ついに最終章…!剣劇「三國志演技」が「三国志日本近代演劇史」にもたらした「初めての試み」
こんにちは。ラジオ局・ニッポン放送アナウンサーの箱崎みどりです。
仕事では、プロ野球中継の「ニッポン放送ショウアップナイター」、有働由美子さんの「うどうのらじお」のレポート、地球温暖化を扱う「いま、地球がアツい!」などを担当しているのですが(ラジオのAM1242/FM93や、radikoでお聞きいただけます!)、趣味で「日本で三国志がどう愛されてきたのか」を調べています。
今年は、三国志が宝塚とアフタヌーンティーになり(!)、7月に記事を書きました。気になる方は、ぜひご笑覧ください。
今回取り上げるのは、剣劇「三國志演技」。三国志を愛する俳優・荒牧慶彦さんが企画した舞台です。
第1弾となる剣劇「三國志演技~孫呉」は、2024年4月に東京・明治座で、第2弾の剣劇「三國志演技~曹魏」は、2025年11月から12月に明治座で上演されました。そして、最終章と銘打たれた、第3弾・剣劇「三國志演技~蜀漢」は、2026年8月に大阪・新歌舞伎座で、8月29日から9月10日まで、明治座で上演されています。
剣劇「三國志演技」は、三国それぞれをフィーチャーするお芝居です。
「孫呉」の主人公は、孫策(そんさく)と周瑜(しゅうゆ)。断金の交わりとも言われる、二人の若者の友情を描く物語。「曹魏」の主人公は、曹操(そうそう)と袁紹(えんしょう)。昔なじみだった二人の若者が、立場によって道を違えていく物語でした。今回の「蜀漢」は、劉備(りゅうび)を主人公に描かれるとのこと。この部分は観る前に書いているのですが、あらすじやキャストを見ても、どの場面をどう扱うのか予想を絞り切れず、どんなお話になるのか、とても楽しみです。
ところで、私はここ数年、近代以降の日本における三国志演劇について調べているのですが、そもそも、日本の大衆文化と三国志の出会いは、江戸時代。小説『三国志演義』が和訳され、文化人だけでなく庶民も含めて一大三国志ブームが沸き起こります。パロディ小説や川柳、お祭りの山車、見世物、五月人形など、さまざまな場面で三国志が扱われ、もちろん演劇でも、三国志が取り上げられました。
お芝居の世界の三国志は、日本風に変更されたものでした。歌舞伎十八番にもなった「関羽(かんう)」という演目は翻案もので、舞台や登場人物を日本に置き換えながら、「でもこの人物、実は関羽なのだ」というのです。
もっと分かりやすい例だと、パロディ小説に、孔明(こうめい)を江戸の番頭さんにして、花街で遊ばせるものがあります。古代中国・三国時代の孔明ではなく、江戸時代を生きる諸借金孔明なのです(江戸時代に花開いた三国志面白文化について、詳しくお知りになりたい方は、拙著『愛と欲望の三国志』をぜひご覧ください)。
三国時代そのものを描く演劇が登場するのは、明治以降。1909年に本郷座でかかった新派劇「孔明」と、1926年に帝国劇場でかかった「妖婦」は、共に台本が残っているので、三国時代のお話だったことが、はっきり分かります。また、平成以降のスーパー歌舞伎に、先日ご紹介した宝塚歌劇月組「三国志炎戯『RYOFU』」も、三国時代を描いています。
こうした「日本における三国志演劇史」の中で、漫画、アニメ、ゲームを原作とした舞台の隆盛から生まれた剣劇「三國志演技」には、初めての試みが詰め込まれています。中国を舞台にしたお芝居を、シェイクスピア劇の要素を織り交ぜて創り上げていることも、その一つです。
さて、ここからは、「孫呉」「曹魏」「蜀漢」それぞれについて、どんなところが新しいのか、そして、30年来の三国志ファンがどう見たのか、レビューしていきます。
まだご覧になっていない三国志ファンの方にお伝えしたいのは、幼い頃に漫画・横山光輝『三国志』に触れてから、三国志が大好きな俳優・荒牧慶彦さんが企画されていること。三国志への愛に溢れた舞台化ですので、舞台化に伴うオリジナル要素が多々あっても、三国志らしい世界をキャストの皆さまの素晴らしい熱演で堪能することができます。
「孫呉」「曹魏」共にブルーレイが出ていますので、これからご覧になることもできます。舞台を見逃した方は、ぜひご覧ください!
