『映画ドラえもん のび太の絵世界物語』©藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK 2025

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 春といえば『映画ドラえもん』の季節だ。今年も2月27日からシリーズ45作目の『映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』が公開になるが、その前週の2月21日に2025年公開の『映画ドラえもん のび太の絵世界物語』がテレビ朝日系で地上波初放送。過去と未来を繋げる「絵」の意味や、描いた人の思いが詰まった「絵」の価値を、いつもながらのドキドキさせられる大冒険の中に見せてくれる。

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 のび太の父親ののび助は絵がうまい。知っている人は知っているそんな『ドラえもん』シリーズのキャラクター設定が、本作では硬い芯となって物語に説得力を与える。

 どういうことかは展開の中で分かってくることだが、居間でごろ寝をする自分の姿を描いていたのび太に向かって、のび助が「絵で大事なのはうまく描くことじゃないんだ」と言ったことを、とりあえず記憶の隅に留めておこう。大人として子供を下に見がちな親子の会話に過ぎないと流してしまいそうになるが、そこは画家になっていたかもしれないほどの才能の持ち主による言葉。無意味なものであるはずがないからだ。

 もっとも、親の心子知らずといわれるように、のび太はのび助の言葉を特に受け止めることなく、上手に絵が描けないことにがっかりしながら自分の部屋でごろごろしていた。そこに異変。天井近くの空間に穴が開いて、そこから不思議な絵が落ちてきたのだ。

 どこから来た絵なんだろう。気になったのび太とドラえもんは、絵に描かれている女の子らしい人物に直接聞いてみようと、ひみつ道具の「はいりこみライト」を絵に当ててその中に入り込む。入れ違うように女の子は絵の外に出てしまったが、そこでしずかやスネ夫やジャイアンに囲まれ、戻ってきたのび太とドラえもんも加わって、改めて話を聞くことになった。

 女の子はクレアという名前で、故郷のアートリア公国に戻りたがっていた。スネ夫が百科事典を調べても載っていない国の名前だったが、ちょうど“見る角度によって色が変わる不思議な青い色が使われた謎の絵画”がニュースで話題になっていて、その絵に描かれていた場所こそがアートリア公国だとクレアは訴えた。

 どうやらクレアは、まだアートリア公国があった過去から、絵の中を通って現代に来てしまったらしい。それならとのび太はいつものメンバーといっしょに、絵の中を戻るようにしてクレアをアートリアまで連れていき、ついでに話題になっている不思議な青色の秘密も探ろうとする。何かを描いて残す絵が、時間を超越して過去を現代へと繋げるのだと感じ取れるシチュエーションだ。

 そして物語は大冒険へと突入する。絵の中に作られていた迷いの森を抜けてたどりついたアートリア公国で、のび太はひみつ道具の「水ビル建築機」と「水加工用ふりかけ」を使って湖畔に大きなお城を作ったり、クレアと再会できたことを喜んでいた幼なじみの少年で、父親が宮廷画家だというマイロに教わりながら絵を描いたりして時間を過ごす。

 父親と同様に絵がうまいマイロに、のび太がうまく描くコツを聞くと、「大好きなものを大好きだって思いながら描けばいいんだよ」という答えが返ってきた。それから「うまく描こうとしなくていいんだってば」とも。それは、のび助が言っていたこととまったく同じ。重ねて繰り出された絵のうまさに関する言葉に、どのような意味があるんだろうと思えてくる。

 もっとも、そこではまだ答えが出ることはない。のび太が描いたドラえもんの絵はまるで落書きのようで、うまいへた以前の問題のような気にさせられる。物語がそのあと、大変な事態になっていくこともあって、「絵」についての疑問はひとまず脇に置かれてしまう。

 クレアを送り届けた後、元の世界に戻ったのび太たちだったが、不思議な青色の秘密を手に入れられなかったことから、スネ夫とジャイアンがこっそりアートリア公国に行って命の危機にさらされる。子供が観るアニメでそこまで追い詰めていいの? なんて思いそうなスリリングな展開があり、王宮に入り込んでいた悪党が放った悪魔のような敵と戦うスペクタクルな展開があって、いったいどうなってしまうのかとドキドキさせられる。

 色を抜かれてまるで石のように固められてしまう敵の攻撃に、しずかもスネ夫もジャイアンもドラえもんすらも失って、のび太はどう立ち向かうのか? そこで、のび太と絵の関係が大きくクローズアップされ、絵とは何を描くものなのかといったのび助やマイロの言葉が浮かび上がって、のび太を大逆転へと導いていく。

 どういうことかは映画を観てのお楽しみとして、ひとつだけいえるのは、たとえ落書きのような絵でも、そこにのび太がこめた強くて深い思いが、しっかりと伝わって絵に本物と変わらない力を与えていたのかもしれないということだ。物語の中でそのことに気づかされた心でこれから絵を見る人は、どれだけ本物そっくりかではなく、どれだけパッションが感じ取れるかを気にするようになるだろう。

 物語の必然として、本作にも終わりの時が訪れる。大団円かと思いきや、いろいろと仕込まれていた伏線めいたものが立ち上がって、人によっては涙を誘われるような状況が繰り出される。それと気づいていても泣けるのだから、ようやく分かった人は驚き、場合によっては怒るかもしれない。もっとも、そこは子供が観て楽しめる『映画ドラえもん』のシリーズだ。最後まで観れば笑顔で終わりを迎えられるといっておこう。

 そして最後の最後に、のび助から改めていい絵とは「それが好きだってことがよくわかる」気持ちがこもった絵のことだと語られる。観終わって絵を描きたくなる人もいるだろう。そのときは、正確だとか綺麗だとか上手いといったことではなく、マイロが語りのび助が語ったような「好き」を込めて描いてみよう。

 そんな気持ちにいつか答えてくれるかもしれないから。危機に陥ったのび太を救ったような奇跡が起こるかもしれないから。(文=タニグチリウイチ)