【イメクラの文化史8緤圈枦絞涎燭全国的に壊滅した中で生き残った“イメクラ密集地帯”とは
’00年代半ばの浄化作戦によって、全国で無届け営業の店舗型イメクラが摘発され、姿を消した。だが、生き残った店舗型イメクラ密集地があった──。風俗ジャーナリスト・生駒明氏が送る連載『イメクラの文化史』第3回の後編だ。
【前編】浄化作戦がきっかけ…マニアックなコスプレ文化が花開いた’00年代中期(https://friday.kodansha.co.jp/article/458384)
横浜にあった「コスプレの聖地」
浄化作戦により無届けの店舗型イメクラは激減したが、風俗街からイメージルームを備えた箱型の店がすべてなくなったわけではなかった。
なかでもこの手のイメクラが健在だったのが横浜・曙町である。’90年代のイメクラ全盛期が横浜のヘルスの黎明期だったこともあり、合法店が続々と誕生していた。そのため老舗の箱ヘルには、浄化作戦後も変わらずにコスプレを心底楽しめる店が多かった。
代表的なのが、学園イメクラ『天真爛漫』と、隣接する痴漢イメクラ『ラッシュアワー』、受け身好きな女性を集めたイメクラヘルス『パッシブ』だ。
『天真爛漫』には教室、保健室、更衣室、体育倉庫、痴漢電車という5つのイメージルームが健在だった。廊下の左右に部屋がズラリと並び、昭和の学校の味わいがあふれていた。先生と生徒、先輩と後輩、同級生など、あらゆるシチュエーションのプレイが可能なうえ、客の気持ちを燃え上がらせるべく業界未経験女性の入店率の向上にも注力しているというこだわりようだった。現在は『学園天国』という店名のイメクラとなっている。
『ラッシュアワー』は現在も営業しており、受付で女性とコスチュームを選んで乗車(入室)すると、女性がつり革につかまって直立に待機している。つり革、ソファ、アナウンス、車輪音と、電車内を模して精巧に作り上げられた部屋は、まさに狢膺佑陵訓狠廊瓩澄事前のアンケートにより、細かい設定も指示できる。そのうえM男性向けに、女性に責められる犁嫦坿船魁璽広瓩睛儖佞気譴討い襪覆鼻∋蠅譴蠖圓せりである。
「ハマのコスプレの聖地」と言われるほどの有名店だったのがヘルス『パッシブ』である。セーラー服、女教師などの基本的なものから、ボンテージ、アイドル風、ラムちゃん、キューティーハニーなどマニア受けするものまで60種類以上の衣装を用意。さらにミニスカサンタなどの季節衣装まであった。「受付時に女性選びよりも衣装選びに悩まされてしまう名門店」と呼ばれた。
なお、セーラー服だけで約300着そろえていたのが愛知県刈谷市のヘルス『コレクション』。ネットオークション、フリーマーケット、買い取りなどで1000万円以上を投資して10年以上かけて集めたものだった。この他、一流航空会社、ファミレス、百貨店などの衣装もすべて本物で、全国からコスプレファンが遊びに来た。現在は基本的にコスプレのない「メンズエステと融合したヘルス」として営業している。
ソープでもコスプレを導入
コスプレは以前なら爛悒襯垢嚢圓錣譴襪發劉瓩箸いΕぅ瓠璽犬強かった。’90年代から’00年代初頭にかけて大流行した無届けの店舗型イメクラの業態はヘルスが主であり、コスプレはソープでは一般的でなかった。
しかし、’10年くらいからコスプレを取り入れるソープが増加する。背景には業界の不景気があった。「売り上げが落ちた」と悩んでいる経営者の考えた起死回生策がコスプレだったのである。多様化したユーザーのニーズに応えようとコスプレを導入した店がはやっていた。
花魁・遊女、OLスーツ、女医、メイドなど、マニアなコスプレが花盛りだったのが神戸・福原だ。ロリ系やギャル系の女性をそろえる店なら女子高生風のスタイル、M嬢をそろえる店ならメイド風、エステサービスを導入した店ならナース服といったように、従来のソープに多かったドレス姿とは違った格好で迎えてくれる店が増えていた。
