「気が狂ったのか」「あいつ、終わったな」と陰口をたたかれ…エリート記者→妻の海外赴任で“専業主夫”に転身した男性(54)が味わった苦悩
妻が一家の大黒柱となり、夫が家庭を支える--。「専業主夫」が、にわかに増えている。現在、大学教授兼ジャーナリストの小西一禎さん(54)も、過去3年半にわたって専業主夫を経験した1人だ。
【写真】「気が狂ったのか」「あいつ、終わったな」と言われ…エリート記者の立場を捨て、専業主夫になった小西さんやその家族
当時、共同通信社の政治部記者として深夜残業や休日出勤などもいとわずガムシャラに働いていた小西さん。ある日、共働きだった妻の米国駐在が決まり、悩みに悩んで休職して2人の子どもと共に渡米することを決めた。しかし、同僚からは陰口を叩かれ、自身でも葛藤を抱えていたという。

政治記者としてパワフルに働いていた小西一禎さんは、45歳のときに妻の海外赴任により「専業主夫」になった(本人提供)
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「家庭は女性が守るもの」「時短女性とは働きにくい」と思っていた
--まず、渡米前の小西さんの「家族観」について教えてください。
小西一禎さん(以下、小西) 私は1972年に生まれ、モーレツに働くサラリーマンの父と専業主婦の母のもとで育ちました。当時の「デフォルトの家族像」ですよね。父は、運動会などの学校行事には全く参加せず、休日も接待ゴルフなどで家を空けることが多かったんです。ですから、「男は稼ぎ、女は家庭を守る」という昭和的な価値観が植え付けられていました。
1996年に共同通信社に入社してからも、そうした価値観が残っていました。2005年に地方の部署から念願の本社政治部に配属となり、朝から深夜まで政治家を追い回すマッチョな働き方をしていたのですが、そのころから少しずつ考えが揺らぎ始めたんですよね。
--というと?
小西 女性政治家、女性官僚、女性記者というパワフルな女性たちの働きぶりがまぶしく見えたんですよね。といっても、染み付いたジェンダー観は、そう簡単には変わりません。口にこそ出しませんが、「時短勤務の女性とは一緒に働きにくいな」と思っていましたし、「男女共同参画」といった話題にも耳を塞いでいました。
--2008年、35歳のときに結婚されてからも、そうした価値観は大きくは変わらず?
小西 妻は製薬会社で働いていて、キャリアへの強い思いがありました。だからこそ彼女らしい人生を歩んでほしいと思いましたし、オールドメディア業界の行方にも危機感があったので、共働きが現実的だろうという考えもありました。ですので、結婚後も妻が仕事を続けることには賛成でした。
子どもと接する機会が少なく「娘と2人になるのが怖かった」
--2012年に第1子が誕生し、奥様は育休を経て時短勤務に切り替えたのですよね。当時、家事育児はどう分担されていましたか?
小西 当時、私は毎月の残業が100時間を超えており、深夜残業や休日出勤が常態化していました。家事育児の分担は、比率で言うと2対8ぐらい。長女が生まれても生活はほぼ変わらず、深夜帰りもそのまま。平日は、ほぼ子どもと顔を合わせない。周囲の男性記者も全く同じ状態でしたし、妻も私も「そういうものだ」と思っていました。
--よくある家庭像かもしれません。2対8の「2」はどんなことを?
小西 ごみ捨てや、たまに食器を洗ったり、洗濯物をたたんだり、ですかね。料理や子どもの保育園の送り迎えは、ほぼなし。オムツ替えも、おしっこはやるものの、うんちは妻にパス(笑)。当時は、長女とどう接すればいいのかわからず、「2人になるのが怖い」という感覚でした。
--2年後に第2子が誕生した際も、変わらずでしたか?
小西 長女のときにできなかったリベンジとばかりに、長男の誕生後に1年間の育休を取得したんです。そこでしっかり子どもと向き合ったかいもあって、2人とも私になついてくれました。でも、育休復帰後は「遅れを取り戻さなければ」という焦りもあり、すっかりもとに戻ってしまって。
ある日突然、妻から米国赴任を告げられたが……
--奥様の米国赴任は、どんなタイミングで伝えられたのですか?
