東京慈恵会医科大学の安保雅博教授

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 健康維持のために、ただ歩いているだけでは効果は薄い。ポイントは歩幅を広げて歩くこと。筋力がつくだけでなく生活習慣病にも効果がある。リハビリ医療のパイオニアが「死ぬまで歩ける体」のつくり方を教示する。

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〈東京慈恵会医科大学リハビリテーション医学講座教授で、公益社団法人日本リハビリテーション医学会理事長を務める医学博士・安保雅博氏(63)は、リハビリテーション治療のパイオニアとして知られている。1990年、東京慈恵会医科大学卒業。脳卒中後遺症が専門で、これまでのべ15万人以上の患者を診察してきた。〉

 リハビリといえば、昔は障害を克服するというイメージでしたが、時代がどんどん変わってきました。今では障害の克服だけでなく、QOL(クオリティー・オブ・ライフ=生活の質)を求める社会になっており、日本リハビリテーション医学会としても、その定義を変えましょうとなりました。そこで“活動を育む医学”というようにリハビリテーション医学を再定義したのです。

東京慈恵会医科大学の安保雅博教授

 少子高齢化が叫ばれて久しいですが、それは逆に言うと障害者が増えるということです。その対応として、ここ10年ぐらいでリハビリのやり方もずいぶん変わりました。今では、例えば手術をするにしても、手術の前に筋肉を鍛えておく。入院していると筋力が落ちてしまうので、事前に鍛えておくと手術の成績もすごく良い結果が出るようになります。こうした例で分かるように、リハビリテーションも一つの医学として進歩しており、障害の克服だけでなく、“どう生き、どう動き続けるか”を支える医学というように考え方が変わってきています。この考え方は、病院の中だけでなく、皆さんの日常生活そのものに、是非取り入れていただきたい視点です。

〈安保教授によれば、障害が起こらないよう予防のために筋肉を鍛えておくこともリハビリテーション医学の一環である。特に高齢者は、「65歳から75歳の10年間に、どれだけ体を動かす基盤をつくれたかが、その後の人生を左右する」という。安保教授がそのための方法を伝授してくれる。〉

横断歩道の白線を跨げるか

 アメリカの退役軍人のデータがありまして、60歳から10年後、生きているかどうかを調べてみると、ある程度の体力がある人は長生きすることが分かっています。特に高齢者が要介護状態になる原因として、認知症と脳血管疾患に次いで、転倒による骨折が上位にきます。筋力の衰えが転倒につながり、それが寝たきりの入り口になります。ですから、長生きするためにはある程度の体力(筋力)をつけなければいけませんが、誰しも筋トレをするのは面倒だし長続きしないと思っているでしょう。それならば、体力をつけるために簡単な方法は何があるかというと、ポイントは歩くスピードにありますが、あまり速く歩くのもつらいかもしれません。ただ、ちょっと歩幅を変えるだけで体力が上がります。

 年齢を重ねて、転倒する人としない人の違いは、歩幅に表れます。年を取ると歩幅は少しずつ狭くなっていきますので、歩幅は体の衰えを映し出すサインと思ってください。誰もが若かりし頃のイメージで、自分はまだそれほど老いていないと思いがちです。それでは、試しに横断歩道の白線を跨いでみてください。

 成人の理想の歩幅は、身長(センチ)×0.45が目安となります。体形や年齢で個人差はありますが、健康を維持するための目標としては65センチほどが適正とされています。横断歩道の白線の幅はおよそ45センチです。足の大きさが23センチなら、白線を跨いだ際の歩幅は68センチとなります。現実問題として、加齢とともに白線をスムーズに跨げない人が増えています。

 この白線を跨げるかどうかが、自分の体力が落ちているかどうかの目安になります。自分が歩いている姿を鏡で見るわけにいかないので、横断歩道で試してみると分かりやすい。意外と大変と思われる方が多いのではないでしょうか。

