ドイツ・ボン大学のマルクス・ガブリエル教授は、社会主義や共産主義に進むのではなく、資本主義を再定義すべきだと論じている(写真:ELUTAS/PIXTA)

企業経営の分野で「エシックス(倫理)」が注目されている。日本を代表する企業のアドバイザーを長く務めてきた名和高司氏。3年前に「パーパス経営」を提唱し、日本でのブームの火付け役となってきた。

しかし、今やパーパスの実践に行き詰まる企業も数多い。その解決策として、経営において倫理を判断軸に据えるとする『エシックス経営』を提唱している。

また、「哲学界のロックスター」と称されるドイツ・ボン大学のマルクス・ガブリエル教授は、道徳的価値と経済的価値を再統合した「倫理資本主義」を提唱し、日本に向けて書き下ろした近著『倫理資本主義の時代』が大きな話題となっている。

今回、ガブリエル教授の来日に合わせ、日独の「倫理資本主義」について、大いに語り尽くしてもらった(全4回を予定)。

資本主義の3つの条件とは

名和:ガブリエルさんは「倫理資本主義」という概念を説いてこられました。環境問題や不平等社会などが浮き彫りになる中、資本主義の終焉を唱える論調が台頭しています。

それに対して、ガブリエルさんは社会主義や共産主義に進むのではなく、資本主義を再定義すべきだと論じていますが、最初に資本主義の本質をどう捉えているのかを教えてください。



マルクス・ガブリエル 1980年生まれ。ボン大学、ハイデルベルク大学などで学び、史上最年少の29歳でボン大学の哲学科正教授に就任。同大学国際哲学センター長も務める。西洋哲学の伝統に根ざしつつ、「新実在論」を提唱して世界的に注目される(撮影:今井康一)

ガブリエル:資本主義は3つの条件を緩やかに束ねたものとして定義できます。

第1の条件は「自由契約」です。封建制度と違って、自分の労働力や能力が金銭的対価の対象となり、それを収益化するときも束縛を受けずに契約を結ぶことができます。自由契約は、支配と不正からの解放における近代的形態として資本主義をもたらしました。

第2の条件は「生産手段の私有」です。誰かが何かを所有し、リスクをとるなど何らかの条件下で再投資し、より多くの私有財産を蓄積することができます。私有財産は体系的かつ合理的に経済を進める単なる条件ですが、システムに安定性をもたらします。今日まで、不動産が資本主義の特徴として重視されてきたのはそのためです。

第3の条件は「自由市場」です。共産主義下の計画経済や戦時下の経済では、市場はコントロール可能で、そうすべきだと考えます。資本はそのような特殊な手段ではないし、人間は自由なので、市場はコントロールしてはいけません。

この3条件は、イギリスの産業革命、フランス革命、資本主義的銀行とされるイングランド銀行など、歴史の偶然が重なって生まれたものです。誰かが資本主義を発明して実践したのではありません。誰も計画しなかったことが重要なのです。

知的改革が推し進めるデジタル資本主義

名和:世の中は今、目に見える物理的資産から無形資産へと移行しつつあります。たとえば、知識やブランドは誰が所有するものなのか。人の頭の中にあるブランドイメージはコントロールできませんよね。無形資産の観点に立つと、資本主義は変わってくるのでしょうか。

ガブリエル:最初に工場など物理的なものを資産だとする考え方を打破したのはサービス経済です。その後、サービス革命が起こりました。そして今は、AI(人工知能)の出現に象徴されるように知的革命が起きています。おそらく産業革命以来、私たちが目にする最大の経済変革でしょう。

ただし、資本主義を打破するというよりも、この新しい状況にデジタル資本主義を適応させる必要があるのだと思います。知的財産権や複製権など新しい財産の概念を開発することは重要です。そうすれば法的概念として資産計上できるようになりますから。

現状は、知識やAIをうまく測定できておらず、そこに危険性があります。私たちが直面する真の脅威は、ターミネーターに支配されることではなく、これまで見たことのないほど剰余価値生産が加速していることです。

私有財産を凌駕するという意味で、デジタル共産主義が到来すると考える人も多いのですが、それでは今日の現象を測定し、理解することができません。所有権の概念を精神的領域に正しく適合させ、人間精神という客観的存在が最高の技術インフラへと拡張していくことを認識する必要があると思います。


名和高司(なわ・たかし) 東京大学法学部卒業、三菱商事入社。ハーバード・ビジネススクールにてMBA取得。マッキンゼーのディレクターの後、一橋大学教授。2022年より現職。ボストン コンサルティング グループ、アクセンチュアのシニアアドバイザー、ファーストリテイリング、味の素、デンソー、SOMPOホールディングスなどの社外取締役を歴任(撮影:今井康一)

