仲野太賀、山田孝之は俳優の“トップランナー” 現場での気遣いに「本当に頭が上がりません」
同じ事務所の先輩・後輩であり、2024年も破竹の勢いで活躍する山田孝之と仲野太賀が、時代劇で共演を果たした。「仁義なき戦い」シリーズの脚本家・笠原和夫が残したプロットを白石和彌監督が映画化した『十一人の賊軍』だ。妻を辱められた復讐(ふくしゅう)から武士を殺害した政(山田)と、剣術道場の道場主・鷲尾兵士郎(仲野)。さる砦(とりで)を守る決死隊として駆り出された両者、さらに様々な理由から罪人に身をやつした者たちの壮絶な死闘が描かれる。画面越しに伝わってくる過酷な撮影現場の舞台裏や初対面時のエピソードなど、2人の濃密な対談をお届けする。
【写真】力強い眼差しに痺れる! 山田孝之と仲野太賀の撮り下ろしカット
■『ウォーターボーイズ』に影響を受けた小学生時代
――仲野さんは小学生の頃から山田さんに憧れていたと伺いました。初共演はいつだったのでしょう。
仲野:最初は『MONSTERZ モンスターズ』でした。その後は『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』やプレイステーションのCMです。
山田:そして『50回目のファーストキス』でハワイで一緒に共演しました。
仲野:初対面は恐らく都内のスタジオかどこかの現場だったと思いますが、僕がテンパってしまって全然覚えていません。ただ、最初にご飯に連れて行ってもらった時の記憶は鮮明にあります。おいしいスペイン料理屋さんに行った後、バーに連れていってくださいました。
――山田さんは仲野さんのこれまでをご覧になって、先輩としてどのように感じていますか?
山田:ちゃんと真っすぐ役と向き合って、ものすごく強いパワーでドン!と出してくる感じがあります。ちょうど昨日、助監督のときから何度もご一緒している監督とお話ししているときに「『十一人の賊軍』を見たよ、すごかった」と声をかけていただきました。「太賀がやっぱりいいですよね」と僕が言ったら「いや、仲野くんがいいのはもう分かっているから」とおっしゃっていて。
仲野:えー! すごく嬉しいです。僕は小学生のときに山田さんの『ウォーターボーイズ』に影響を受けて、市民プールで1人スカーリングの練習をしていたんです。そのときの自分に、今の言葉を伝えてあげたい…。
■衣装は“マット&ふんどし一丁”
山田:こうやって話をすればするほど、いかに僕がしぶとく続けているかを痛感しますね。
仲野:しぶとくも何も、ずっとトップランナーですよ!
山田:いやいや、太賀は最初から最後まで本当によかったです。ただ、現場では「ここまでこいつふざけてるんだ」とは思いました。本番の直前まで、本当にふざけっぱなしでしたから。僕も結構フラフラしていましたが、それを上回る感じなのに本番があのクオリティーだったのですごいな…と感じました。
ただ、今回の現場はある意味そうするしかないところもありました。撮影のセッティング時、スタンバイしている間や自分の出番がないときにバカ話をし過ぎて盛り上がり、録音部さんに怒られもしましたが、なぜそうなってしまったかを考えると、やっぱり撮影環境がどうにも過酷だったからだと思います。極度のストレスにさらされていて、気を紛らわせないと狂うような状況でしたから。
例えば僕の衣装なんて、マットを切ったものを羽織っていて、下はふんどし一丁です。撮影が始まったのは去年の8月だったのでかなり暑かったけれど、最終的には相当寒くなりました。アクションシーンでは膝や肘の擦り傷、切り傷は当たり前でしたし、石油を浴びるシーンなどは絵の具と墨汁を混ぜたものの臭いがきつく、まさに“罪人”として扱われているような環境でした。
仲野:雨降らしのシーンも大変でしたよね。大きな機械で風を吹かせて何日もかけて暴風雨のシーンを撮りましたが、ずっと水浸しで過酷に過酷を極めていました。長いシーンでしたし、それぐらいやらないと撮るものも撮れないと思いつつ、やっているときはとにかくきつかったです。
だからこそ完成した作品を見てホッとしました。スタッフもキャストも本当に苦労して作り上げた作品が無事完成した喜びがまずあったのと、時間が経つのを忘れてしまうくらい勢いと熱量があって、アクションエンターテインメントとして見応えのあるものになっていたことが嬉しかったです。僕はこういった作品に初めて出演しましたが、これは楽しんでいただけるのではないかと思いました。
■名俳優たちがほれこむ“山田孝之のすごみ”とは
――仲野さんにとって、今回の山田さんとの共演はいかがでしたか?