拳1個分、歩幅を大きく

 歩幅が狭くなる理由としては、お尻や太もも、背筋の筋力の低下、股関節などの柔軟性の低下、姿勢の崩れやバランス能力の低下が挙げられます。すり足やちょこちょこ歩きになると、つまずきやすくなり、転倒して骨折するリスクが高まります。「歩く力」を取り戻すことが、これからの長い人生を支える一歩になります。そこで「死ぬまで歩ける体」をつくるための具体的な方法を後でお伝えしたいと思いますが、とりあえず、拳1個分、意識して10センチほど歩幅を大きく歩くだけで、体力は上がっていきます。2週間続けてみると、効果が実感できるのではないかと思います。最初にそのことを強調しておきたいと思います。

転倒リスクは家の中が高い

 ところで、ピーク時の全身の筋肉量を100とした場合、70代では70まで低下します。特に減りやすいのは「歩く」「立つ」「姿勢を保つ」ための筋肉です。どこかといえば、肩まわり(肩甲骨周囲筋)、背中(脊柱起立筋)、お尻(殿筋)、太もも(大腿四頭筋)ですが、最初に変化が表れやすい場所が肩になります。

 今日では日頃、バンザイをするような動作がなくなってきています。例えば洗濯物を干す時に、昔みたいな高い物干し台は少なくなったので、両手を高く上げて干すことはほとんどないですよね。だからみんな肩まわりの筋肉が弱り、肩の可動域も狭くなって、どんどん背中が猫背になります。しかも頭の重さは体重60キロの人なら約5キロもあるので、背筋が頭を支えられなくなってくるんですね。するとだんだん首が前に出るようになり、バランスの関係上、転びやすくなるから、今度はお尻を引くようになります。自分では姿勢が分からないため、背中が丸くなったねと人に言われて初めて気が付くのですね。そして、そのようなバランスの崩れた姿勢で歩いていると転倒リスクが高まるのです。

 転倒で本当に怖いのは骨折してしまうことです。特に股関節の骨折で寝たきりになると、筋肉は驚くほど早く衰えていきます。1日で約2%、1週間で10~15%、1カ月たつと約半分も失われてしまうのです。骨折でなくとも、例えばインフルエンザにかかったおじいちゃん、おばあちゃんが1週間寝込むと立てなくなってしまいます。ですから、ちょっと熱があっても、ある程度立ったり座ったりはしないといけません。

 ちなみに転倒のリスクが高いのは、家の外よりも家の中なんです。外ではみんな緊張して歩いていますが、家の中では油断があります。救急車のデータを見ますと、家の中で転倒する人が多いんですね。筋力が衰えて、どうしても足が上がらないとか踏ん張りが悪いとか。だいたいトイレ周りで転倒するケースが多い。若い時には反射的に手をついてしまっての手首の骨折が多いのですが、年を取ってくると手が出ないので股関節の骨折が多くなる。

 意外に知らない方が多いと思うのが、普段、飲んでいる薬がふらつきの原因になっている事実です。医者は転倒率が低い睡眠薬を処方しますが、血圧や血糖値を下げる薬など、薬の飲み合わせでふらつくことがある。ちゃんとお薬手帳に飲んでいる薬は書いておいて、薬局で教えてくれるので、飲み合わせの情報はしっかりチェックしておく必要があります。

靴選びの重要性

 話を戻せば、転倒のリスクを回避するのに筋力をつける必要があります。お手軽にまず歩くことからですが、よくいわれる「1日1万歩健康説」には明確な根拠はありません。おおむね歩行時に使われる筋力は、自分が出せる最大筋力の30%に過ぎませんので、ただ歩いているだけでは転倒を防ぐために本当に必要な筋肉が鍛えられていないのです。

 重視すべきは、1日5000歩でも構わないので、「METs(メッツ)」を上げる歩き方をすることです。メッツとは運動強度の目安となる指標です。普通の歩行なら3メッツ、速歩なら4.3メッツ、かなり速歩なら5メッツです。5メッツ以上の人は長生きするというデータがあります。

 ポイントは、転びにくい靴を選ぶこと。歩く時には太ももを上げ、かかと、足裏、つま先という順番で地面に接するのが理想です。

 ウォーキングでは歩数を気にしなくてもかまいません。先に申し上げたように、拳1個分(約10センチ)歩幅を広げると歩くスピードも上がり、下半身の筋肉への刺激が確実に増えるのです。しかも汗をかくほど歩いて代謝を上げると、認知症や糖尿病、高血圧の予防にも効くので、お金がかからない一番良い方法です。

