「いわゆる父性みたいなものに欠けている」と、祥平さんは自己分析している

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【前後編の後編/前編を読む】結婚して14年、もうひとつの家庭をもって8年…43歳夫を形作った「家庭教師先の母親」との関係と「僕は居候」の少年時代

 長崎祥平さん(43歳・仮名=以下同)は、結婚して14年、もうひとつの家庭をもって8年になるという。育ったのは、継父、母、妹、“種違い”の弟という家庭で、「自分は居候」と感じていたという。継父に高校の入学費用を出してもらうことを拒み、祖父母に10万円を貸してほしいと頼んだことも。高校時代は友人宅に身を寄せ、大学では奨学金と家庭教師のアルバイト収入で生計を立てた。初体験の相手は、家庭教師先の母親だった。教授からは大学院進学を勧められるも、経済的な自立を求めて就職。奨学金の返済に追われる社会人生活を始めた。

「いわゆる父性みたいなものに欠けている」と、祥平さんは自己分析している

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 穏やかな笑みを浮かべる祥平さんだが、心の奥には熱いものを秘めている。そんな印象を彼には抱いた。

 28歳のとき、彼は同い年の亜希子さんという女性と結婚した。知り合ってから半年ほどで結婚を決めたという。

「たまたま仕事のつながりで知り合ったんですが、落ち着いた素敵な女性で、彼女と会うと僕はふわふわしてしまうんですよ。そんな感覚は初めてだった。会うのがうれしくて楽しくて、いくら話しても話が尽きない。一緒に住みたいと切実に感じました」

 亜希子さんも専門職についており、仕事が大好きなタイプ。職種は違うが、お互いの気持ちを理解しあうことができた。意見が違っても「そういう考え方もあるか」と思えるため、彼は仕事のことも子どものころのことも、すべて亜希子さんに話した。

「特に継父の話をしたとき、亜希子は僕の頭を抱え込んで『祥平くん、よくがんばったね』と言ってくれたんです。あ、僕は母親にこうやって慰めたり褒めたりされたかったんだと初めて気持ちが落ち着きました」

週末婚の提案

 ふたりは東京郊外で暮らし始めた。ところが祥平さんは、職場でも実験等をすることがあり、平日は帰宅が深夜になることも多々あった。あるとき亜希子さんから、「週末婚っていうのもありだと思わない?」と提案された。

「亜希子は『このままだとあなたが疲れて倒れてしまう。職場近くにアパートでも借りて、通勤時間を少なくしたほうがいいよ』と。平日は遅くまで仕事をしていますが、基本的に土日は休みなので、じゃあ、金曜日の夜に帰るということで話がまとまりました」

 亜希子さんは、「私にとってもそのほうがありがたい。あなたの帰宅時間を心配しながら仕事をするのは疲れるから」と正直に言った。そのころ、ふたりは子どもをもつか持たないかという話はしたことがなかった。「たぶん、ふたりとも自然に任せればいいと思っていたのではないか」と祥平さんは振り返る。

 それからはお互いに思い切り仕事をした。就職して10年目に勤務先の組織体系が変更になったのを機に、彼は同僚とふたりで勤務先の許可を得て起業した。勤務先の企業が取りこぼしそうな案件を引き受けるための別会社を作ったのだ。

「社内部署では儲けが出ないけど、外部に委託するのはちょっとと思うような案件を扱えないかと考えた結果なんです。誰にとってもウィンウィンになるような仕事をしていきたい。同僚とそう話し合って作りました」

 小規模でやっていければいいと思っていたのだが、他社からも案件が持ち込まれるようになった。同業他社を巧妙に避けつつ、別の業種で存在感を示そうともがきながらもがんばった。立ち上げ時は苦労も疲弊もしたが、それでもやはり楽しかったと彼は言う。

中学時代の同窓会で…

 そんなとき、たまたま中学生時代の同窓会があった。多忙だったのだが、それゆえに中学生のころ一緒に遊んだ友人たちと会いたくなった。

 そこで再会したのが舞美さんだ。彼が淡い恋心を抱いた女性でもある。

「会えてうれしかったですね。彼女も当時、バスケット部だったから、思い出話は尽きなかった」

 その後、ふたりで抜け出して飲みに行ったとき、彼女がバツイチだと知った。「あなたも知ってる人だよ」と言われてびっくりしたが、その日は来ていなかった同級生の山本君という人だったことにさらに驚かされたという。

