大泉洋がコスタリカのジャングルで撮影に四苦八苦。「水曜どうでしょう」には自由に遊ぶ〈神〉がいて…藤村さんとの30年を嬉野雅道が振り返る
北海道発の人気バラエティ『水曜どうでしょう』が、2026年で30周年を迎えます。番組のカメラ担当ディレクターを30年間担当してきた「うれしー」こと嬉野雅道さんは、2026年で67歳に。「お陰で私の人生も『水曜どうでしょう』とともにハッピーでした」と振り返ります。そこで今回は、嬉野さんの連載を書籍化した『だから僕らは出会わなければならないのです。』より一部を抜粋して、30年の歩みを振り返るエッセイをお届けします。
【写真】『水曜どうでしょう』カメラ担当の名物D「うれしー」こと嬉野雅道さん
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『水曜どうでしょう』の30年
思えば、『水曜どうでしょう』は、この30年、一緒に遊ぼうよと誘う藤村さんに他の3人がひたすら付き合ってきた番組だと言えるのです。藤村さんはとにかく勝ちたくてしょうがない人だから、番組でも絶対に自分が勝つ「甘いもの対決」で日本を縦断する「対決列島」という企画を思いつくんです。「やぁやぁ」と勝負を挑まれたのは甘いものがとにかく苦手な鈴井さんです。そこから全員で藤村さんに付き合って日本縦断の旅を続けました。ところが藤村さんのチームメイトに選ばれた安田顕くんが、いきなり函館でソフトクリームを落としてしまい、まさかの北海道8万ポイントという大量点はいきなり鈴井さんチームに渡ってしまったのです。
藤村さんはのっけから想定外のピンチに陥って焦るのです。さらに安田くんは岩手で得意の牛乳早飲みを披露しますがこれが仇となり、安田くんは飲んだだけの牛乳を全部吐いてしまって藤村さんはまたしても負け。勝ちたくてしょうがない男が、まさかのチームメイトに足を引っ張られて想定外に勝てないので場は異様な盛り上がりを見せ番組はおもしろくなって行くのです。
どうやら藤村さんという神様との神遊びの神事は、神様をけして勝たせないという遊び方が作法のようなのです。その方が場が盛り上がってご利益が大きい。
でも、藤村さんは、やはり「かみ」だけあって、並外れて力が強いので、安田くんのようによかれと思って、「かみ」の足を引っ張るといった、思いがけないことにならない限り、「藤村さんを勝たせない」は成し得ないことでもあるのです。狙ってやれることではないのです。
「先生!撃ってください! 早く!」
かく言う私も、「コスタリカ」で、あの方が望まれたカメラではなく、カメラに詳しい私なりによかれと思ってレンタル屋から、巨大なカメラとガラスと鉄の塊のような重量級の巨大望遠レンズを借りてきて、「これで綺麗な写真が撮れるんだよ」と自信満々でしたが、「こんな重いものジャングルに持ってって、大泉洋がこれで写真撮れるの?」と言われて「ハッ」とするという。
あのときも、私の選択ミスが、あの方が進もうとしていた道とは違う明後日の方角へ番組を導いてしまった結果、大泉洋がコスタリカのジャングルであまりにも撮影に手間取るもんだから、焦りまくったあの方は「先生! 撃ってください! 早く!」と、およそ撮影とは思えない言葉をコスタリカの密林にこだまさせる。そのたびに場は盛り上がり、あの企画もまたおもしろくなってしまったわけなのです。

『だから僕らは出会わなければならないのです。』(著:嬉野雅道/発行:集英社インターナショナル、発売:集英社)
それを思えば、あの方と出会った我々との「縁」でもって、「よかれと思って」あの方の足を引っ張ってしまうという人間関係が、あの方の勝ちたいようには勝たせず。
その結果、あの方も想定しなかったもっと大きな獲物を釣り上げて場を沸かせてきたという、それが、『水曜どうでしょう』の30年だったようにも思えるのです。
ゲームのルール
そういえば勝負に強い佐野くんはあの朝、こんなことも言っていました。
「ゲームのルールを変えようとする人は、やっぱり大事な存在だと思います。ゲームがよりおもしろくなるようにと考えていたら、やっぱりルールは変えたくなりますから」と。
そういえばあの方は、たしかに、「オレがルールですから」という名言を番組内で吐いておられます。まったくルールはあの方の自由自在なのです。でも、勝負に強い佐野くんは続けてこうも言いました。
「でも、ルールを変えて逆にゲームをつまらなくする人はダメですね」と。
「そういうことをする人は、自分が勝ちたいから、どうしたって自分が勝てるように自分の都合に合わせてルールを変えてしまうから、ゲーム自体おもしろくなくなるし、場がちっとも盛り上がらなくなってしまいます。みんなが楽しくないルールはダメです」と。
気分のままに。遊びたい
その点、藤村さんは、「オレがルールですから」と言って自分に都合のいいようにどんどんルールを変えていくのに(「もう一回やらせてくれないか」と、岩手では安田くんと二人、土下座までして再戦を可能にしていました)、それでも負けちゃうもんだから(あのときはすでに安田くんが牛乳を飲み過ぎていて限界でしたから)、焦りまくってオロオロして、それがまた場をさらに盛り上げてしまうという。なんだかもう、書いてて泣けてきました。
あの方の活躍があまりにも可笑しくて。あまりにも人間の心を自由にしてくれるから。
やはり、このように、日の本に御座す八百万の神々は、きっとどの方も陽気で朗らかな神々であるはずなのです。搾取などまるで興味がなく、ただ、遊びたいのです。気分のままに。遊びたい。
我々はただ自分らの気分にもっと素直になって、そういう土着の神々を見つけたら、その方が進まれたい道を空けてさしあげて、その神が遊びたいように遊ばせ、一緒に遊び、共に楽しそうな方へと流れてゆく。その流れを見失わず、ついていかなきゃいかんような、もうそれしかないような、気が、今とてもするのです。
※本稿は、『だから僕らは出会わなければならないのです。』(発行:集英社インターナショナル、発売:集英社)の一部を再編集したものです。

