暴力・歴史・苦痛をひもとくノーベル賞作家の視点
1994年1月、ソウル新聞新春文芸賞の授賞式。右端・後段の女性が当時のハン・ガン氏(写真・ソウル新聞)
「ドンシクは、道路の向こう側の建物の間に燃え尽きていく夕暮れを見ていた」
1994年ソウル新聞新春文芸当選作「赤い錨」の最初の一文だ。これが、10日(現地時間)、韓国人として初めてノーベル文学賞を受賞した小説家ハン・ガン(53)の始まりを告げる合図であった。
掲載当時、「ハン・ガンヒョン」というペンネームを使っていたハン・ガンは、強烈なインパクトを持つ作品『赤い錨』の世界を通じて歴代の韓国文学の先輩小説家たちの作品とはまったく異なる新しい美学の境地を開いた。
「作家としての始まりから人並み外れていた」
当時の主流だった民衆文学とリアリズムという傾向と決別し、個人のおぞましい記憶とそれが照らし出す人間的実存のおぞましい苦痛を熾烈に探究した。「始まりから人並み外れていた」ハン・ガンの文学は、結果としてちょうど30年目に世界を魅了することとなった。
ハン・ガンの初小説集は1995年に出版された『麗水(ヨス)の愛』だ。「文学と知性社」という出版社から出版されたもので、『赤い錨』もここに収録された。『赤い錨』では、酒に頼って生きた末に死んだ父親の幻影を見るようになる主人公「ドンシク」と、その家族の物寂しい日常を描く。
表題作『麗水の愛』は、幼い頃に父親が妹とともに心中した事件をきっかけに潔癖症に苦しむ女性「ジャフン」を描き、苦しい記憶の生まれた地である韓国南部・麗水へと向かう物語だ。
以後、1999年の韓国小説文学賞受賞作である中編『子ども仏』まで、初期のハン・ガンは人間の内面とそれを構成している記憶、トラウマといったものに踏み込んだ。
強迫と不安を抱える今の「私」はどのように構成された存在なのか。登壇したばかりのハン・ガンが絶えず問いかけ続けた質問だ。
「わたしの手に血が付いていた。私の口にも。あの納屋で、わたしは落ちていた肉の塊を拾って食べたのよ。わたしの歯ぐきと上あごにくにゃっとやわらかい生肉をこすって赤い血を塗ったから。納屋の床、血だまりに映ったわたしの目が光っていたわ」(『菜食主義者』きむ・ふな訳、CUON、21〜22ページ)
ハン・ガンを世界的作家の地位に押し上げた小説『菜食主義者』(2007年)の一節だ。主人公「ヨンヘ」は家父長的暴力と抑圧から抜け出し、植物への変身を熱望する人物だ。
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1994年、ソウル新聞に掲載されたハン・ガンの作品『赤い錨』。当時は「ハン・ガンヒョン」というペンネームを使っていた(写真・ソウル新聞)
前述の一文はヨンヘが見た夢を描写したものだ。ハン・ガンは小説で活字のイタリック体を多く使用するのだが、これが本格的に活用され始めたのも「菜食主義者」からだ。人間の苦痛と病とは、結局、何かしらの暴力の結果であろう。ハン・ガンはそんな暴力のイメージを詩的な文章で巧みに描き出した。ならば、暴力はいかに再現されるのか。ハン・ガンは内面で歴史に目を向ける。
「あなたが死んだ後、葬式ができず、/あなたを見た私の目が私怨になりました。/あなたの声を聞いた私の耳が私怨になりました。/あなたの息を吸い込んだ肺が私怨になりました」
暴力の中での果てしない愛を描く
今回、スウェーデン・アカデミーの審査評でも重要な要素として言及された作品『少年が来る』(2014年)の一場面だ。
1980年の光州民主化運動(光州事件)の問題を正面から扱ったこの小説は、『菜食主義者』とともにハン・ガンを代表する作品でもある。
イタリアの権威ある文学賞「マラパルテ賞」、スペインのサンクレメンテ文学賞を受賞し、アイルランドのダブリン文学賞、ドイツのリベラトゥール賞の候補に上がるなど、ハン・ガンの小説の中で国際的に最もよく知られた作品でもある。一部ではハン・ガンの「真の代表作」とも評価される小説だ。
「凝り固まった愛が皮膚を焼いて染み込んだのを覚えている。骨髄に刺さって心臓が縮むような……。その時わかった。愛がどれほど恐ろしい苦痛なのか」
『別れを告げない』(2021年)の一説である。もう一つの韓国現代史の悲劇である1948年の済州島4・3事件で再び歴史問題を喚起したハン・ガンは、おぞましい暴力の中でも果てしない愛の物語を描き出した。
英語圏で絶賛された『菜食主義者』以降、『少年が来る』や『別れを告げない』などの作品がフランス、イタリアなどで高評価を受け、ノーベル文学賞へと導く決定的な役割を果たしたというのが、出版界関係者たちの説明だ。
ハン・ガンは、ノーベル文学賞受賞直後に記者会見を拒否した。一方で、2023年にはこの作品でフランスのメディチ賞を受けた際の記者懇談会では、ハン・ガンは「作品を書きながらとても寒かった。これからは冬から春へと向かいたい」という冗談を言う一幕もあった。
「これからは生命について書く」
ハン・ガンは「これからは生命についての話を書いてみようと思う」とも発言し、「もちろん書けるように書くが」とのヒントを残した。個人の苦痛における生命と治癒の物語。50代半ばならば、まだ作家としては全盛期でもある。ノーベル文学賞はハン・ガンの描き出す文学世界の「完成」ではなく「過程」のうちの1つだ。
文学評論家であり、韓国・西江大学国語国文学科のウ・チャンジェ教授は「ハン・ガンは霊媒として、生きている者と死んだ者、人間と動物、人間と植物の間で、途絶えてしまった魂の道を繋ぐ感受性を見せてくれる作家だ」と評価する。
そして「韓国の現代史を力強い視点で眺望した先輩作家たちの作品を土台に、ハン・ガンは同じ歴史を扱いながらも人間の内面の苦痛とトラウマをさらに深く紐解き、それを神話的な想像力で再現した独特な美学で繰り広げることができたようだ」と述べた。
(ソウル新聞)