柊さん(仮名)

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―[貧困東大生・布施川天馬]―

 2025年5月7日、東京メトロ東大前駅で切りつけ事件が発生しました。男の動機は「教育虐待の被害を受けた子どもの末路を、『教育熱心』な親たちに示したかったから」。東大前を選んだのも、「東大」の名を冠した駅であれば、教育虐待への注目度がより高まると考えてのことだったそう。
 ですが、同じく親から「厳しく管理されながら育った」という現役東大生の柊さん(仮名)は、「東大前で起きた切りつけ事件の犯人の訴えは、きっと教育虐待をしている親には届かない」と語ります。

 なぜ彼女は犯人の訴えが空を切ると断言できたのでしょうか。現在は親と決別する道を選んだかつての被害者に、「教育虐待」の真の問題点を尋ねます。

◆「管理」してきた親への叛意

ーー柊さんは「厳しくしつけられて育った」と伺っていますが、どのような「しつけ」があったのでしょうか?

柊さん:私は、シングルマザーの母と兄と、3人暮らしの家庭に生まれました。母は私のすべての行動を管理していて、友達と遊ぶには「今日は○○ちゃんの家に遊びに誘われているから行っていいですか」と尋ねなくてはいけなかった。もちろん、ほとんど許可はおりません。

 勉強以外の娯楽も基本的には禁止で、漫画やゲームはもちろん、小説なども買ってもらえませんでした。スマホは持たされていましたが、連絡手段としてのみ使用が許可されていて、常に使用状況が監視されていました。

 学校の調べ学習で起動すると「今は授業中でしょ?どうしていま起動しているの?」とすぐにメッセージが飛んできたことも。

 当然将来の夢なども一切持たされず、「母の言う通り、私は東大を受験して、卒業後は地元に戻ってきて地方公務員として暮らすのだ」と信じていました。

◆親は「教育虐待」とは思っていない

ーーいまは家出をして、お母さまとは「決別」されたそうですが、柊さんはご自身の経験が「教育虐待」に当てはまると考えていますか?

柊さん:「教育虐待」って、割とあいまいで、難しい言葉なんですよね。虐待には「身体的虐待」「精神的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」の4種類があって、多分「身体的」「精神的」の虐待が、教育の名のもとに正当化される状況を「教育虐待」と呼ぶのでしょう。

 そう考えると、私は生活や進路を強制される「精神的虐待」を受けていました。

 ただ、無理やり机に縛り付けるだけが「教育虐待」じゃないんですね。親はあくまで「あなたのために勉強させてあげている」という立場なんです。私は学校の成績が良かったから、東大を「受験させてもらっていた」。親目線では「虐待」ではないんです。

ーーでは、今回の事件の犯人の言い分について、どうお考えですか?

柊さん:正直、彼の訴えでは何も変わらないと思います。犯人の主張は「教育虐待をすると、子どもがグレて犯罪者になる」でした。

 ただ、先ほども述べた通り、親は「いいことをしている」と思い込んでいるんです。自分の「教育」の結果が、悲惨な末路を辿るとは夢にも思っていない。

 あの警告が届くような人は、もともとそれが異常なことだとわかっていますから、子どもに「熱心な教育」なんてしません。ですが、子どものほうは確実に親への敵意を蓄積していくでしょう。その噴出先として、今回は切りつけ事件が起きてしまった。

◆柊さんを踏みとどまらせた“ブレーキ”

ーー教育虐待の被害者全てが犯罪者になるわけではないと思いますが、何が分岐点となるのでしょうか?

柊さん:親に対して復讐する事件はちょくちょくありますよね。私自身、親から行き過ぎた「教育」を受けてきて、親に対して害意を抱いたこともありました。