徹底したベジタリアンなのに、根菜を食べず、農業もしない!? 「不殺生」の教えが生んだ、世界で活躍する大商人たち

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「不殺生」を最高の徳目に掲げ、根菜や農業すら避けるジャイナ教徒。徹底した教えを突き詰めた先に生まれた、食のタブーや世界的な商業ネットワークとは。驚きに満ちた、『ジャイナ教』(堀田和義著)の刊行エッセイを公開します。

植物なら何でも食べてもよい…わけではない

近年、日本でも「ベジタリアン」という存在は、すっかり社会的に認知されるようになった。もっとも、この語は本来、野菜を意味する「ベジタブル」に由来する言葉ではない。世間では菜食主義者を指す言葉として使われることが多く、ここでもその意味で用いるが、語源からしてすでに一筋縄ではいかないのが「ベジタリアン」という存在である。

ベジタリアンになる理由は人それぞれだが、大きく分けると、健康上の理由によるものと、動物への憐れみによるものとがあると言える。そして後者、すなわち「生き物を傷付けない、殺さない」という不殺生(現代風に言えば非暴力)を最高の徳目に掲げ、その徹底を説く宗教がある。ジャイナ教である。

ジャイナ教には、すべての信者が守るべき5つの戒律がある。①不殺生(生き物を傷付けない、殺さない)、②真実(嘘をつかない)、③不盗(与えられていないものを取らない)、④不淫(性的行為を行わない)、⑤無所有(ものを所有しない)という5つであり、仏教の五戒とも大きく重なっている。出家者にはこの五戒を完全な形で守ることが求められる一方、一般信徒である在家者には、部分的に守ることが求められる。

この不殺生の教えゆえに、ジャイナ教徒は動物の肉は一切口にせず、魚も食べない。それどころか、その配慮は虫や微生物にまで及び、水を飲む際にわざわざ布で濾過するのも、水中の微小な生き物を誤って飲み込まないためである。

もっとも、ジャイナ教の教えでは植物も生き物であるから、不殺生の対象から完全に外れるわけではない。ただ、五戒を部分的にしか守れない在家者には、植物を調理して食べることが許されている。出家者は、その在家者が用意した食事の「余りもの」を托鉢によっていただく、という形をとる。

では植物であれば何を食べてもよいのかというと、そう単純な話ではない。よく知られているのは、根菜、すなわち植物の地面より下の部分を口にしないという習慣である。ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎなど、私たちの食卓に欠かせない野菜の多くが、この根菜にあたる。理由については諸説あるが、土を掘り返す際に土中の生き物を傷付けてしまう可能性があること、根を食べてしまうと植物全体の命を絶つことになってしまうこと、そして根菜には微細な生き物が多く含まれていること、などが挙げられている。

こうした根菜を避ける食事は「ジャイン・ミール」と呼ばれ、近年では飛行機の機内食にも取り入れられている。かつてはジャイナ教徒の利用客が多いシンガポール航空などに限られていたが、最近では日本の航空会社でも用意されるようになってきた。もっとも、インド以外の航空会社がこうした細かな戒律をどこまで正確に理解し、対応できているかは疑わしい面もある。

避けるべきはジャガイモやニンジンだけではない。イチジクの類もそうである。私たちが果実だと思っている部分は「花嚢(かのう)」と呼ばれ、実は内部に小さな花が咲いており、そこに小さな虫が出入りして受粉を助けている。つまり、花嚢の中に虫がまぎれ込んでいることが少なくないのである。私はこれが忌避される最大の理由だと考えているが、ジャイナ教徒には種の多い実を嫌うという傾向があるとされ、そのためかトマトのようなものまで避けられるという。

奥深いジャイナ教

さて、これほど徹底したベジタリアンであるジャイナ教徒だが、実は、野菜や米という自分たちの食を支えているはずの「農業」そのものを、職業として避けることでも知られている。なぜだろうか。その理由としては、先に根菜を避ける理由のひとつとして挙げた「土を掘り返す際に土中の生き物を傷付けてしまう可能性があること」という点が挙げられる。農業に従事するならば、殺生は避けられないからである。

このような考え方は、ジャイナ教以外にも認められる。ヒンドゥー教徒の生き方を記した『マヌ法典』では「農業は良いと考えられている。〔しかし〕その生活手段は善き人々によって非難されている。〔なぜならば〕先端に鉄を付けた鋤は大地と大地に住むものたちを殺す〔からである〕。」(『マヌ法典』10.84。和訳は渡瀬信之訳による)と述べられている。農業において殺生が避けられないという認識は、インド社会に共通のものであったのだろう。

しかしながら、インドに限らず、農業は古来、人間社会にとって欠くことのできない重要な営みとされる。現代でも、インドのモディ首相が演説の中で次のような伝統的な詩の一節を引用している。「農業はめでたいものであり、農業は神聖なものであり、農業は生き物にとっての生命である。食をもたらし、すべてをもたらしてくれる。それゆえに、農業は最も優れている。」 不殺生を掲げる宗教的立場からは表立って肯定しにくいものの、農業なしには世の中が立ち行かないという現実は、誰もが認めるところである。

それでもなお、ジャイナ教徒が農業を忌避する傾向は、宗教別の職業統計にもはっきりと表れている。そしてその結果、ジャイナ教徒には商業や金融業に従事する人が相対的に多くなったと言われる。しばしば指摘される、ユダヤ人との興味深いパラレルである。グローバル化が進んだ現代社会では、ジャイナ教徒の在家者たちが世界中の商業の第一線で活躍している。

なかでも有名なのが、ダイヤモンド取引におけるプレゼンスである。ベルギーのアントワープには多くのジャイナ教徒が住んでおり、かつてユダヤ人が独占的な地位を築いていたダイヤモンド取引の世界で、着実にその存在感を高めつつある。

こうした商業的成功を後押ししているのが、五戒のもう一つの柱、真実である。嘘をつかない誠実な態度は、商取引において何よりの信用となり、大きな財を築く原動力となってきた。そして、その財は、同じ五戒に含まれる無所有の教えにしたがって、社会へと還元されていく。ジャイナ教の聖地などに建つ壮麗な寺院はもちろんのこと、教育機関や病院、さらには動物保護施設に至るまで、その篤志は多方面に及んでいる。

不殺生というたった一つの徳目を突き詰めた先に、食のタブーがあり、特定の職業を避ける独自の伝統があり、そして世界的な商業ネットワークと篤志の伝統が生まれたわけである。ジャイナ教という宗教の奥深さは、知れば知るほど驚きに満ちている。その全体像に関心を持たれた方は、ぜひ新刊『ジャイナ教』を手に取っていただきたい。

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