「大学を卒業すると同時に結婚したけど、結婚したらダメになっちゃったと笑っていました。山本はいいやつで、僕も当時は仲がよかったんですよ。高校が別で、なんとなく疎遠になったけど。今はいい友だちだよ、今度3人で会おうよと言われました」

 そんなことがあった1週間後、今度は職場の最寄り駅でバッタリ再会した。外回りから帰ってきたら、突然の雨。急いでいたので、駅構内のコンビニで傘を買おうとしたときに声をかけられたのだ。

「舞美は、『え、偶然。たまたま仕事でこの近くに来たのよ。よかったら使って』とビニール傘を押しつけてきたんです。『いや、だって舞美だって使うだろ』と言ったら、『私は会社に帰るだけなの。会社は駅直結だから大丈夫』と」

「私、来週、転勤するのよ」

 帰宅後、気になってお礼のメッセージを送った。近いうち、メシでも食おうよと言うと、「おもしろい店に連れていってよ」という返事。

「店はボロいけど、ものすごくおいしい居酒屋があるんです。そういうところでもいいかと尋ねたら。そういうところにこそ行ってみたいと。楽しかったですね。彼女はなかなかの健啖家で、適度に飲みつつ、よく食べてよくしゃべる。また会おうよ、今度は山本も一緒にと言ったら、『いやいや、私、来週、転勤するのよ』と衝撃的な発言があって。先に言えよっていう話ですよね。彼女にはびっくりさせられてばかり」

 彼女は山陰地方に2年の予定で赴任するのだという。ひとりきりで寂しいだろ、遊びに行ってあげようかと言うと、「慣れてるもん」という返事だった。離婚後、2度ほど転勤したことがあるのだという。

「知らない街で暮らすのって嫌いじゃないのよ。街の居酒屋とか定食屋で気に入ったところを見つけて何度も通って。そうするうちにだんだん溶け込めるようになる。いい感じだなあと思ったところで、だいたい呼び戻されるんだけど、全国に友だちができて楽しい」

 彼女はそう言って笑っていた。たくましいなあ、自分はまだまだ世界が狭いのかもしれないと彼は痛感したという。

週末婚は楽しかったけれど

 転勤していった舞美さんとはその後も連絡を取り合ったが、舞美さんはすっかり現地になじんでいるようだった。祥平さんの仕事も軌道に乗り、平日はますます多忙になったが、週末の妻との時間は、この上なく平穏で楽しかった。

「金曜の夜遅くに帰って、その日はデリバリーとかとってふたりでゆっくり過ごします。土日は1泊でどこかへ出かけることもあったし、家でのんびり過ごすこともあった。共通の友人夫婦とランチをしたり、一緒にスポーツジムに行ったり。亜希子と一緒だと、常に恋愛感情がわいてくるんですよ。妻だけど恋人同士。ずっとこういう感覚でいたいと思っていました。結婚して何年たっても子どもができなかったんですが、それでもいいと思っていた。不妊治療したほうがいいのかなと亜希子が言ったことがあるんですが、別にしなくていいんじゃないのと答えたのを覚えています。ふたりでいるのが楽しかったから」

そして舞美さんと…

 35歳のとき、舞美さんが「帰ったよん」というメッセージとともに戻ってきた。すぐにでも会おうと言っていたのだが、実際、会ったのは3ヶ月後だった。

「やっと会えたという思いが強かったですね。彼女のほうも『わりとあなたのこと、よく考えてたよ』って。急にふたりの間で何かが燃え上がったのがはっきりわかりました。食事をしてから彼女のひとり暮らしの部屋に行って、朝まで過ごしました」

 そういえばあなた、結婚してたよねと言われたのは翌朝のことだった。そうだ、ごめんというと「私は別にいいけど」と舞美さんは明るく言った。ふたりの間で共犯関係が生まれた瞬間だったのかもしれない。彼は平日、週に1、2回は彼女の部屋に泊まるようになった。

「それから半年後、舞美が妊娠しました。子どもをもつ最後のチャンスだろうなあと彼女が言うので、認知はするけど結婚はできないと正直に言ったんです。すると舞美は『わかった。産むわ』って」

