日本で神童とうたわれたころの渡辺茂夫さん

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【写真】帰国後はかすかな喜怒哀楽と笑顔だけ…渡辺さん、50代の姿

40年間はほぼ寝たきり

 1999年8月13日、戦後復興期に注目されたバイオリニスト・渡辺茂夫氏が死去した。7歳でデビューリサイタルを開き、14歳で米国の名門・ジュリアード音楽院に入学した正真正銘の「神童」である。だが、留学後に睡眠薬を大量に服用し、脳に深刻な後遺症が出た体で帰国。以後40年間を日本でほぼ寝たきりの状態で過ごした。そんな渡辺氏の生涯を「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」で振り返る。

(以下、「週刊新潮」1999年9月2日号「墓碑銘」を再編集しました。文中の年齢等は掲載当時のものです)

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不思議な切実さを感じる演奏

 戦後間もない頃、「神童」とうたわれながら、楽壇から姿を消したバイオリニストがいた。1996(平成8)年に少年時代の演奏を録音したCDや伝記が話題となったが、当時の活躍を知る者はもう少なかった。

日本で神童とうたわれたころの渡辺茂夫さん

「悲劇の天才バイオリニスト」渡辺茂夫氏が、1999(平成11)年8月13日、急性呼吸不全でひっそりと亡くなった。享年58。16歳の時、留学先のアメリカで大量の睡眠薬を服用し、その後40年余り、ほとんど寝たきりの状態だった。

「深い部分で音楽を捉え、表現する。“天才”という意味では、五嶋みどりさんより上だと思いますね」

 と、渡辺氏の伝記『神童』(文藝春秋)を著した山本茂氏は言う。

「いつか彼のことを書いてみたいと思っていたんです。CDの演奏を聴くと、不思議な切実さを感じるんです」(作家・小川洋子さん)

世界屈指のバイオリニストが後押し

 1941(昭和16)年、東京生まれ。実母も若くして才能を発揮したバイオリニストであった。しかし5歳の時、両親が離婚。実母の姉夫婦、渡辺季彦氏、美枝さんの養子となる。季彦氏は東京高等音楽学院(現・国立音大)を卒業、「世界一のバイオリニストを育てる」ことに情熱を傾けていた純粋すぎるほどの音楽人だった。

 季彦氏は、茂夫氏に才能の片鱗を見いだす。1日、7、8時間もの徹底的な英才教育を授ける。くる日もくる日も子供らしい遊びをするでもなく、レッスンに明け暮れた。季彦氏は当時を振り返る。

「最初はうまくできないんです。それで怒っても、決してバイオリンを離さず、涙を流しながら練習してました」

 茂夫氏は、養父の期待に充分応える。7歳でデビューリサイタル。以後ソリストとして名だたるオーケストラと共演できるまでになっていく。

 1954(昭和29)年、転機が訪れる。来日した世界屈指の名バイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツ氏の目に留まったのだ。氏の強い推薦により、翌年、14歳でニューヨークのジュリアード音楽院に無試験で入学。最年少の奨学生に選ばれる。

睡眠薬を服用し意識不明の重態に

 アメリカでも最大級の賛辞をもって迎えられ、季彦氏の夢は現実に近づいたかに見えた。しかし、茂夫氏は神経質なまでの孤独感に苛まれていく。交友関係を作らず、猛烈な日本嫌いになったりと、奇妙な言動を見せ始めたのだ。

 心理学者が、検査のため絵を描かせると、足首を鎖に繋がれた少年がスコップで穴を掘ったりしており、その背後には鬼が立っている。説明を求めると「この少年はぼくだ」と言ったとか。

 事故は留学3年目に起きた。大量の睡眠薬を服用し意識不明の重態に。九死に一生を得たが、1人で生活ができないほどの後遺症が脳に残ってしまう。米国少女に失恋した自殺だとか、妬みによる殺人だった等の説が飛んだが、真相は未だ明らかではない。

 翌年、帰国。養父母と鎌倉の自宅で長すぎる余生を送ることになった。

「突然、変わり果てた姿で帰ってきたんです。失恋から睡眠薬を飲んだなんて信じられません。今でも息子を奪ったのは、アメリカの陰謀だと思っています」(季彦氏)

ありえない“奇跡”を思い続けて

 季彦氏の献身的なリハビリは目を見張るものがあった。車椅子を使わず、両足の甲に茂夫氏を乗せて歩行訓練を続けた。リハビリにより少しは回復したが、言葉は戻らなかった。かすかな喜怒哀楽があるだけで感情もほとんどなく、いつもニコニコと笑っている。テレビにバイオリン演奏が映ると、手の指が弾く動作を繰り返していたという。

 やがて1987(昭和62)年、養母の美枝さんが亡くなると、大きな邸宅に、父と子の2人だけの生活となった。昼間、季彦氏が自宅でバイオリンを教え、それで2人の生計をたてた。料理はもちろん、入浴から下の世話まで、今年90歳になる季彦氏が生活一切の面倒もみていた。

「この12年間は、ずっとありえない“奇跡”を思い続けてやってきました。3年前に出されたCDを聴いて、もうこれでいいと思いました。せめてもの救いです」(季彦氏)

「茂夫さんの一生を追い、また最後まで父と子だけの生活だったことを思うと、“天才”を育てる、親と子の、タイトロープを渡るような葛藤、執念を感じますね」(山本氏)

デイリー新潮編集部