又吉直樹さんが『徹子の部屋』に登場。家族とのエピソードを語る「作家と芸人、二つの道。憧れていた親とは違う生き方を選んで」
2026年2月24日の『徹子の部屋』に又吉直樹さんが登場。相方・綾部さんの近況や、家族とのエピソードを語ります。今回は又吉さんが40歳の節目にこれまでのあゆみと今後の夢を語った『婦人公論』2020年4月28日号の記事を再配信します。*****新型コロナウィルスの影響で公開延期されていた、映画『劇場』(主演・山崎賢人)が、7月17日に劇場公開と同時にAmazon Prime Videoにて全世界配信されることになった。邦画作品でこのような試みは初だという。本作品の原作は、又吉直樹さんのベストセラー小説。振り返れば、又吉さんが文芸誌に発表した初の中篇小説『火花』で芥川賞受賞の快挙を成し遂げたのは、35歳の時だった。お笑い芸人と作家の二足のわらじを履く理由、そして、40歳という節目を前に思うことを聞くと――(撮影=小林ばく 構成=本誌編集部)
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ピカピカしたヒーローには感情移入できなくて
大阪で生まれ育った僕は、ほかの多くの子どもがそうだったように、小さい頃から吉本新喜劇が大好きでした。小学5年生くらいの時にはダウンタウンさんに夢中になり、その頃から夢は芸人になることで、自分で考えたネタをノートに書いたりして。
一方、中学時代に読書の面白さにも目覚めました。国語の教科書に載っていた芥川龍之介の「トロッコ」を読んだ時、主人公の少年の心情がまるで自分のことのようによくわかり、とても驚いたんです。それで芥川のほかの作品も読んでみて、僕は本を読むのが好きなんだなあと気がついた。
でも、僕の家は本がたくさんあるような家ではなかったし、本好きの友達がいたわけでもない。サッカー部だったんですけど、本を読んでいるやつは珍しいくらいで。最初は教科書しか手がかりがないわけです。
自分が面白いなと思う小説の作者を国語便覧で調べてみると、どうやら、このへんに載っているいかつめの顔をした作家が僕は好きなんやとわかってきた。芥川や太宰治、尾崎紅葉、泉鏡花、森鴎外、夏目漱石、谷崎潤一郎……、面白いと思った作家の作品を次々読んでいきました。
みんなとサッカーしたり、遊んだりするのも楽しいけど、一人でいるほうが自分には合ってるのかな、という自覚はありました。小さい頃、友達とヒーローごっこする時、順番に役を取っていくじゃないですか、「俺、レッド」とか。僕は、取ったことないんです。3人いたら3番目、5人いたら5番目でした。ピカピカしたヒーローは、あまりにも自分と共通点がなくて、感情移入できなくて。水木しげる先生の『ゲゲゲの鬼太郎』とか、ちょっとダークヒーローみたいなものに憧れていました。
保育所の先生に、「いつも後ろにいたらあかん」と言われたことがあったけれど、僕自身はストレスを感じていなくて、そういう役回りだと思っていたんです。でも、「そっか、人についていっているだけ、と思われるんや」と、自分の感覚と人が感じる印象は違うこともあると気づいた瞬間でした。
無理をしておちゃらけていた時期も
自分がこういう性格になったのは、両親や家族の影響が大きいですね。家族は、自分にとって一番最初の“複数”ですから。家庭での立ち居振る舞いが、社会に出た時の立ち居振る舞いにつながっていると思います。
親に対する興味は強いほうかもしれません。父親はどういう時に機嫌が良くなったり悪くなったりするのか、母親はどういうことで笑うのか、それをずっと見ていた。一番に自分が手掛かりにした人間です。家庭以外の、初めての外の世界が保育所でしたが、先生という存在を、母親との違い、母親との距離で認識していました。母親より若いなとか、年上だな、とか。
あと、2人の姉がすごいおしゃべりで、4つ上と3つ上なんですが、幼少期のその年齢差ってかなり大きいじゃないですか。喋りたいけど、割って入ることができなくて。ずっとそうだったから、口数は多いほうではなかったです。
小学校に上がってからは、頑張っておちゃらけていた時期もありました。人見知りだけど、仲の良い友達の前では元気がいい内弁慶なところがあり、そういう相反する自分のあるべき振る舞い方を自分なりに考えていて。