仲野:孝之さんは何度ご一緒しても、本当にほれぼれさせられます。今回の政を演じるうえでのストイックさもそうですし、「用意、スタート」となってからのギアの上がり方には圧倒されっぱなしでした。孝之さんが遠くで芝居をしていて、孝之さんの叫び声を聞きながら野村周平と「何なんだろうね、あの人のすごさは」としみじみ語り合っていたくらいです。演じるというよりも“生きる”を全うしている姿が圧巻でしたし、最初から最後まで勉強になることばかりでした。
また、これはぜひお伝えしたいことなのですが、過酷な撮影のなか当初は“通い”だったんです。そこを孝之さんが俳優部に配慮して合宿所を借りてくださって、僕たち賊チームはそこで寝泊まりしながら現場に通うことができました。そうした環境を整えていただいたことがとてもありがたく、孝之さんには本当に頭が上がりません。精神的にも肉体的にもフォローしていただいて、現場の空気を完璧に作ってくださったのは孝之さんのおかげです。本当に感謝しています。
――山田さんは『デイアンドナイト』をはじめプロデュースワークも経験されていますが、だからこそ、合宿所の手配にすぐ動けたのでしょうか。
山田:最初はそこまで考えていませんでしたが、ロケ地が千葉の南側だったので撮影の行き帰りにアクアラインを通るわけです。しかも基本朝か夕方に通るから、大渋滞してしまうんです。合宿所があるかないかで1日の睡眠時間が2〜3時間変わるのなら絶対にあった方がいいし、やっぱり危ないですよね。朝まで撮影して自車自走で帰る方もいますから。我々賊軍はずっと一緒にいる設定なので、同じ飯を食って同じ空間で寝ることで魂レベルで深くつながっていけると考えました。
東京やその近郊で撮影すると毎日自宅に帰ることになりますが、やはり地方でホテルに泊まり込みの状況とはリセットの具合が全く違います。場合によっては多少大変でも毎日自宅に帰る方がいいかもしれませんが、今回は毎回リセットしない方がうまく作用する感覚もあり、「とりあえず借りておきます。泊まりたい人は泊まってください。他のお仕事もあるでしょうから各自の判断にお任せします」といった感じでした。
通常だったら都内から1時間で行ける距離ですから、通いという方法を取ったのもわかります。賊軍だけでなく官軍も含めて3〜4ヵ月ホテルを抑えたら、大体予算がいくらぐらいに膨れ上がるか想像がつきますから。そんななか今回は地元の方々にもたくさん協力していただきました。観光地でもあるので、ずっと同じ場所は抑えられませんでしたが、民泊を行っている方々が連携してくださって「ここからここの期間はこの施設で、ここから先はこっちで」と調整してくれたり車を貸してくださったりと皆さんに随分助けていただきました。
仲野:地元の人との連絡や根回しも全部孝之さんが取ってくださって、「ここまでやってくれるのか」と感銘を受けました。地元の方々にご飯やお酒をいただくこともありましたし、本当にいろいろと気遣ってくれました。
(取材・文:SYO 写真:上野留加)
映画『十一人の賊軍』は全国公開中。
■『ウォーターボーイズ』に影響を受けた小学生時代
――仲野さんは小学生の頃から山田さんに憧れていたと伺いました。初共演はいつだったのでしょう。
仲野:最初は『MONSTERZ モンスターズ』でした。その後は『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』やプレイステーションのCMです。
山田:そして『50回目のファーストキス』でハワイで一緒に共演しました。
仲野:初対面は恐らく都内のスタジオかどこかの現場だったと思いますが、僕がテンパってしまって全然覚えていません。ただ、最初にご飯に連れて行ってもらった時の記憶は鮮明にあります。おいしいスペイン料理屋さんに行った後、バーに連れていってくださいました。
――山田さんは仲野さんのこれまでをご覧になって、先輩としてどのように感じていますか?
山田:ちゃんと真っすぐ役と向き合って、ものすごく強いパワーでドン!と出してくる感じがあります。ちょうど昨日、助監督のときから何度もご一緒している監督とお話ししているときに「『十一人の賊軍』を見たよ、すごかった」と声をかけていただきました。「太賀がやっぱりいいですよね」と僕が言ったら「いや、仲野くんがいいのはもう分かっているから」とおっしゃっていて。
仲野:えー! すごく嬉しいです。僕は小学生のときに山田さんの『ウォーターボーイズ』に影響を受けて、市民プールで1人スカーリングの練習をしていたんです。そのときの自分に、今の言葉を伝えてあげたい…。
■衣装は“マット&ふんどし一丁”
山田:こうやって話をすればするほど、いかに僕がしぶとく続けているかを痛感しますね。
仲野:しぶとくも何も、ずっとトップランナーですよ!
