(※写真はイメージです/PIXTA)

写真拡大

長年築いたキャリアを活かそうと、多くのシニアが再就職に挑んでいます。しかし、期待とは裏腹な「役割の壁」に直面する場面も珍しくありません。ある男性が経験した事例を見ていきます。

キャリアへの敬意か、それとも数合わせか

「説明が違うじゃないですか。ふざけるな、と思いましたよ」

佐々木一郎さん(66歳・仮名)。都内の中堅メーカーで38年間、一貫して製造現場の管理職を務めてきた人物です。現役時代の最終役職は工場次長で、100人近い作業員の工程管理と若手エンジニアの育成を一手に引き受けてきた「現場のプロ」でした。

60歳で定年を迎えた際の退職金は、住宅ローンの完済と子どもの結婚資金で大半が消えました。現在は月々約18万円の年金を受給しています。妻と二人、生活に困窮しているわけではありませんが、物価高騰が続く昨今、貯蓄を切り崩す生活には不安がつきまといます。

65歳で一度リタイアしたものの、「社会との接点を持ちたい、何より長年培った知見を現場で役立てたい」という純粋な意欲から、佐々木さんは再就職を決意しました。

都内の再就職支援セミナーを介して応募したのは、ある機械部品メーカーの短時間勤務(週3日・1日6時間)の求人でした。求人票には「経験者歓迎」「年齢不問」「時給1,800円〜」と明確に記載されていました。現役時代の月給50万円超には遠く及ばないものの、現在の年金に月12万円程度の収入が加われば、生活にゆとりが生まれる計算でした。

面接の感触は、驚くほど良好でした。担当者は佐々木さんの経歴書をなぞりながら、「これほどの工程管理の経験者が来てくれるとは心強い」「ぜひ若手の指導にも力を貸してほしい」と、即戦力としての期待を隠さなかったといいます。佐々木さんもまた、自分の価値が社会に必要とされている手応えを感じ、前向きな返事をしてその場を後にしました。

ところが、数日後の条件提示の段階で空気は一変しました。郵送されてきた雇用条件通知書を見て、佐々木さんは目を疑いました。そこに記載されていた時給は、最低賃金にわずか数十円を上乗せしただけの1,200円。勤務時間も当初の希望より削られ、月の総支給額は7万円にも満たない設定になっていたのです。慌てて採用担当者に電話をかけると、返ってきたのは事務的な言葉でした。

「面接後、現場とも精査したのですが……やはり現場は20代から30代が中心です。佐々木さんにはメインの工程ではなく、あくまで資材の整理や清掃といった補助的な業務をお願いしたい。責任の重さが変わるため、この金額になります」

事前の説明にはなかった、大幅な条件変更でした。理由は能力不足ではなく、単に「周りが若いから」という組織のパワーバランスの問題。佐々木さんはその場ですぐに怒鳴り散らしたわけではありません。しかし、受話器を置いた後、激しい拒絶反応がこみ上げてきました。

「経験を歓迎すると言いながら、結局見ているのは年齢だけじゃないか。最初から『シニア枠の雑用』と書けばいい。期待を持たせておいて、土壇場で敬意を欠く扱いをする。その不誠実さに、腹の底から怒りが湧いたんです」

佐々木さんが声を荒らげた理由は、提示された金額が低かったからだけではありません。長年築き上げてきたキャリアや専門性を無視され、「60代だからこの程度の仕事でいいだろう」と一方的に決めつけられたこと。つまり、一人のプロフェッショナルとしてではなく、単なる「安価な労働力」として値踏みされたことへの憤りだったのです。

期待と現実を隔てる「役割の壁」…どう乗り越えるか

佐々木さんの怒りは、企業側が抱く「シニア一括り」のステレオタイプに向けられたものでした。なぜ、このような認識の乖離が生まれるのでしょうか。

厚生労働省『令和6年 高年齢者雇用状況等報告』によれば、70歳までの雇用確保措置を講じている企業の割合は31.9%。実に3社に1社が70歳まで安心して働く機会を整備しており、シニアの就労機会自体は拡大傾向にあります。しかし、その実態は「同一労働同一賃金」の原則とは裏腹に、職責を大幅に下げることで賃金を抑制するケースが目立ちます。

また、リクルートワークス研究所の『シニア層の就業実態・意識調査2023』などでも指摘されている通り、多くの企業はシニアの経験を評価しています。一方で、過去の職位との整合性やスキル適応への不確実性から役割設計に慎重になり、結果として責任の限定された補助的業務に配置されやすい構造となっています。そのため、面接段階では「経験」を評価しつつも、実務の配分段階ではリスク回避を優先し、責任の伴わない「補助的業務」へと押し込めてしまうのです。

この「見えない線引き」を回避するためには、求職者側も「経験者歓迎」という言葉を鵜呑みにせず、具体的な業務範囲を早期に確認する必要があります。

●業務の定義を明確化する

「若手の指導」とは具体的にどの会議に出席し、どのような権限を持つのか。

●評価基準を確認する:

補助業務と専門業務の境界線はどこにあるのか。

企業がシニア人材を「有効な戦力」として扱うか、単なる「人手不足を埋める補助員」として扱うかは、過去の経歴ではなく「現在の現場で遂行可能なタスク」が合意できているかに依存します。佐々木さんの事例は、業務内容を曖昧にしたまま採用手続きを進めることが、結果として労働者の意欲を著しく削ぐ実態を証明しています。