「違います、妹です」事務所に内緒でキャバクラ入店→売り上げNo.1に…熊切あさ美の“極秘生活”がバレた「まさかの瞬間」〉から続く

 撮影前には下剤を飲んでダイエットをする。それが熊切あさ美の習慣だった。写真集の撮影では、打ち合わせと違う衣装に「着たくない」と言い出せず苦しんだ20代。

【写真】「46歳に見えない」「めっちゃ素敵!」熊切あさ美の“大人かわいい”ドレス姿を見る(複数あり)

『元祖崖っぷちアイドルの熊切あさ美が、全肯定BODYを手に入れた理由』(主婦と生活社)より、熊切あさ美が知られざるグラビア時代の苦労を明かす。(全4本の2本目)


熊切あさ美(撮影:矢島泰輔)

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生地の面積が少ない水着に悩まされた撮影

 崖っぷちアイドルとして売り出してからは、グラビアの仕事も多くなり、写真集も出しました。ヘアヌード写真集のオファーもありましたが、「ヌードにはならない」という決意は今でも変わっていません。

 チェキッ娘を卒業する際、チェキッ娘のプロデューサーさんが事務所を斡旋してくださったのですが、メンバーを各事務所に引き渡す際に「チェキッ娘はヌード禁止。絶対脱がせない」という契約を各事務所に入れてくれたんです。だから私を含め、芸能界に残ったメンバーからヌードになったり、アダルト業界に行った子は1人もいないはずです。

 ただ現場で用意されている衣装が、打ち合わせのときと違う際どいものに変わっていることがありました。生地の面積が小さい水着などです。当時は今のようにタレントの権利が守られていない時代です。私のような売れっ子でもないタレントが現場で「着たくない」とは言いづらくて、つらい気持ちを抱えながら撮影したこともありました。

撮影前は下剤を飲んでダイエット

 グラビアは撮影前の体形維持も大変でした。食後にお腹がポコッと出るタイプなので、撮影前は下剤を飲んで腸をぺたんこにするのが習慣になりました。でも下剤を常用すると癖になり、飲まないと便秘になってしまう体質に……。毎回、大量の下剤を持ち歩いていたものでした。

 痩せている=美しいと思い込んでいて、過激なダイエットにも励んでいました。流行りのダイエットに飛びつき、まともな食事は摂らずにダイエットサプリだけを飲む日があったりしました。

 当時は今のように写真を簡単に修整できず、胸は水着の中にパットを入れて盛れても、ウエストはそのまま写真に反映されてしまいます。

 上がってきた写真を見て「ウエストをもう少し細くしてほしい」「肌をきれいに調整してほしい」とお願いしても、「作業料金がかかるからムリ」と言われていました。売れっ子のグラビアアイドルならまだしも、私のレベルでは予算的に難しかったのです。

 24歳のときに出した写真集が最後だと思っていましたが、40歳で16年ぶりに写真集を出すことができました。このときはトレーニングで鍛えた身体で撮影ができ、20代のときのような不健康な状態ではありません。写真もデジタルに変わり、修整も簡単になっていましたが、修整しなくても自信を持ってお見せできる身体をつくっていました。

 おかげさまで写真集は三刷重版し、ありのままの40歳の私が受け入れてもらえたのが嬉しかったです。

「あいつには負けるなよ」周りはみなライバルだと叩き込まれて

 チェキッ娘時代はグループなので、どうしてもメンバー同士が比較されます。

 グループを卒業した後、ソロで活動を始めてからも、もちろん周りと比べられる日々は続きました。当時のマネージャーさんからは「あいつには負けるなよ」といつも言われ、周りの人たちはみなライバルだと叩き込まれました。ほかの子ができて自分にできないことがあると、劣等感も強くなっていったんです。

 また、こちらが友達だと思っていても、相手からはライバル視されていて、蹴落とすようなことを言われたり、ギクシャクした関係になったこともありました。

 そのため、同じ仲間が集まる食事会には参加しないようにしました。「みんなで椅子取りゲームをしているのに、いったい何をしゃべるんだろう」と思っていたんです。

 30代になると、同業者をライバル視することも少なくなりましたが、今度は独特の悩みが出てきました。

 若いころは食事制限をしていましたが、30代からはきちんと栄養を摂ったうえでトレーニングして身体づくりをする生活に変わっていきました。そのため食事はいつでもしっかり食べるようにしています。

 たまに出席しなくてはならない会食があると、周囲の女性と食事量が合いません。私だけがガッツリ食べるため、周りから浮いてしまうように。「熊切あさ美って、大食いだよね」と囁かれないよう、事前になにかしらお腹に入れてから食事会に向かうこともありました(笑)。

飲みに連れて行ってくれる芸能界の「お父さん」

 芸能界で飲みに行くのは、まったく違う立場で活躍している方たちでした。志村けんさんや、やしきたかじんさんにお酒の飲み方を教えてもらったのは、貴重な経験でした。吉幾三さんは私のことを娘のように可愛がってくれて、あんなに大御所なのに私を飲みに連れて行ってくださいます。

 可愛がってくださるといえば、20代のころ、大阪のレギュラー番組でご一緒させていただいていた上方落語家の桂小文枝さん。

 今でも時おり「いつになったら、あなたの幸せなニュースが舞い込んでくるのか。大阪の父とすれば非常に心配です」なんてメッセージをいただきます。そんな素敵な「お父さん」が大阪にもいて、本当に幸せだと思います。

 現在、ありがたいことにこんな私にも「食事に行こう」と声をかけてくれる人は多いのですが、バチバチのライバル時代の記憶がよみがえってきて、「私と仲良しだったら、この人に迷惑がかからないかな」と多少気になってしまう自分もいたりします。

結婚を考えた男性と破局、「育ちが悪い」とバッシングされ…「この世から消えたい」と追い詰められた熊切あさ美を救った“恩人の一言”〉へ続く

(熊切 あさ美/Webオリジナル(外部転載))