ユニークだったのが、女性も客も中世の貴族のようなオペラ風の仮面装着でプレイする『仮面貴族』である。客は仮面をつけっぱなしでも問題なく、有名人でも顔バレすることなく遊べた。
この頃バスガイド風のコスチュームに制服を一新したのが『なでし娘』。「かわいいバスガイドのお姉さんとエッチなことができる機会などあまりないので新鮮」と好評だった。BusガールならぬBath(風呂)ガールがマットやベッドで快楽の世界へ案内してくれた。
ミニスカポリス、巫女などの衣装を自前でそろえた泡姫が在籍していたのが滋賀・雄琴のソープ『スクエア』だ。この泡姫は鉄道やアニメに詳しく、オタク客に対するアピール度がピカイチで、わざわざ全国から訪ねてくるほどの人気。「オタクたちのアイドル」と呼ばれ、正真正銘のコスプレ愛好家だった。
チマチョゴリ姿の美女と戯れることができる『秘苑』があったのが川崎・南町。チマチョゴリは本場韓国から仕入れたもので、さまざまなカラーをそろえていた。店舗スタッフ曰く、「韓流ブームの時の客足はすごかった」という。筆者は取材で訪れたことがあるが、韓国で製作された本物のチマチョゴリの華やかさと美しさに目を見張った。
OL系コスチュームの専門店も
’10年代に入ると風俗業界のコスプレブームはさらに進化し、学園、ナース、和服など、特定のイメージプレイに特化した風俗店がますます増えていく。なかでも関西エリアで大流行したのが、黒やグレーなどのダーク系スーツで在籍嬢の服装をそろえる「OL系風俗」。派手に盛り上がった一大ブームというよりも、定番コンセプトの一つとして根付いてきていた。
大阪・ミナミではOL及び秘書系の有名な店舗型ヘルスが人気を博し、ソープにおいても雄琴や福原でこの手の店が増えていた。デリヘルやホテヘルではOLや秘書、女教師をコンセプトにした店がかなりの数を占めるようになった。
「客層は30代以上のサラリーマンが多いですね。OLスーツに憧れがある方が遊びに来られます。女性に着用してほしい自分好みのパンスト持参で来店される方もいます」と、当時大阪の待ち合わせ型ホテヘルの店長が言っていた。
また、「バストよりもお尻から脚のラインや長身細身の女性を好む客が多い」とは、福原のOL系ソープのスタッフの談である。OL系風俗はフェチの要素が強く、ホテヘルでもソープでも「網タイツ、ガーターベルト着用のイベント」が好評だった。
かつては、大阪におけるフーゾクの楽しみ方は「できるだけ安い値段でたくさん抜く」という風潮が大勢を占めていた。だがコスプレの流行を経て、従来の考え方が変化していく。ただ抜くのではなく、さまざまな願望を叶え、疑似体験できる場としてフーゾクを捉えるようになってきていたのだ。
無店舗型になって起きた変化
’10年代の前半には、無店舗型のイメクラは成熟期を迎えはじめていた。凝ったプレイルームを使用するのが難しくリアル感に欠ける反面、衣装やコース、オプションなどが充実しプレイ内容は豊富になり、小道具やオモチャを使ってより過激に遊べるようになっていた。
プレイが以前ではありえないほど濃厚になったのは、プレイ場所がホテルになったことが背景にあった。無届けの箱型店の時代はルームの片付けを女性自身がするのでシーツを汚しにくかったし、音が筒抜けになるために大きな声をあげて乱れることも、なかなかできなかったのだ。
無届け店の壊滅後、コスプレを取り入れた出張型イメクラや、店舗型ヘルスの中でもイメクラ色の強い店、またはオプションとしてコスプレを充実させている店が増え、コスプレ風俗は形を変えて生き残った。浄化作戦前と比べても遜色のない充実ぶりで、むしろ増えていると言ってもよかったのである。
〔参考文献〕
『俺の旅』(風俗情報誌)、ミリオン出版、2003〜2012年
『図解 日本の性風俗』中村淳彦、メディアックス、2016年
『日本の風俗嬢』中村淳彦、新潮社、2014年
この他、多数の書籍、ネット媒体などを参照しました。
取材・文・写真:生駒明