山田:いやいや、太賀は最初から最後まで本当によかったです。ただ、現場では「ここまでこいつふざけてるんだ」とは思いました。本番の直前まで、本当にふざけっぱなしでしたから。僕も結構フラフラしていましたが、それを上回る感じなのに本番があのクオリティーだったのですごいな…と感じました。
ただ、今回の現場はある意味そうするしかないところもありました。撮影のセッティング時、スタンバイしている間や自分の出番がないときにバカ話をし過ぎて盛り上がり、録音部さんに怒られもしましたが、なぜそうなってしまったかを考えると、やっぱり撮影環境がどうにも過酷だったからだと思います。極度のストレスにさらされていて、気を紛らわせないと狂うような状況でしたから。
例えば僕の衣装なんて、マットを切ったものを羽織っていて、下はふんどし一丁です。撮影が始まったのは去年の8月だったのでかなり暑かったけれど、最終的には相当寒くなりました。アクションシーンでは膝や肘の擦り傷、切り傷は当たり前でしたし、石油を浴びるシーンなどは絵の具と墨汁を混ぜたものの臭いがきつく、まさに“罪人”として扱われているような環境でした。
仲野:雨降らしのシーンも大変でしたよね。大きな機械で風を吹かせて何日もかけて暴風雨のシーンを撮りましたが、ずっと水浸しで過酷に過酷を極めていました。長いシーンでしたし、それぐらいやらないと撮るものも撮れないと思いつつ、やっているときはとにかくきつかったです。
だからこそ完成した作品を見てホッとしました。スタッフもキャストも本当に苦労して作り上げた作品が無事完成した喜びがまずあったのと、時間が経つのを忘れてしまうくらい勢いと熱量があって、アクションエンターテインメントとして見応えのあるものになっていたことが嬉しかったです。僕はこういった作品に初めて出演しましたが、これは楽しんでいただけるのではないかと思いました。
■名俳優たちがほれこむ“山田孝之のすごみ”とは
――仲野さんにとって、今回の山田さんとの共演はいかがでしたか?
仲野:孝之さんは何度ご一緒しても、本当にほれぼれさせられます。今回の政を演じるうえでのストイックさもそうですし、「用意、スタート」となってからのギアの上がり方には圧倒されっぱなしでした。孝之さんが遠くで芝居をしていて、孝之さんの叫び声を聞きながら野村周平と「何なんだろうね、あの人のすごさは」としみじみ語り合っていたくらいです。演じるというよりも“生きる”を全うしている姿が圧巻でしたし、最初から最後まで勉強になることばかりでした。
また、これはぜひお伝えしたいことなのですが、過酷な撮影のなか当初は“通い”だったんです。そこを孝之さんが俳優部に配慮して合宿所を借りてくださって、僕たち賊チームはそこで寝泊まりしながら現場に通うことができました。そうした環境を整えていただいたことがとてもありがたく、孝之さんには本当に頭が上がりません。精神的にも肉体的にもフォローしていただいて、現場の空気を完璧に作ってくださったのは孝之さんのおかげです。本当に感謝しています。
――山田さんは『デイアンドナイト』をはじめプロデュースワークも経験されていますが、だからこそ、合宿所の手配にすぐ動けたのでしょうか。
山田:最初はそこまで考えていませんでしたが、ロケ地が千葉の南側だったので撮影の行き帰りにアクアラインを通るわけです。しかも基本朝か夕方に通るから、大渋滞してしまうんです。合宿所があるかないかで1日の睡眠時間が2〜3時間変わるのなら絶対にあった方がいいし、やっぱり危ないですよね。朝まで撮影して自車自走で帰る方もいますから。我々賊軍はずっと一緒にいる設定なので、同じ飯を食って同じ空間で寝ることで魂レベルで深くつながっていけると考えました。
東京やその近郊で撮影すると毎日自宅に帰ることになりますが、やはり地方でホテルに泊まり込みの状況とはリセットの具合が全く違います。場合によっては多少大変でも毎日自宅に帰る方がいいかもしれませんが、今回は毎回リセットしない方がうまく作用する感覚もあり、「とりあえず借りておきます。泊まりたい人は泊まってください。他のお仕事もあるでしょうから各自の判断にお任せします」といった感じでした。
通常だったら都内から1時間で行ける距離ですから、通いという方法を取ったのもわかります。賊軍だけでなく官軍も含めて3〜4ヵ月ホテルを抑えたら、大体予算がいくらぐらいに膨れ上がるか想像がつきますから。そんななか今回は地元の方々にもたくさん協力していただきました。観光地でもあるので、ずっと同じ場所は抑えられませんでしたが、民泊を行っている方々が連携してくださって「ここからここの期間はこの施設で、ここから先はこっちで」と調整してくれたり車を貸してくださったりと皆さんに随分助けていただきました。
仲野:地元の人との連絡や根回しも全部孝之さんが取ってくださって、「ここまでやってくれるのか」と感銘を受けました。地元の方々にご飯やお酒をいただくこともありましたし、本当にいろいろと気遣ってくれました。
(取材・文:SYO 写真:上野留加)
映画『十一人の賊軍』は全国公開中。