小西 忘れもしません。2017年の夏、沖縄への旅行中、プールサイドでビーチチェアに寝転がっていた時でした。突然、「そういえば、米国赴任の話、決まりそうだからよろしくお願いします」と宣告されました。
「実現するはずがない」心のどこかで、妻の仕事を下に見ていた
--ということは、それ以前にも海外赴任の話はされていたのですね。
小西 私たち夫婦には、共に海外赴任や海外暮らしの願望がありました。私は政治部の枠がある米国ワシントンでの勤務を目指していて、それを妻に話すと「いいじゃん。決まったら私も付いていく」と。ですが、実現可能性が低くなってしまい、「難しそう」と妻に伝えたら「じゃあ私ががんばるわ」と。
とはいえ、既婚の子連れ女性で海外勤務を実現した前例はなく、どう実現すればいいのかわからない状態でした。だからこそ「がんばれ、僕のリベンジしてね」と言いつつも、心の中では「実現するはずないよな」と甘く見ていたんです。
--それが実現して、「まさか」と。
小西 「マジか」という感じでした。聞いた瞬間から、沖縄の青い海や空がグレーに見えるぐらい動揺してしまって……。応援する気持ちは全くなく、「俺の仕事はどうなるんだ」という不安で埋め尽くされました。
そもそも妻の仕事を過小評価していたところもあります。日本の中心で権力者を取材する自分の仕事のほうがすばらしいと、どこか彼女の仕事を下に見ているようなところがあり、とても喜べる心境ではありませんでした。
--そんな心境だったのに、どうして渡米を決断できたのですか?
小西 妻や子どもと離れて暮らすことも考えましたが、妻がフルタイムで働いて家事育児も自分で……というのは現実的ではないだろうと。
また、ウェブで見つけた駐夫の経験者の方に相談したところ、「悩んでいるぐらいなら行ったほうがいいですよ」とアドバイスされたんです。彼は、妻の海外赴任に同行してニューヨークで専業主夫をしていたそうなのですが、目をキラキラさせて「とにかく行ってよかった」と。彼も渡米前は長時間労働をして家事育児を遠ざけていたそうですが、現地での子育てがとても良い経験になったそうです。
--そこで考えが変わった。
小西 そうですね。最終的には「家族は一緒にいるべきだ」と。それに冷静に考えると、妻が夢を叶えてキャリアアップできるのは喜ばしいことです。当時、子どもは3歳と5歳で、異国での暮らしが大いに学びになるはず。じゃあ、私にとって何が良いかと考えると、45歳まで仕事一筋で走り続けてきたので、少しブレイクしてみるのも良いんじゃないかと。
米国の政治を見るのも悪くないし、子どもと一緒にゆっくり過ごすこともできる。「戻ってきたら、どうなるだろう」という不安はありましたが、いろいろ調べるうちに休職制度があることがわかり、それを活用しようと決めました。
背中を押してくれた上司、一方で同僚からは“陰口”も……
--奥様は、どう考えていたのでしょう?
小西 妻の考えを明確に聞いたのは渡米してからだったのですが、「最終的にあなたはひよると思ってた。そうなっても、私は子ども2人を連れて行っていたよ」と。「行かない」という選択肢は、彼女にはなかったそうです。
--休職する意思を伝えたとき、会社からはどんな反応があったのですか?
小西 当時、休職制度を使用するのは5人目で男性第1号でした。意を決して上司に報告すると、しばらく考えて「わかった。君にとっても家族と一緒にいるほうがいいだろう。制度なんだから堂々と使え。カッコいいぞ」と激励してくれました。
--周囲の同僚は、いかがでしたか?
小西 女性記者の後輩や一部の同僚からは、「カッコいいです。素敵です」といった言葉をもらいました。しかし、一部の人からは、「俺には理解できない」「気が狂ったのか」「あいつ終わったな」などと陰口をたたかれていたそうです。
--なかなか辛辣な批判ですね……。
小西 自分でも「記者として終わったな」とうっすら思っていたので、言われても仕方ないなと。前向きでいるよう努めていましたが、そうしたノイズは正直気になりました。ただ、それ以上に激励してくれる人たちの言葉に救われました。私の両親も反対せず、むしろ快く送り出してくれました。
--では、晴れ晴れした気持ちで渡米できたと。
小西 と言えたらカッコいいのですが、実際は複雑な心境でした。米国暮らしを想像すると一時的にハイになるものの、将来を考えると不安が拭えず……。その気持ちを抱えたまま飛行機に乗り込んだことを覚えています。
続く記事では、小西さんが専業主夫になり従来の役割が完全にひっくり返り「妻が稼ぎ、夫が家庭を守る」スタイルになったことで感じていた葛藤やストレス、そんな小西さんを救った妻とのエピソードなどを聞いていく。
〈「妻に養われている自分が、受け入れられなかった」「下に見られている気がして…」エリート記者→家族の事情で《専業主夫》になった男性(54)が振り返る葛藤〉へ続く
(小林 香織)
