<ひふみん>の愛称で親しまれた将棋棋士の加藤一二三さんが86歳で死去。 「藤井聡太でないと指せない一手」強さの秘密とは
「ひふみん」の愛称で親しまれた将棋の加藤一二三・九段が2026年1月22日、死去しました。86歳でした。昨今の将棋ブームを作った一人である加藤さんが、藤井聡太竜王の強さを語った、『婦人公論』2020年8月25日号のインタビュー記事を再配信します。******藤井聡太七段が17歳11ヵ月で棋聖戦に勝利。史上最年少で初タイトル獲得を果たしました。また、本日8月20日王位戦も制し、史上最年少で「二冠」「八段」に。次々と強敵を倒し、将棋界の記録を塗り替えていく藤井二冠の強さの秘密を、デビュー戦から見守り続ける加藤一二三九段が本誌に語ってくれました(構成=樋田敦子)
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藤井聡太でないと指せない一手
正直に言って、藤井さんはタイトル戦に挑戦することはできても、獲得するまでには、もう少し時間がかかるだろうと思っていました。
ところが、彼は欠点の何ひとつない、素晴らしい将棋を指して、渡辺明・前棋聖からタイトルを奪取しました。見事としかいいようがありません。
防衛戦に臨んだ渡辺さんは投了後に「競った将棋で負けたので、仕方ない結果」という言葉を漏らしました。渡辺さんは5番勝負のうち1勝2敗、次に負けたらタイトルを奪われるという状況で迎えた第4局で、「急戦矢倉」という戦法を用いて一発勝負の戦いを挑みました。
実は渡辺さんは第2局で同じ戦法を使って負けたのですが、これに納得がいかなかったのでしょう。同じ戦法の改良版を第4局ではぶつけましたが、藤井さんはこの戦法をよく研究して対策を立てていた。冷静に、隙なく対応し、それが勝利につながりました。
実は、タイトル戦は挑戦する側にかなりのメリットがあります。すでに頂点にいる棋聖の渡辺さんの戦法を、挑戦者は十分に研究する時間があるからです。一方、トーナメントを勝ち抜いてきた挑戦者が決まるのは、早くて3週間から1ヵ月前。防衛側にとっては、十分に相手を研究する間もなく戦いが始まってしまう。
さらに、藤井さんはまだ若く、これからもタイトルを獲得するチャンスはたくさんある。そこに、気軽に戦える強みがあったのではないでしょうか。一方の渡辺さんは、タイトルを守らなければいけないという、精神的な負担ものしかかったはず。
私も現役時代、挑戦者のときは強いと言われましたが、防衛戦ではよく負けました。心理的なプレッシャーを感じていたのです。
また、棋聖戦の持ち時間は4時間で、竜王戦などほかのタイトル戦に比べて短い時間で勝負しなければいけません。渡辺さんは2日制の長い持ち時間の対局は非常に強いのですが、どちらかというと早指しは苦手。このように渡辺さんにとって不利な点はあったものの、それ以上に藤井さんの捉えどころのない戦いぶりは渡辺さんを大いに手こずらせた。
第2局、藤井さんはAIが6億手先まで読んでようやく最善とする妙手を指して話題になりました。このように、「これは藤井聡太でないと指せない」と思わせる素晴らしい一手を指せる棋士はなかなかいない。それをできる藤井さんは「天才」としか表現できません。

7月16日、大阪市の関西将棋会館にて。棋聖戦を制し笑顔を見せた(写真提供:読売新聞社)
勝負は常に負けた地点から
2016年12月、藤井さんが中学生棋士としてデビューした最初の対局の相手は私でした。会場の東京・千駄ヶ谷の将棋会館は、単なる予選なのに報道陣でいっぱいだった。38年前、私が名人になったとき取材に来ていたのは、NHKのニュース班だけだったのに(笑)。藤井さんとのこの対局は、62歳6ヵ月という年齢差も大きな話題になりましたね。
お互いに早く到着してしまい、対局の20分前から、報道陣がいるなかで藤井さんと2人、向かい合いました。なんだか気まずい雰囲気でしたが、彼は眉一つ動かさず、微動だにしなかった。これはすでにプロだなと思い、感動しました。