では、まず、「孫呉」についてです!
(ネタバレを避けたい方は、この先は舞台をご覧になってからお読みください)
剣劇「三國志演技」シリーズの嚆矢、剣劇「三國志演技~孫呉」は、孫策役・梅津瑞樹さんと、周瑜役・荒牧慶彦さんのW主演で、孫策と周瑜の断金の交わりを描きました。
三国志もの全般としても、呉にフォーカスした作品はまだ少ないのですが、私が把握する限り、日本で三国時代を描きながら蜀と魏の人物が登場しない、日本で初めての三国志劇です。
『三国志演義』の主人公・劉備、吉川英治も語った三国志の二大人物・曹操と諸葛亮などが、一切出てこない潔さに衝撃を受けました。周瑜と孫策以外の要素を削いでいくことで、二人に焦点を当て、三国志の中に秘められた物語の面白さを伝えることに特化している印象を持ちました。「孫呉」のパンフレットでも、荒牧さんは「『三国志演義』をまだ知らない方に知ってもらうためにはどのエピソードがいいのか考えに考えた結果です」と、孫策を取り上げた理由を語っています。
「孫呉」で描かれるのは、玉璽を手にした父・孫堅(そんけん)の死から、孫策の死まで。孫策の狂気とそれを止められない周瑜を描いていて、感情を揺さぶられるお話です。ただ、見返してみると、孫堅の強さへの異様な執着、袁術(えんじゅつ)の酷薄さ、孫策・周瑜の実利を求める姿勢、天下に関心がない劉表(りゅうひょう)、そして父と兄を意識する孫権(そんけん)など、目標が違う男たちが相克するさまも描かれていると感じます。
「孫呉」では、孫策の死に至る理由を、仙人・于吉(うきつ)ではなく、シェイクスピア劇をモチーフに描いていて、現代の観客にも共感しやすく造形されています。
自分たちの世界に三国時代の人物を引き寄せる、江戸時代から続く三国志劇や現代の転生ものに対し、明治以降に出現した三国時代を描く演劇は、三国時代を描きながら、同時代的な価値観をぶつけることで、観客の共感を誘う点が共通していると思っています。
歴史上の人物を同時代に引き寄せるか、歴史の中において今の観点から理解しようとするかの違いはありますが、どちらも、三国時代の人々の生き様を目の前で感じたい、という、作り手と観客の熱量を感じます。その点で、「孫呉」は、現代の視点を追加することで、皆が共感できる三国志劇として見事に昇華されていると言えるでしょう。
続いて、「曹魏」についてです!
(この先は「曹魏」に関するネタバレを含みます!)
「孫呉」の好評を受けて作られた剣劇「三國志演技」シリーズ第二弾、剣劇「三國志演技~曹魏」は、曹操役・福澤侑さんを主演に、史実でも若い時からの友人で、後に天下をかけて対立する袁紹との悲しい別離を、ロミオとジュリエットになぞらえながら描きます。荒牧慶彦さんが袁紹を演じています。
物語の中で、徐々に家と家の関係性が悪化し、会うことが禁じられた曹操・袁紹の二人は、帝を手中に専横を極める董卓(とうたく)を倒すという目的を同じにします。
董卓を倒すための計略「連環の計」は、『三国志演義』最大のロマンスであり、董卓の死で三国志の物語が大きく転換する重要なものです。『演義』では、絶世の美女・貂蝉(ちょうせん)が、恩人への恩返しのため董卓を討つことを志願。三国志最強とも言われる猛将で董卓の部下・呂布(りょふ)と、董卓が対立するよう立ち回ります。……が、「曹魏」を観て、本当にびっくりしました! 貂蝉の役目を負ったのは、袁紹だったのですから!
