングに加え、この考え方の変化が西口投手を完全復調させた。