2年生くらいの時ですが、風邪が流行って学級閉鎖寸前になったことがありました。僕も風邪をひいて、家では吐いたりしていたけれど、翌朝は熱が下がったので学校に行ったんです。僕は朝からはしゃいでいて、もちろん空元気なんですけど、先生が「又吉くんだけ元気やな」と言ったら、みんな笑って。
けれど、母親がその日の連絡帳に「昨日熱が出て吐いたので、もし体調が悪そうだったら声をかけてください」と書いていたんです。それを読んだ先生に、「連絡帳読んだよ。昨日吐いてたんやな、頑張ってたんやなあ」と言われて心が折れました。
「『僕は元気』ってことでやってたのに、こんなふうにバレることがあるんや、そやったらもう頑張らんとこう」と。その頃から、徐々に無理せず素で振る舞うようになっていきましたね。
書くことは「やらな、無理」
お笑い芸人を目指し、吉本興業の養成所に入学するために上京したのは、高校卒業直後の18歳の時。
当時の相方と「線香花火」というコンビを組んで活動していましたが、20歳前後は、一番本を読んでいた時期でした。
18歳の時に、初めて小説を書いてみようとしたけれど、書けなかったんです。小説を書くのって難しいんだなと思った。それで、あらためて小説の冒頭はどんなふうに書かれているのかと、太宰や芥川の作品を読み返してみたら、1行目からすごいんです。続いて、会話文はどう書かれているのか、会話文から地の文に戻る時はどうなっているのかを考えながら本を読むと、またすごく面白くなって。小説って、こんなに立体的で自由な表現なんだと感動して、これはもう、読むことに徹しようと。
それでも、書くこと自体は好きなので、吉本の雑誌で毎月400字くらいのコラムの連載をしていました。読者の人気投票で1位を10回獲ったら5000円もらえるんです。10年で30回くらい1位を獲ったので、1万5000円くらいですね。原稿料はありません。別の月刊誌でも、6〜7年連載しましたが、2500字をノーギャラでやっていました。
いや、もらえるものならもらいたいですよ。創作に対価があることはありがたいですし、そうあるべきだと思います。でも僕の場合は、どっちみちやりますね。もし芸人以外の職業だったとしても、絶対何かしら書いていたと思います。「やらな、無理」っていう体質なんでしょう。
自分が面白いことを言って、誰かが笑った時の開放感よりも気持ちいいことってあんまりなくて、お笑いをしている時の自分は外に向かって開いている感じ。一方、小説は自分のために書いている。人のためにこんな量を書くのは難しいという気がします。自分の抱えているフラストレーションを、息継ぎするみたいに書くことで出さないとしんどくて、それが表現にがっているんです。
どうしても自分のことを書いてしまう
小説として最初に発表したのは芥川賞をいただいた『火花』でしたが、実は先に書き始めたのは、2作目の『劇場』でした。『火花』は漫才師が主人公だから自分の知っていることを頼りに書けたけれど、『劇場』は演劇の世界を描くために取材する必要もあって、時間がかかりました。それに、恋愛小説なのですが、僕は恋愛が何なのか、よくわかっていなくて。わからないからこそ関心があり、書きたいと思ったんです。

『劇場』又吉直樹 新潮社
この作品が映画化され、間もなく公開されます。過去に受けたインタビューでは、「これは僕の話ではないです」と語ってきました。でも、映画を観たら、「俺の話だよね、これ」「身に覚えがありすぎる」と(笑)。一人称で書く作家の私小説を中学時代から好きで読んできたし、そこから逃れようとしても、結局自分のことを書いてしまうのでしょうか。
執筆中は、劇作家を目指す主人公の永田という男を、未熟で弱いから虚勢を張ってしまうところが可愛げのあるやつだと思いながら書いていました。恋人の沙希との関係が難しくなってきて、口論になるシーンがあって。アパートの隣の人が「うるさい」と壁を叩くんですが、永田は隣人に激怒してしまう。僕にはそういうのがよくわかります。
女性と向き合って黙っていると深刻なムードになってしまうから、何も言われないようにめちゃくちゃふざけて喋りまくるか、怒りを爆発させるか、そのどっちかに逃げてしまう……。本当に滑稽で愚かですが、僕はそういうところに人間味を感じるし、どうしようもないけど、まあ、そういうものだなと思うんです。