貂蝉やその役割を担う人物が出てくるお芝居というのは、何度も何度も演じられています。
中国の伝統劇、そして、近代以降の日本で私が内容を確認できたものでは、「妖婦」(帝国劇場、1926年)、東宝35周年記念「三国志」(東京宝塚劇場、1967年)、そして今年の宝塚歌劇月組「三国志炎戯『RYOFU』」(宝塚大劇場、東京宝塚劇場、2026年)があります。
「妖婦」は、呂布亡き後の関羽と貂蝉の問答。東宝35周年記念「三国志」では、貂蝉をベースにしたオリジナルキャラクター・娥眉(がび)と曹操の叶わぬ恋が描かれ、『RYOFU』では、中国伝統劇の「元々呂布と貂蝉は夫婦であった」という設定を生かして切ない物語が展開しました。
それぞれの貂蝉像はバリエーションを見せ、江戸時代には、貂蝉を男にした小説(!)も出ています。ただ、演劇だけでなく、他の小説や漫画なども含め、管見の限り、貂蝉役を袁紹が担った作品は初めて。確かに、曹操と袁紹は打倒董卓で目標を同じくしますが、まさかの発想の飛躍に驚嘆しました。
その他にも、史実や物語で広く共有される袁紹の「優柔不断」というイメージが優しさに置き替わり、裏切りなどで瓦解する袁紹軍全体のイメージも、袁紹の個性を重んじた配下たちの動きとしてみると、同じ出来事の印象が180度変わる、面白い解釈でした。
名家出身で武将も軍師もたくさん擁していた袁紹が、なぜ新興勢力と言って良い曹操に敗れたのか。袁紹の優しさに配下たちが従って滅んでいったという「曹魏」が紡ぐ物語は、三国志のエンタメに長年触れてきた私にとって、最も腑に落ちる袁紹の解釈でした。
さぁ、「孫呉」「曹魏」と来たら、三国志最後の一国は、「蜀漢」です!
(この先は「蜀漢」に関するネタバレを含みます!)
いきなり余談ですが、「孫呉」「曹魏」は、「皇帝の名前+地名(孫氏の呉、曹氏の魏)」ですが、「蜀漢」のみ、「地名+王朝名」なのも、とても「蜀漢」らしいです。
簡単に説明すると、漢王朝が乱れ、群雄割拠の時代を経て三国に分かれたのが、三国志の物語。蜀漢は、前王朝である漢を継いでいるので、当時はただ「漢」と名乗っており、後世ややこしいので「蜀漢/季漢(末っ子の漢)」と呼ばれています。ですから、皇帝になったのは、漢朝最後の皇帝・献帝から禅譲を受けた曹操の息子・曹丕(魏)、漢が滅んだことを知った劉備(蜀)、最後に孫権(呉)という順でした。ここでも、理想「きれいごと」を語っているのが大変劉備らしいのだなと、「蜀漢」をご覧になった方には分かっていただけるのではないかと思います。
さて、「蜀漢」の内容について。初めのページで、どうなるか予想できないと書きましたが、予想を遥かに超える全部詰め! 豪華絢爛三国志フルコースの様相を呈し、名場面を全て舞台化する勢いでした。ネタバレを禁じられている箇所は伏せつつ、三国志的解説をしていければと思います。観劇した記憶で書いているので、セリフや順番など違うかもしれませんが、ご容赦ください。
「蜀漢」がモチーフにしているシェイクスピア劇は「マクベス」。劉備への三人の仙人のお告げが、重要な局面で何度か登場します。
