亡くなった小川眞由美さん

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 テレビ、舞台などで人気を集めた女優の小川眞由美(おがわ・まゆみ、本名・真由美)さんが、3月26日に急性冠動脈症候群のため、鹿児島県内で死去していたことが9日、分かった。86歳だった。小川さんの長女でロックバンド「JETT SETT」のMAHこと小川雅代がこの日、スポーツ報知の取材に応じ、「母、小川真由美が亡くなったのは事実です。2026年3月26日に鹿児島で亡くなりました」と明かした。

 61年に文学座付属研究所の1期生として樹木希林さん、寺田農さん、橋爪功らと共に入所。翌62年に「光明皇后」で初舞台を踏んだ。すぐに、その実力を認められて映画、テレビにも進出。63年のドラマ「孤独の賭け」や64年の映画「悪女」の好演で“悪女スター”としての地位を得るようになったのも、確かな演技力があってこそのものだった。

 70年には舞台「華岡青洲の妻」で文学座の先輩・杉村春子さんの相手役を演じ、岸田國士賞を受賞。“後継者”と見なされるようになるが、翌71年に突如退団。活動の中心をテレビに移しながらも舞台、映画でも活躍した。特に、79年の映画「復讐するは我にあり」では、安旅館の女将を演じ、報知映画賞の助演女優賞などを受賞。その後も幅広く活動した。

 その一方で、プライベートでも世間を何度か騒がせた。67年に、文学座の一つ後輩だった細川俊之さんと結婚。1女をもうけるも、5年後の72年に離婚した。その後、81年に今度は文学座の同期だった橋爪と婚約。同年、舞台「ドリスとジョージ」で共演し、ゴールイン間近とも見られていたが、85年に婚約解消を発表した。当時、会見で橋爪は「結婚という形より友達に戻った方がいいということかな」と話していた。

 2000年代半ばまではコンスタントに作品に出演していたが、その後は目立った女優活動をしていなかった。話題となったのは10年。文学座の「大同窓会」が行われた際、出席の代わりに読まれた手紙に「2年前に得度(出家の儀式)して尼になりました」と書かれており、出家が明らかになった。

 当時、小川さんはスポーツ報知の取材に「先祖を正しい形で供養したいという気持ちが生まれた。その素朴な気持ちがあって出家しました」と説明。女優活動に関しては「天職だと思っていますし、やめるつもりはありません」と引退は否定していたが、その後の出演作はなし。15年には報知映画賞の歴史を振り返る連載でインタビューに応じていた。今年、日本アカデミー賞の会長功労賞を受賞したが、会場には姿を見せなかった。

 ◆小川 眞由美(おがわ・まゆみ)本名・真由美。1939年12月11日、東京生まれ。短大卒業後の61年に文学座付属研究所に第1期生として入所。62年、「光明皇后」で初舞台。63年、「母」で映画初出演を果たす。67年に俳優の細川俊之さんと結婚。1女をもうける。71年4月に文学座を退団した後は、活躍の場をテレビに移す。72年に細川さんと離婚。79年に映画「復讐するは我にあり」などで報知映画賞助演女優賞を受賞。81年、俳優の橋爪功と婚約するが、85年に解消。