また対局中、私はおやつにチーズを食べたのですが、藤井さんは私がおやつを口にした5分後にチョコレートを食べました。対局中の規則は特に何もないのですが、先輩に対する心遣いもきちんとできる。ところが戦い終わった会見で、彼はこう言ったんです。
「加藤先生が対局中にチーズを食べる姿を見て、その仕草がかわいらしかった」
これにはびっくりしましたね。先輩のことをかわいらしいなんて言う棋士は、これまでいませんでしたから……。(笑)
対局の結果は藤井さんの勝利。実際に戦ってみて、彼がかなり将棋の勉強をしているということを感じました。そこで、私は藤井さんについて、「今は天才に近い秀才。20歳で八段になっていれば、天才と呼びたいが、どこかで伸び悩んで六段あたりにいれば普通の人」と話しました。
秀才というのは学校の勉強と同じで、コツコツ勉強をして成績が上がる人のことです。問題はそこから「天才」になれるかどうか。天才棋士とは、タイトルを勝ち取るなど常に第一線で活躍し、ほかの棋士では思いつかない素晴らしい手を指し、将棋の歴史に名を残す存在のこと。
しかし私の心配をよそに、藤井さんは私との対戦後、公式戦で29連勝という偉業を達成。これは本当にすごい記録です。前人未到のこの記録を作り上げたことが、彼をさらにひとつ上の段階へステップアップさせたのではと、私は思っています。
連勝記録が途切れたとき、私はツイッターで藤井さんに、こうメッセージを送りました。
「人生も将棋も、勝負は常に負けた地点から始まる」
その後、藤井さんは15歳9ヵ月のとき、最年少で七段に昇段。そして、ついに最年少タイトルホルダーになりました。
藤井棋聖が達成した主な記録
2015年10月(13歳2ヵ月) 最年少で奨励会三段に昇段
2016年10月(14歳2ヵ月) 最年少で四段に昇段、プロ入り
2017年6月 最多連勝記録更新(29連勝)
2018年2月(15歳6ヵ月) 中学生初の五段昇段
同 最年少で公式棋戦(朝日杯将棋オープン戦)優勝・六段昇段
2018年5月(15歳9ヵ月) 最年少で七段昇段
2018年10月(16歳2ヵ月) 最年少で新人王獲得
2018年12月(16歳4ヵ月) 最年少、最速、最高勝率で公式戦通算100勝
2020年6月(17歳10ヵ月) 最年少でタイトル挑戦者に決定
2020年7月(17歳11ヵ月) 最年少でタイトル獲得
2020年8月(18歳1ヵ月) 王位戦に勝利。二冠達成
名人への道のりは
棋士にとって、タイトル戦に出るか、出ないか。そしてタイトルを獲るか、獲らないかでは大きな違いがあります。新棋聖となってすぐの会見で藤井さんは「タイトルホルダーとしての立ち居振る舞いを学ばなくては」と言っていました。タイトルを獲ることは、まさにステータス。ライバルから尊敬し、見上げてもらえる存在になるからです。
さらに、タイトルホルダーになれば、棋士としての待遇も変わります。今回の勝利で、藤井さんは多額の賞金(額は非公開)を獲得しますし、一般の棋士よりも格上になりますから、対局中は上座に座ることになります。電車での移動もグリーン車になるんですよ。
また、藤井さんは棋聖戦を戦いながら、並行して王位戦という別のタイトル戦も戦っていました。王位戦は棋聖戦よりも持ち時間が長く、2日制で行われるため、棋聖戦とはまた違う戦略や集中力、体力が必要となる。難関といえるでしょう。とはいえ、もし2冠を達成すれば、私の最年少八段昇段記録(18歳3ヵ月)を抜いて、18歳0ヵ月にして八段昇段の条件を満たすことになります。
現役最強と言われる渡辺さん、そして99回もタイトルを獲得し永世七冠を達成した羽生善治さん。藤井さんはこの二人に何度も勝利しています。ということは、ほぼ敵なしの状態です。このままいけば順位戦(棋士の順位序列を決める棋戦。上からA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組の5つに分かれる。毎年度各クラスでリーグ戦を行い、成績上位者は昇級、成績の振るわなかった者は降級する。藤井棋聖は現在B級2組)で、早々にA級に昇級するでしょう。