物語は、劉備たち三兄弟に、陳宮(ちんきゅう)が軍師になりたいと申し出るところから始まります。陳宮は、督郵(とくゆう)の息子で、父から酷い虐待を受けていたため、父を倒した劉備に恩義を感じていたと語ります。
『三国志演義』での陳宮は元々役人でしたが、董卓暗殺に失敗した曹操を助け、共に逃亡。しかし、道中、曹操の残忍さに触れ、曹操の許を去った後、呂布の軍師として物語に再登場する人物です。呂布の軍師として劉備とかかわりますが、「蜀漢」では、劉備に仕えたいというので、まず驚きました。
そもそも『演義』は、長く続いた漢王朝が揺らぎ、民衆/宗教反乱である黄巾の乱が起こったところから物語が始まります。大規模な反乱に対し、義勇軍として立ち上がったのが、劉備たち三兄弟であり、曹操、孫堅など、三国志を彩る英雄たちでした。
その後、黄巾の乱を鎮圧した功績で、劉備は、安喜県(あんきけん)の県尉(けんい/警察署長のような役職と言われます)に任命され赴任。善政を敷くのですが、巡察に来た督郵(とくゆう)に、賄賂を要求されます。怒った張飛(ちょうひ)が督郵を鞭打つのが『演義』の物語。実は、史書『三国志』には、張飛ではなく劉備が、督郵を縛りあげて叩いた、と書かれています。陳宮の劉備を主体にした語り口から考えると、ここでは史実を採っているようにも感じます。「蜀漢」のワイルドな劉備なら、やりかねないかもしれません。
劉備は陳宮に「民とは何か」尋ね、その答えを聞いて、自分とは「反りが合わない」と断ります。
その後、場面は、五虎大将が揃い、劉備が漢中王になるところに。最初のシーンが、安喜県の県尉を辞した頃だとすると、ざっと30年後です。
史書や『演義』では、関羽が荊州を守っているために揃うことがない五虎大将、関羽、張飛、趙雲(ちょううん)、馬超(ばちょう)、黄忠(こうちゅう)が一堂に会する、夢のような宴です。ちなみに、五虎大将というのは、史書『三国志』で、5人の列伝がまとめられていることから後世生まれた呼び名です。
そこから、回想の形で、劉備の主要な物語が眼前に繰り広げられます。これが、三国志ファン、蜀好きからすれば垂涎の名場面のオンパレード! ずっとテンションが上がりっぱなしです!
劉備・関羽・張飛が義兄弟の契りを結んだ「桃園の誓い」。これは創作ですが、まだ何者でもない3人がお互いを認め、生涯共に戦うことを誓う名シーン。なお、北方謙三『三国志』では、「あれは芝居なら良い」と、3人の絆の結び方が違った形で描かれています。
そして、「虎牢関(ころうかん)の戦い」! 三国志最強の猛将・呂布と三兄弟が戦います。実は、この戦いは、袁紹を盟主に曹操・孫堅も参加した反董卓連合軍によるものなので、剣劇三國志の「孫呉」「曹魏」「蜀漢」が交錯する瞬間でもあります。ここで、まだ劉備の配下になっていなかった趙雲が、「一緒に戦いたかった」と言いますが、言いそう! というか、1800年以上前ですが、言っていたのではないでしょうか!!