名和:人間中心主義の考え方がありますが、私たちは自然資産、環境資産、社会そのものを所有しているわけではありません。ビジネスのために与えられただけであって、私たちは自然に対して借りがある。そのため社会や環境から別の圧力が生じています。

資本主義から共産主義や社会主義へ、成長から反成長や脱成長へという新しい考え方もありますが、その中で資本主義はどうすれば生き残るのでしょうか。こうした外部資産をもっと充実させるべきでしょうか。

矛盾している最近の試み

ガブリエル:共有財を社会経済領域から完全に切り離して考えるのは間違いです。社会主義や共産主義を復活させようとする最近の試みは矛盾しています。なぜかというと、自然と人間の間に明確な区別があることを前提としているからです。

彼らのストーリーは、自然は共有財で、そこにある生態系は誰も管理できないし、すべきでもない。あるいは、ただ私たちに与えられているだけで、資本主義の過剰生産に脅かされている、というものですよね。そこでは自然を人間社会と対立させていますが、それは実際の生命科学の知識とほど遠いものです。

共産主義は危機対応に強いわけではない

ガブリエル:マルクスが社会主義思想に関する論文を書き始めたのは、ダーウィンの時代ですが、私たちの科学知識は当時をはるかに超えています。

微生物学革命や地球システム科学、その他の生命科学のおかげで、自然は人間と別物だとするのは誤りだとわかっています。資本主義を再び弱体化させる共産主義的な戦略は時代錯誤で、現代の科学的知識の水準に達していません。

もちろん、共有財は存在しますが、それは共有物です。たとえば、資本主義はつねに法的、政治的な条件下でのみ展開されてきました。私有財産は社会的なもので、人がいろいろ交渉した結果であり、だからこそ保護されなければならない。

それとまったく同じ意味で、自然は長い間、人間社会の一部でした。アマゾンの先住民たちも、近代国家においても、私たち人間が海、海底、森林などを当たり前に所有してきました。

私たちが今目にしている生態系の危機は、人間が住む領域外における啓示ではなく、隠れたエージェント(行為主体)が存在しています。自由民主主義の立場から私たちがすべきなのは、共有財の概念を見直すこと。何を所有してはいけないかではなく、何を所有すべきかを考えることです。

名和:なるほど。自然や共有財を社会環境から分けて、孤島のように捉えるのではなく、人間も含めて、広大なシステムの中で捉え直す、ということですね。

ガブリエル:そうです。自由民主主義国と比べて、中国をはじめとする社会主義国や共産主義国のほうが、生態系の破壊は深刻です。自由民主主義国家は、生態系の危機を本気で解決しようとしていないにせよ、科学の知見を利用するので、危機対応に長けています。科学技術は自由民主主義の発展においてきわめて重要です。

共産主義では、科学技術は道具にすぎず、真実そのものに関心を向けません。すべて政治的なものとして捉えるからです。自由民主主義では、科学と技術は現実を見つめ、社会に取り入れるための手段であり、時には誤っていることもあると考えます。ですから、共産主義のほうが自然認識に秀でているというのは間違いで、まさに自然に対する支配関係の縮図です。

自由主義と社会主義は両立するのか?

名和:社会自由主義や社会民主主義という考え方もあります。たとえば、デンマークなどの北欧諸国は社会主義なのか、それとも、自由主義でしょうか。


ガブリエル:自由主義と社会民主主義は完全に両立できると思っています。日本もそうですが、どの自由主義の社会経済においても、社会主義は実現していると思います。19世紀の社会主義の考え方は労働者の権利を認め、資本主義の破壊的な力を安定させるために法律が必要だとするものでしたが、実際にそうなっています。

したがって、私は社会主義と自由主義を明確に区別するつもりはないですし、どちらも自由民主主義の中で融合していると考えています。自由民主主義における社会主義は民主主義から生じたものです。自由主義の要素である自由市場と自由契約が融合したハイブリッドなシステムの中で私たちは生きています。

それに対する唯一の急進的な代替案は、リバタリアニズム(自由至上主義)か、アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領などが「無政府資本主義」と呼ぶものかもしれません。ただ、これらも矛盾しています。

無政府資本主義は、自由放任主義(レッセフェール)と呼ばれることもありますが、私有財産がなくても資本主義が成り立つというのは幻想です。ミレイ大統領は資本主義者などではなく、ただの極右マフィア思想家だと思います。

リバタリアニズムの矛盾は、安全保障などを民営化する必要があることです。麻薬王のパブロ・エスコバルや、ラテンアメリカの富裕層の多くは私設軍隊を持っていますが、それではマフィア国家になるだけです。したがって、自由主義と自由至上主義は明確に区別する必要があります。

(翻訳・構成:渡部典子)

(マルクス・ガブリエル : 哲学者、ボン大学教授)
(名和 高司 : 京都先端科学大学ビジネススクール教授、一橋ビジネススクール客員教授)