約160人いるプロ棋士のうち、A級の棋士は10人程度。A級の中で勝ち抜き成績が1位になれば、名人への挑戦権を手にできる。名人への距離もぐっと縮まります。
悔しい気持ちが人を大きくする
以前インタビューで藤井さんは「一日も早く名人戦に出て、名人になりたい」と言っていました。プロ棋士たちは、もちろんみんな名人戦に出たい、名人になりたいと思っている。名人になれるなら、3年先でも何年先でもいいはずなのに、彼はそういうことを言うのです。私が名人になったのは42歳。なんでそんなに急ぐのかと疑問に感じますが、藤井さんは感覚が独特なんです。
確か、羽生善治さんとの初対局の前に藤井さんは「楽しんで指したい」と発言していました。最高実力者の羽生さんと戦うなんて、緊張しているはずなのに……。私も若いときから、すごい先輩方と戦ってきましたが、楽しむという感覚はなかった。こういうところにも彼独特の感性を見て取れる気がします。
それから、これは藤井さんの強さの秘密でもあると思うのですが、彼は棋士の中でも一、二を争う負けず嫌い。子どもの頃は対局で負けると盤にかじりついて大泣きしていたというのは有名な話です。私はそのシーンをテレビで見て、人前でよくあんなに泣けるなと思ったものですが、あれもまた藤井さんの持ち味です。負けて悔しいという気持ちが人を大きくするのだと思います。
藤井さんは今、高校3年生ですが、どうやら進学はしないようで、将棋に専念すると聞いています。それならば、将棋がメキメキ成長する25歳くらいまでは、将棋一本で思いきり突っ走ってほしい。
藤井さんが棋聖戦で見せた、「角換わり腰掛け銀」と「矢倉」という戦法をもっと研究して進んでいったら、まだまだ強くなれる。超一流の棋士になれると思います。
今、将棋界は本当に下克上です。よく「加藤先生、私は命がけで研究しています」という声を聞きます。みんな必死ですよ。特に棋聖になった藤井さんの戦法を、今後挑戦者となる棋士たちは一生懸命勉強するでしょう。来年は、藤井さんがタイトルを防衛する側になるのですから。藤井聡太はこの戦法が苦手だな、などと対策を講じられたときにどう対応するか。これからが大変です。
スランプはチャンス
私は現役生活62年10ヵ月。19、20、21世紀生まれの棋士と対局した記録を持っていますが、長く指していると、いろいろなことがありました。何十連敗したことも、1年間1勝もできなかったことも。
でも、私の人生論からいうと、スランプはチャンスです。スランプのときは、みな落ち込むけれど、その必要はない。そんなときは一度立ち止まって、自分の人生でいちばん何が必要か、ゆっくり考えてみればいいのです。

加藤一二三さんが藤井二冠について語った『天才の考え方 藤井聡太とは何者か?』加藤一二三/渡辺明 著
私は30歳のときに、行き詰まって、キリスト教の洗礼を受けました。祈りをささげて信じた結果、対局に勝ったこともあります。たまたま私が行きついた先は宗教でしたが、その行き詰まりを突破できるものがあるとしたら、それは心がけなんです。心を強く持つことが、とても大切だと思います。
藤井さんが、私の18歳3ヵ月の八段昇段記録を破ったら悔しくありませんか、とよく聞かれます。でも私にはほかにもたくさんの記録がある。現役最長記録や、順位戦でA級から5回落ち、5回昇級した記録とか……。私は現役時代、精一杯やりきった。だから悔いなんてありません。
タイトルホルダーとなった藤井さんに何かアドバイスをするならば……、「行き詰まったら、加藤一二三のことを思い出しなさい」ということかな(笑)。私の前向きな考え方は、少しは役に立つかもしれません。
藤井さんはこのコロナの時代に、「よい将棋を指すのが自分の使命だ」と言いました。彼の指す将棋、彼のタイトル奪取は、皆さんに明るいニュースになって届いていると思います。大舞台で活躍し、将棋界を背負っていける、若い力の誕生はうれしいです。精進してこの勢いで進んでほしいですね。
そして、ぜひ名人戦に出てほしい。その日が来るのを期待して見守っていきます。
