臼田容疑者の父・篤伸氏

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ガソリンの入ったポリタンク16個が

 自民党本部と首相官邸に“テロ”を仕掛けようとして逮捕された男・臼田敦伸(49)を凶行に駆り立てたものは何か。犯行に至るまでの数奇な「思想遍歴」と、その後の人生に影を落とした「最後の恋人」の存在を実父が語った。

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「息子は確信犯だから、黙秘するのは分かりきっていたこと。私が保釈金を払うことはありません。今回は実刑を免れないでしょうが、戻ってきても“反権力闘争をやめろ”と言うつもりはありません」

 こう話すのは、臼田容疑者の父・篤伸氏(79)である。

 今月19日早朝、軽ワゴン車で都内千代田区の自民党本部前に乗り付け、自作の火炎瓶5本を投げ入れた後、首相官邸へ突入を試みた末に公務執行妨害で現行犯逮捕された臼田容疑者。

臼田容疑者の父・篤伸氏

「犯行に使われた車からはガソリンの入ったポリタンク16個が見つかり、さらに数個のカセットコンロ用ガスボンベも発見。警視庁公安部は“官邸に突入後、ガソリンを搭載した車を爆発させるつもりだった”とみています」(全国紙社会部記者)

「20代の頃は政治に無関心だった」

 そのもくろみが完遂されていれば、あわや前代未聞のテロ事件となっていたはずだが、篤伸氏は動機について「殺傷目的でなく、長年の自公政権に対する反感だったと思う」と話す。

 篤伸氏には2度の離婚歴があり、臼田容疑者が2歳の時に実母が、約20年前に後妻も家を出て行った。

「以来、息子と二人の同居生活が始まりました。息子は地元・埼玉県川越市の中高一貫私立校に通い、成績は中の上くらい。大学に行ってほしかったけど、息子は“行かない”と拒否。高校卒業後に働き始め、いろんな仕事をしていたけど、20代の頃は政治に無関心だった。転機となったのは初めて逮捕された反原発運動でした」(篤伸氏)

創価学会員だと打ち明けられ……」

 臼田容疑者は2012年、福井・大飯原発の再稼働反対を掲げて抗議活動をしていた。当時の運動仲間がこう話す。

「ある時、大阪市内での抗議活動に絡み、臼田さんは建造物侵入容疑で逮捕され、大阪地裁で執行猶予付きの有罪判決を受けました」

 篤伸氏によると、この大飯での抗議運動を通じて臼田容疑者は年上の女性と出会い、交際を始めたという。

「普段は介護の仕事をしている女性で、大飯から二人して福島県内に移り住んで、反原発活動を行っていたこともあった。でも10年ほど前に破局。理由の一つが“創価学会員だと彼女に打ち明けられ、入信を勧められるようになった”ことだったそうです。あれだけ息子と長く交際した女性は彼女が初めてだったと思う」

「息子に“赤旗を読め”と言っても無視」

 臼田容疑者が社会問題に関心を見せ始めたのは2010年ごろ。「死刑は残酷だ」と考えるようになり、死刑廃止運動への参加を決めたそうだ。

「私は党員ではありませんが、日本共産党の支持者で、購読している赤旗を息子は読んだこともなければ、選挙の投票に行ったこともなかったはず」(篤伸氏)

 ところが死刑廃止運動に目覚めたのと同時期、臼田容疑者は参院選への立候補を目指す。もっとも、供託金を納められず不出馬に。すると「供託金制度は憲法違反」だとして、選挙の無効を求めて裁判を起こしたという。

「ただ女性と別れて以降、人付き合いは減り、目立った活動もなくなった。息子との同居が始まって20年近くたちますが、いま思えば、約5年前からポリタンクを購入し始めるなど不審な動きはあり、犯行は計画的だったのでしょう」(同)

 長距離トラックや観光バスの運転手、Uber配達員など職を転々とした臼田容疑者だが、政治活動にも“流転”の痕跡が見て取れる。自ら真相を語る日は来るか。

「週刊新潮」2024年10月31日号 掲載