その流れで、趙雲参入の経緯が語られます。反董卓連合軍が瓦解した後、公孫瓚(こうそんさん)の許に身を寄せた劉備は、当時、公孫瓚の配下だった趙雲と出会い、親交を深めます。この時は、そのまま別れるのですが、「曹魏」でも描かれた「官渡(かんと)の戦い」の頃、趙雲は劉備と再会、主従となるのです。
ここで少し時間は戻り、陳宮が呂布の軍師として劉備の前に現れます。『演義』では、董卓が「連環の計」により死ぬと権力争いが起こり、呂布は流浪の身に。呂布と出会い軍師になった陳宮は、呂布の行く先を提案していきます。一方、この頃の劉備は、徐州太守(じょしゅう/太守は、県知事のようなもの)を助け、その死後、太守を継いで徐州を治めることに。転戦を経て、初めて本拠地と言える場所を手に入れたばかりでした。そこにやってきた呂布に、劉備は小さな城を世話します。しかし、劉備は呂布に裏切られ、徐州を取られてしまうのです。
劉備と曹操が共に戦い、呂布を捕らえたのが、続く場面。呂布は味方の裏切りに会い、陳宮と共に処刑されます。ここで、陳宮と因縁があるのは、『演義』では曹操なのですが、「蜀漢」では劉備になっているのが面白いところです。なお、有能な人材を愛する人材コレクターの曹操は、最強とも言われる呂布を捕らえ、配下にしたいと心が動きますが、それを止めたのが劉備。呂布が裏切りを重ねてきたことを曹操に進言、呂布は最期を迎えます。
曹操と共闘し呂布を倒した劉備ですが、曹操と対立、袁紹の許に身を寄せます。「官渡の戦い」での袁紹の敗北を前に離脱し、荊州(けいしゅう)の劉表(りゅうひょう)の許へ。関羽・張飛・趙雲は、この時一緒です。そして、その荊州にいたのが、孔明です! ことわざにもなっている「三顧の礼」のシーン。『演義』では、1度目、2度目は不在だった孔明は、3度目、昼寝をしています。劉備は「賢者の眠りを妨げてはいけない」と待つのですが、待ちきれない張飛が家の裏手に火をつけようと怒るコミカルなやりとりも。目を覚ました孔明は、劉備の求めに応じ、「蜀漢」でも描かれたように、天下を三つに分ける「天下三分の計」を示すのです。この時、劉備は40代、孔明は20代。今よりも年齢が重んじられた時代です。「三顧の礼」が、いかに珍しかったか、お分かりいただけるのではないでしょうか。陳宮と同じように「民とは何か」と問われた孔明の答えも、大変孔明らしいと感じました。
軍師・孔明を仲間に加えた劉備は、荊州に攻めてきた曹操軍と戦い、局地戦では勝利を収めますが、頼っていた劉表が死に、劉表の子が早々に曹操に降ると、大軍を前に逃げるしかなくなります。「蜀漢」でも描かれたように、劉備を慕う民と共に逃げる中で起こったのが「長坂(ちょうはん)の戦い」。張飛のしんがり、趙雲が敵陣の中を一騎駆けして劉備の息子を救う様など、「蜀漢」で描かれた通りの名場面です。
ちなみに、「孫呉」のパンフレットによれば、「長坂の戦い」は荒牧慶彦さんが一番好きなシーンで、「趙雲のようになりたくて近所の公園に落ちている木の棒を持ちブンブン振り回したものです」とのことです。
その後、劉備は孫権と同盟を結び、物語は三国志最大のクライマックス「赤壁(せきへき)の戦い」へ! 映画「レッドクリフ」でも描かれたこの戦いは、後の三国、魏・呉・蜀が集まること、派手な計略が飛び交うことに加え、曹操の中国統一を阻んだことで、物語の転換点としての意味合いも大きいです。
「十万本の矢」、「連環の計」(董卓・貂蝉・呂布を結ぶ計と同じ名前ですが龐統(ほうとう)が仕掛けたもの)、「東南の風」など、赤壁の戦いをめぐる逸話が次々に舞台で表現されていきます。共に荒牧慶彦さんが演じる、孔明と周瑜が対峙するところは、舞台上の表現に、特に驚きました!
ところで、初め配役がシークレットだった、孫策の妻・大喬(だいきょう)、周瑜の妻・小喬(しょうきょう)姉妹。周瑜役・荒牧慶彦さんが大喬、孫策役・梅津瑞樹さんが小喬を演じています。「孫呉」のパンフレットでの二人の対談では、スタッフの発案に「ないないない(笑)」と揃って答えていましたが、最終章で実現した形です!