 お手軽にと言いましたが、本当はスクワットをやってほしい。歩きはそれほど筋肉を使わないので、一番良いのは片足立ちやスクワット。ゆっくり3秒かけて椅子から立ち上がり、今度は3秒かけてゆっくり座る。テレビを見ながらCMの間に繰り返すと習慣になるのではないでしょうか。2~3分の間にやればけっこう回数が稼げます。

太ももとふくらはぎ、背筋の3点

 私は脳卒中後遺症が専門ですが、脳卒中で入院した人の退院の目安は、トイレの自立または部屋の中を歩けることです。私たちは、発症して急性期の治療をやりながら、リハビリを早い人ならもうその日のうちに始めます。その方が、回復が早いんですね。昔は、リハビリを早くにやると頭に血液がいかなくなるので1カ月くらい安静にしなさいといわれていましたが、そうすると筋力がなくなるので、寝たきりになってしまいます。

 老化による転倒は、「筋力の低下」「柔軟力(関節の可動域)の低下」「バランス能力の低下」が深く関係しています。この三つを同時に衰えさせないために、私は誰でもできる12種類の「セルフリハビリテーション」をお薦めしています。

 柔軟力を高める「のびのびストレッチ」(4種類)、筋力を高める「ゆる筋トレ」(5種類)、バランス能力を高める「ふらふら防止体操」(3種類)を提唱していますが、いずれも特別な道具は使わない、誰でも一人でできる、短時間で効率よく効果が出るというものです。詳しくは拙著『歩幅を見れば、寿命がわかる 「死ぬまで歩ける体」のつくり方』(アスコム)に書きましたが、12種類というと大変と思われるかもしれません。要は背筋(そっくり返る力)と太もも、ふくらはぎ(足を上げる力)の筋肉を鍛えることが歩くための筋力として重要で、初めのうちはストレッチを1~2種類やるだけでも十分です。

 ストレッチには「体幹のストレッチ」「首のストレッチ」「股関節のストレッチ」「太もものストレッチ」の4種類があります。何もしないより少しでも始めること。それが体を変える一番の近道です。

 または、誰もが知っていると思いますが、ラジオ体操第1をやると良いです。それぞれの動作に基本的なストレッチのエッセンスが詰まっています。一生懸命真剣に2回やれば4メッツくらいの運動量になります。

 私は脊髄損傷で歩けるか歩けないかのギリギリの患者さんも診ています。この人が歩けるようになるか、ならないかを判断するわけですが、その時に絶対的に必要な筋力が太ももとふくらはぎ、それとそっくり返る力(背筋)なんですよ。そこで歩けるようになるかがすぐに分かります。だから、歩けるようになるからこのぐらいやりましょうと言ってリハビリの訓練メニューをつくります。逆に言うと、太ももとふくらはぎ、背筋を整えておけば、年を取っても「死ぬまで歩ける体」をつくることができるのです。

粗食は寿命を縮める

 最後に、日本の高齢者の特徴は痩せていることです。筋力が少なく、代謝が悪いので物を食べたらすぐ血糖値が上がる。それで血糖値が高いからいけませんというので、なおさら食べなくなる。だけど食べないと力が出ません。高齢の人がリハビリをやると、食事をあまり取っていない人は、赤血球のタンパク質(ヘモグロビン)が使われてしまうので、みんな貧血になってしまいます。そういう悪循環があります。

 医療の現場では、転倒や骨折で運ばれてくる高齢者の多くは、筋肉量の落ちた「痩せ過ぎ(低栄養傾向)」の状態にあります。「粗食は寿命を縮める」と思ってください。

 だからある程度ご飯を食べないと筋力もつきません。食事内容で意識していただきたいのがタンパク質を積極的に取ることです。1日の目安量は体重1キロあたり1グラム。体重60キロの人なら1日60グラムぐらいはタンパク質を取らないとダメです。一番のお勧めは肉を食べることです。筋トレばかりやっていても筋肉はつきませんから、きちんと食事をしましょうということなんですね。

「週刊新潮」2026年9月10日号 掲載