家族や恋人を大事にしたうえで傑作を書く作家もいるから一概には言えないけれど、周りに迷惑をかけまくった人が生み出すいびつな作品が僕は好きです。
でも、書評やSNSなどに書き込まれた感想を読むと、永田ってむちゃくちゃひどい、どうしようもない男だと書かれている。そんなどうしようもないかな? 僕は割と好きなタイプです。山崎賢人さんが演じてくれたおかげで、ただの暴力的で自己チューな男ではなく、繊細さ、可愛らしさが出ていたと思います。
他人の評価を気にしない両親は楽しそうで
3作目にして初の長篇小説となった『人間』では、自分の持っている記憶や、残しておきたいことをできるだけ書いてしまおうと考えていました。『火花』と『劇場』は、自分といかに距離を置いて書くかに注意を払いましたが、『人間』では明らかに意識して私小説を書こうと試みた。
この小説の主人公である、漫画家になる夢を見るも挫折した38歳の永山と、彼と青春時代をともにした友人・影島は、どちらも僕自身を投影して描いた人物です。彼らは、過ぎ去った時間を現在の自分の視点で振り返りながら、才能、成功、世間の評価について思考を巡らせます。
『人間』を書き上げ、僕自身は、芸人としてもっと売れたい、認められたいというような、社会の価値基準の中で上昇していかなければという観念から解放されました。まあ、認められてない人でもおもろい人はいるし、認められている人でもおもろない人もいる。お笑いも小説も好きでやっているのだから、認められなかったら絶望、ということではないと思うようになりました。
そんなふうに思えるようになったきっかけのひとつは、僕自身のルーツを振り返ってみたことでした。『人間』の終盤には、永山が自分の両親に会うために沖縄へ向かう場面が出てきますが、永山と家族とのやり取りは、ほぼ自分自身の経験です。
僕の両親は、すごく楽しそうなんですよ。子どもの頃から、僕はおとんみたいに素直になられへん、おかんみたいに人に優しくできひんと思っていました。父親は酔っ払って警察のお世話になるようなアホなところもあるけれど、それも人間らしくていいなーと思うんです。
僕はちょっと屈折しているから、それを生かしたいと思って上京して東京で芸人になって、小説を書いたりもしている。表現欲求に駆られ、書きたいから書いているんですけど、当然さまざまな批評に触れて、常に自分が審査されているという感覚があります。自分を奮い立たせて頑張っているところもある。
でも、僕が頑張って、頑張って、今の生き方を突き詰めていった先に、両親はいないんです。僕が尊敬する、他人の評価なんか気にしないありのままの両親のような存在に、僕は永遠にたどり着かない。だったら、そこまでして頑張らなくても、好きなことを好きなようにやればいいんじゃないかと、肩の力が抜けました。
ピースとしての活動は現在 「どフリー」
30代のうちにやっておきたいと思っていたことは、後悔はない程度にはやってきたと思います。もっとちゃんと歯医者に通いたかったとか、車の免許を取れるものなら取りたかったとか、そんな小さなやり残しはありますが。あと、本来だったら結婚していたはずやったのにな、とも思いますね。過去おつきあいした人はいましたが、うまくいかなくて。
ともあれ、お笑いのほうは、去年も一昨年もコントライブを開催できましたし、自分のライブも毎月継続してきました。
相方の綾部(祐二さん)がニューヨークに行っていて、ピースとしての活動は現在 “どフリー”なので、自分で何をするかを考えて行動しなくてはならないんですが、実はそれが僕は苦手で。以前は、全部綾部に決めてもらっていたんです。
小説も、あいつに「本が好きなら自分で書いたほうがいいんじゃない」と勧められ、「そのうちやるわー」と言ってから7〜8年経って始めましたし。僕の仕事もマネージャーと綾部が相談して、「あれはやったほうがいい」とか。ケツを叩かれないとダメなんで。だから、綾部が帰ってきたら考えることが少なくなるので楽かなと思ったりもするけど、何よりアメリカに行ってまでやりたいこと、好きなことがあるのはいいな、と思っているので応援したいです。
僕は仕事のペースが早いほうではないですが、自分なりにやっていきたいと思っています。40歳になる今年は、節目の年。小説では、これまでの3冊とはまったく違う、僕の人生とは隣接する部分のないような、めちゃくちゃなフィクションを書こうと決めています。