 祥平さんの中で、妻はあくまでも恋人だった。舞美さんが自分の子の母となることに違和感はなかった。説明しづらいけど、と彼はしばし考える。

「舞美とずっと一緒に生活するというイメージもなかった。ただ、今のまま平日に1、2回、舞美と一緒に過ごす。そこが僕の家庭。亜希子はやはり恋人で、子どもを介さない大人同士の関係。そんな感じなんですよね」

わが子に会って

 舞美さんは精神的に自立した女性だった。職場でも信頼があったのだろう。会社に未婚のまま子どもを産むと告げたが、会社から何も言われなかったと苦笑していたという。周りからは「らしいね」と言われたそうだ。

「産後はどうするのかと心配していたら、『妹や従姉妹が来てくれるから大丈夫。むしろ、あなたは来なくていいから』とまで言われました。でも生まれると連絡があってすぐ駆けつけました。生まれたばかりの女の子が小さくて甘い香りがして、とにかくかわいかった。オレの子かあ、と不思議な思いで娘を見ていました」

 舞美さんの家の近くに引っ越し、いつでも自転車で手伝えるようにしていた。自転車通勤をしていたので、平日の深夜には連絡をとってからよく寄ったという。

「今年、娘が小学校に入学しました。この間、いろいろありましたよ。娘の高熱が下がらず、ひたすら心配していたこととか、舞美が仕事と育児で疲れ果てて入院してしまったこととか。そのつど、舞美はひとりで乗り越えてきた。もちろん僕も手伝ったつもりだけど、一緒に住んではいないから役には立ってないですよね、たぶん」

 そんな状況で娘の入学式には出席できたことが、なによりうれしかったという。だが、彼はやはり「自分に父親の資格はないと思う」とも語る。

「子どもを子ども扱いできないんですよ。舞美は『慣れの問題だと思う』と言いますが、慣れというより資質の問題だと僕は思っています。自分の子だという実感がまずない。養育費は出していますが、娘に対してこういうふうに育ってほしいという気持ちも特にはないんです。彼女のことは大切なんだけど、いわゆる父性みたいなものに欠けている。抱きつかれればうれしい、でもどこか冷めた目で見ている気もする。実父に捨てられ、継父とはそりが合わなかったことの帰結がこれかよと思うこともあります」

亜希子さんとの生活は…

 一方で、亜希子さんとの生活に特に変化はない。変わらず恋人気分だし、亜希子さんを前にすると正直になりたいと思う。だからこそ、舞美さんのことを隠していることがだんだん重荷になってきているという。

「僕は心のどこかで、他に子どもがいることがたいしたことではないと思っているんですよ。でも亜希子にしたら『裏切り』になるんだろうこともわかっている。だから話してはいけない。亜希子を傷つけないために。一方で舞美は、うちの家庭のことをよく知っている。亜希子の母親が倒れて大変だったときも、しばらく行けないからと事情を説明した。亜希子は舞美のことをいっさい知らないけど、舞美はこっちの事情を把握している。なんだか不公平な気もするんですよね」

「不公平ではないのか」

 どちらが大切というわけではない。どちらも大切なのに、一方にだけ片方の情報が流れ続けている。これでいいのか、これは不公平ではないのかと祥平さんは感じているのだ。もともと公平とはいえない関係性なのだから、そこで悩むのも妙ではあるが、それが彼の偽らざる思いなのだろう。

「本籍地を変えたので、もし亜希子が僕の戸籍を見ても認知の事実はわからないと思います。そこだけは巧妙に隠しました。亜希子に嫌な思いをさせたくないんです。舞美にはけっこう厳しい生活を強いているのかなと感じることもある。恋人の舞美にわがままを言って、本来、本妻である亜希子には配慮しながら恋人でいてもらっている。そんな感じになっているんですよね」

 舞美さんも亜希子さんも精神的にも経済的にも自立した女性なのだ。もしかしたら、ふたりとも祥平さんがいなくても元気にやっていくのかもしれない。

「そうだとしたら、僕の存在価値って……」

 そう言って絶句した祥平さんだが、気を取り直したように、「まあ、そんなものかもしれませんね」と苦い笑いをこぼした。

「人は自分の存在価値をどうやって確認しているんでしょうか」

 別れたあと送られてきた彼のメールに、答える術はなかった。

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 妻との家庭、もうひとつの家庭。祥平さんは、どちらにも“自分の居場所”を見いだしているのだろうか。記事前編では、実父との別れや継父との確執を経験し、「自分は居候」と感じながら育った彼の少年時代を紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部