愛子さま「卒論の指導教授」が明かす「非の打ちどころのない学生だった」驚きの学力
皇室をめぐる議論が急速に進んでいる。その当事者である愛子さまを、「もっと知りたい」と感じる国民も、また増えている。
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非のうちどころのない学生だった
関心を持ったものに丁寧に向き合う。その姿勢は、大学での学びにも通じていたようだ。大学時代、愛子さまは後白河天皇の第三皇女である式子内親王と、その和歌について研究し、卒業論文を執筆した。指導教員を務めた学習院大学文学部日本語日本文学科教授の中野貴文さんが語る。
「愛子さまへの個別指導は、私の研究室で行うことが多く、大学4年の4〜5月には週1回や隔週のペースで、30分から1時間ほど対面で指導しました。その年、私が指導を担当した学生は13人おり、全員で卒論中間発表会を開いたときには、愛子さまは積極的に発言をされましたね」
愛子さまの指導を担当することが決まった当初、中野さんは「どこまで踏み込んでいいのか」が分からず、思い悩んだのが本音だという。しかし、懸念はすぐに消えた。
「愛子さまは普通の学生以上にしゃべりやすかった。むしろ愛子さまが私に気を使ってくださり、話題を振っていただいて、場が固まらないように助けてもらいました(笑)。
プライベートに関する会話はまったくしていません。ただ、'25年6月、宮中で開催された日本芸術院賞の受賞者らを招いた茶会において、愛子さまは『(機動戦士)ガンダム』の監督である富野由悠季さんとご懇談されていました。愛子さま自らガンダムの話題を振られていたのを知り、私もガンダムが好きなので、もっと話しておけばよかったと思いましたね(笑)」
指導教員から見れば、愛子さまはまさに非の打ちどころのない学生だった。
「こちらが学問的な要望を出すと、ちゃんと改善して返ってきました。指導教員としてやりがいがあり、楽でした。レポートや課題については、納得がいくまでギリギリまで時間をかけて考えられていたようで、こちらが設定した期限当日の夜23時59分直前に提出されることが多かったですね。授業のレポートや感想を読ませていただきましたが、その分野で使われがちな言葉や現在の研究の方向性を理解して書いていた。まさに『勉強している人の文章』だと感じました」(同前)
目をじっと見つめて……
求められたことには徹底して応えようとする。それは大人になった愛子さまが、初めての海外公務に臨む準備でも存分に発揮された。
'25年11月、愛子さまは初の海外公務として、東南アジアのラオスを公式訪問された。それに先立って計2回行われた「ご進講」を担当したのが、ラオス近現代史を専門とする東京外国語大学大学院教授の菊池陽子さんだ。
「1回目の講義にあたり、私は大学院の講義なら半期かけて教える内容を1時間に凝縮した資料を用意しました。すると、侍従の方から『愛子さまはご進講の内容をすべて頭に入れ、完璧にこなして現地に行こうとされます。外務省やJICAの方々からも資料をもらっているため、もうちょっとコンパクトにしてくださいますか』と事前に要望をいただいたのです。すべてを覚えようとされる誠意と完璧主義な一面を感じましたね。
実際、事前にかなり勉強を重ねておられたようで、当日は現地の戦争に関する深い質問もありました。愛子さまは終始、こちらの目をじっと見つめながら聞いてくださいました。プリントした資料にメモもびっしり書き込んでおられ、こちらが恐縮してしまうほどでした」(菊池さん)
2回目のご進講では、ちょっとしたアクシデントも起きた。しかし、そこでも愛子さまの気遣いがあったという。
「ラオス語の発音を女官の方がスマホで録音しようとしたのですが、その方も私も操作にあまり慣れておらず、『えっ、どうやるんでしょう』『こっちですかね』などと2人で焦る様子が、そのまま録音されてしまったのです。愛子さまはにこやかに笑いながら、『それはそれで楽しいので、そのままでも結構ですよ』とフォローしてくださり、場の空気を一瞬で和ませてくださった。
ありがたいことに、愛子さまはご訪問後もラオスへのご関心を持ち続けてくださっています。決してその場限りではない。こうした面からもお人柄がうかがえます」(同前)
事前に学び、相手の言葉に耳を傾ける姿勢は、被災地への訪問でも変わらなかった。
天皇ご一家が今年4月6日、東日本大震災・原子力災害伝承館(福島県)を訪問された際、案内を担当した館長の高村昇さんは、帰り際に愛子さまが口にされた言葉が心に残っているという。
「『今日は福島の歴史を学ぶことができました』とおっしゃっていただきました。愛子さまは相当勉強してこられたようです。除染した土の再生利用、最終処分場での管理方法、除染した土を入れている袋の材質など、細かい部分まで質問されていました」
9年前の思い出を鮮明に覚えて
訪問中に見せた、ある行動も高村さんの心を打った。
ご一家がエレベーターに乗った際、中で待機していたスタッフは、津波からの避難を経験し、現在は語り部としても活動している、愛子さまと同年代の女性だった。予定にはなかったが、高村さんはその経歴をご一家に紹介した。
「すると、愛子さまがなかなかエレベーターから出てこられない。そのスタッフにいろいろと話しかけてくださっていたんです。彼女にとって一生の思い出になりました」
愛子さまのそんな人柄を、9年という歳月を経て実感した同年輩の人もいる。
沖縄在住の金城若葉さんは、小・中学生時代に「豆記者」として、東宮御所などで天皇ご一家と面談した経験がある。その後、'25年のご一家による沖縄訪問で、当時大学4年生だった金城さんは、愛子さまと再会した。
「愛子さまは私より年齢が2つ上。私が中学1年生のときに、愛子さまが学校生活について質問してくださいました。好きな教科をお聞きになられ、私が『歴史が好きで、平安時代が好きです』と伝えると、愛子さまが『私も平安時代が好きです!』と意気投合したことがとてもいい思い出です。その後、東宮御所の庭で一緒にバレーボールもしました。
昨年、沖縄にいらっしゃったとき、愛子さまが『バレーボール、楽しかったですね』と私にお話ししてくださったんです。愛子さまが9年前のことを鮮明に覚えてくださっていたことに胸を打たれました。愛子さまがいらっしゃると空気が柔らかく変化するように思うんです。私たちに寄り添ってくださっていることをあらためて感じました」
目の前の人や物事に静かに心を寄せる。その積み重ねこそが、愛子さまが国民に愛される理由なのだ。
「週刊現代」2026年8月17日号より
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