ここで2点、補足したいことがあります。
ひとつめは、なぜ龐統の計略がすぐに曹操軍に受け入れられたのか。船上での戦に慣れない曹操軍が船酔いに悩んでいたこともそうなのですが、鳳雛(ほうすう/鳳凰のひな)と言われた龐統が有名で、曹操は自分の配下にしたがっていたことが背景にあります。理念に合わない者を受け入れない劉備と、才能がある人物をすべて集めたい曹操の対比は鮮やかです。
ふたつめは、「蜀漢」で描かれなかった名場面について。
赤壁の戦いで敗れた曹操は、陸路を逃げていきます。伏兵を避けようとするも、孔明に読み負け、趙雲、張飛と遭遇。辛くも逃げた先に待っていたのは関羽! 絶体絶命の曹操は説得を試みます。以前、曹操と劉備が対立した時に、劉備の家族を守っていて逃げ遅れた関羽を助けたことを懐かしみ、関羽の情に訴えます(そのため「曹魏」に関羽が登場するんですよね)。曹操軍の敗走姿も相俟って、義の人・関羽は、曹操を見逃してしまう、というお話。今回、曹操は映像出演であることに加え、ストーリーに説明が要ること、また、劉備を主軸にした物語にそぐわないと判断されたのかもしれません。
そして、赤壁の戦いの後に来てしまうのが、周瑜の死! 『演義』では、孔明の周瑜に対する嫌がらせもなかなか苛烈なのですが、ここでは、「孫呉」の世界に。周瑜と孫策の物語にピリオドが打たれ、大変感慨深く、また、残される孫権・程普の心情が胸を打ちます。
ところで、「蜀漢」に登場する呉の人物は、孫権、周瑜、程普(ていふ)、呂蒙(りょもう)、陸遜(りくそん)の5人。第二幕のストーリーに欠かせない呂蒙・陸遜だけでなく、「孫呉」から継続出演している程普も、赤壁の戦いに参加し、周瑜を見送ったのは、史書、『三国志演義』とも合致します。忠実すぎる舞台化に、調べ直しながら震えています。
ちなみに、呂蒙は字が読めないというのも、ことわざ「呉下の阿蒙にあらず」「男子三日会わざれば刮目して見よ」になっている、有名な逸話です。呂蒙は元々武勇ばかりでしたが、孫権に言われて猛勉強。高い教養を身に着け、武将として大成しました。
一方、後に孔明のライバルとなる司馬懿(しばい)は、曹操に仕官します。史書では、司馬懿は、曹操に誘われても病だと断っていたものの強引に仕官させられています。「蜀漢」のようなストーリーが秘められていたとしたら、急な仕官にも納得がいきます。ストーリーへの組み込み方が巧みすぎます。
さて、話は劉備側に戻り、黄忠が配下になったエピソードが紹介されます。趙雲・張飛の活躍は駆け足ですが、『三国志演義』通りで、セリフひとつひとつに、情報が濃縮されているんです。
荊州を手にした劉備は、孔明の天下三分の計を実現すべく、蜀へ進軍。「蜀漢」同様『演義』でも、龐統は劉備の身代わりになり死んでしまうのですが、それは、劉備の馬に乗っていたため。「蜀漢」では、劉備のマントを羽織っていたこともありつつ、劉備に執着している陳宮の呪いとして描かれます。
龐統の死後、劉備は孔明を呼び寄せ、蜀攻略を続行。中心都市・成都を攻める際に、馬超が劉備陣営に参加します。ここも、史書に沿っています。
続いて、馬超の過去が語られます。父をはじめ一族が皆殺しにされた曹操との因縁、そして、兄とも慕う部下の龐徳(ほうとく)と生き別れてしまったこと。龐徳との別れや、この先の馬超の早すぎる死に、同じ病を宛てているのもとても巧みです。
回想はここまでで、場面は再び定軍山に。一気に30年間を観たことになります。夏侯淵(かこうえん)を倒し、劉備が漢中王になったところで第一幕は終わります。
語りたいところを語っていたら、長くなってしまいました!
続きは明日公開の記事に!
